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涼宮家の人々:「君が望む永遠」の設定と演出

2005-09-29 04:28:03 | 君が望む永遠
 以前YU-NOについて言及したが、それに次ぐ傑作として「君が望む永遠」がある。内容についてのレビューは別の機会に譲り、今回は設定・演出とからめて涼宮家の人物配置などについて考えてみたい。なお、涼宮家の構成は父、母、遥、茜の四人である。また、ネタバレを含むのでその辺注意されたし。
 
 <事故と涼宮家>
 涼宮遥は1999年事故に遭い、昏睡状態に陥る。三年後に目を覚ますことになるのだが、その経緯は省いて、主人公(以下「孝之」で統一)に対してどのような対応がなされているかを述べたい。
 当事者である遥以外の三人は、

父…事故のことを攻めるどころか、憔悴する孝之の身すら案じ、孝之が遥への罪悪感に翻弄されないよう諭す

母…孝之が遥の見舞いに来てくれることを感謝しつつも、『孝之さんが遥の傍にいてくれれば…』と言い、孝之の心の波紋を広げる

茜…見舞いに来ながら水月との仲を続けていることに明らかな不満を示す。

とかなり違った対応を示していることが注目される。孝之にとっては、上から順にきつい対応になっていると言えるだろう(もっともこれは一般的な話で、遥父の言動の裏にある苦悩まで読み取ってしまう孝之は彼の言葉にも苦悩するのだが)。この違いが、それぞれを浮き彫りにすることをも狙っていると思われる。

 また、茜のきつい言動を、若さゆえのものだと捉える人もいるかもしれない。その見解は、なるほど一理ある。しかし、主治医の香月が遥父の孝之に対する理性的な対応を褒めており(「不運な出来事には何かしら理由をつけようとするのが普通なのに云々」)、と同時に一章の家族団欒の場で「若い頃は色々あった」というような個人的資質との関係がうかがえることから、むしろ遥父の理性的態度が特別であると評価するのが妥当であるように思える。極端な話、「ヌシが遅れたから娘が轢かれたんじゃボケェ!」と殴った挙句、一度も面会を許さないというような場合も想定できるのである(一過性の事故ならともかく長期にわたる昏睡でもあるしね)。そう考えるならば、事故のことは不問にして、遥とこれからどうしていくのかというところで違いが出ている辺り、「究極の二股」という本ゲームの性質もさることながら、涼宮家の人々の穏健さと孝之に対する気持ちが表れていると言えるだろう。

それともう一つ。涼宮家は金持ちである(遥父は大学教授)。この設定は、遥の少し浮世離れしたような性格に(ステレオタイプな意味で)必然性を持たせるとともに、嫌らしい推測だが、三年にわたる植物状態での長期入院をしても生活水準がそれほど変わっていないことに自然さを与えているように思う。

このように、本作のテーマと必ずしも直接関係しない部分まで細かに設定・演出しているところに「君が望む永遠」の傑作たる所以があると言える。これに加え、モノローグによる移り変わる気持ちの描写、声優の演技も重要な要素であるが、それは別の機会に論じたいと思う。
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