続 松本人志に関する報道について:芸能界・芸能人に対する眼差しの変化と報道への評価の留意点

2024-01-18 11:31:42 | 感想など

前に「松本人志(たち)は何を誤ったのか?」という趣旨の記事を書いたが、これは潮目が変わる重要な出来事となりうるので、これに関連するものとして窪田順生「松本人志さんと吉本興業の初動は“最悪”、でも『文春砲=正義』の風潮に違和感のワケ」という記事に触れておきたい。

 

ここでも言われていることは、

1:今回の件における「事実無根」「訴訟」から始めるというムーブは悪手だった

2:週刊誌の報道=真実ではない

という話である。

 

2023年は散々閉鎖的企業の不祥事のみならず、その対応ミス(ジャニーズの会見や宝塚の会見の違和感・異常性はその典型)が明るみに出たが、1についてはそれがある意味全く生かされず、その結果問題を急速に拡大させてしまった事例として参照されるものとなるだろう(言い換えれば、「あなたの企業や組織も他人事ではない」ということである)。

 

まあここに関しては、松本の「効いてない効いてない」という虚勢にも見えるXの投稿が、対応側の精神性の一端を表すだけでなく、それがさらに後出し情報と相まって不信感を倍加させた(火に油となった)ことも補足しておきたい。

 

さりなが気を付けたいのは、窪田の記事でも指摘されているように、週刊誌が報道した=真実とはもちろんならないことである。大手メスメディアへの不信感がネットメディアへの期待や陰謀論の跳梁跋扈と関連していることは何度か触れてきたが(古谷経衡『シニア右翼』もそういった現象の一つを扱っている)、あるものAが信じられないからといって、Aが否定・攻撃している対象が正しいということには全くならない(あえて言うなら、今まで妄信してきた宗教を捨てて別の宗教を妄信するようなものだ)。

 

その意味で、大手マスメディアの隠蔽構造が散々問題になっているという点は重要だが(私は解体的出直ししかないと思っている)、一方で文春が報じた=丸々真実という発想は(松本の件に限らず)慎むべきだろう。

 

ともあれ、今回の件とそれへの一部世論やスポンサーの反応からも、芸能界・芸能人への眼差しが厳しいものとなり、その行動への締め付けが厳しくなることは想像に難くない。おそらく、不祥事を起こした時に「芸事の世界は普通とは違うから」という論理はもはや通用しなくなっていくだろう。というか、そういう潮目の変化を2023年に起きた諸々の出来事を見てなお理解できていない時点で、不見識との誹りを免れ得ないだろう。個人の感覚として別に気にしないというのは、もちろん個人の自由である。しかし、他人に対して「あなたもそのようにすべきだ」と主張するのであれば、その正当性の根拠を示すべきだろう。

 

その意味で、外交官の不逮捕特権がごとき法的根拠がある訳でもないのに、芸能人や芸能界を治外法権のように語って何ら疑わない心性を、まずは疑ってかかるべきなのではないか(前の記事で触れた立川談志のによるX投稿の余計な部分とは、まさにこれに関する箇所だ。例えば「非常識に生きてこそ芸人」といった文言は、松本への非難という結論からスタートしている人間に対し、わざわざ格好の餌を与えているようなものと言える)。

 

あるいはもしかすると、2024年の後半や2025年は、こういった芸能人の過去の不祥事はもちろん、芸能人によるパワハラの告発といったものがドミノのように出てくることすらありえるかもしれない。その意味で、2023年に引き続き2024年もまた芸能界・芸能人は大きな変化が求められていくのではないだろうかと思う。

 

以上。


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