今となってはもう昔のことになりつつあるが、東日本大震災が起こった2011.3.11は国公立の後期日程と重なっていたこともあり、東京外大のように特別措置を採る大学もあった。
その印象から2012年の東北大入試はどんな感じになるんだろうと思っていたところ、「大学で受講する3つの講義から1つを選択した理由を英語で説明」、「選択しなかった残り2つの講義内容を日本語で要約」というものが出て、それに対する大学側の出題意図と講評がちょっと面白かったので、今更ながらコメントしてみる。
東北大いわく、「大学生として接することの多い、代表的で『定型的な』使用域(register)の1つである講義概要を安西として速読即解能力を問う問題」とのことだが、特に印象的だったのは、答案で「I'm interested in~」や「I don't think...」といった省略表現が多様されていることに言及した上で、「口語と文語の表記上の区別に十分な指導を受けてこなかったためと思われます」という部分だ。
減点対象ではないと明言もしているのでクレームというのは言いすぎな感はあるが、「そっかー知らないか~」「確かに習う機会ねーもんな~」と指摘しつつもまあしゃあなし(今後は意識するようにして欲しいなあ・・・)と暗に主張しているように見える。
まあ指摘の詳細な背景は知り様もないが、registerについて習う機会がほぼないのは事実で、せいぜいwill you~?とwould you~?とか、あるいはhad betterくらいじゃないだろうか(もっとも、will youがwould youになると「なぜ」丁寧なニュアンスになるのか、あるいはhad betterがどういう理由で高圧的な表現なのかというレベルになると、全く説明はなくスルーされている印象だが)?
ただ、じゃあ「学校でregisterについて習ってない→知らない・できない」かと言うと、問題はもっと一般的なことなような気がする。すなわち、「本質的に英単語をただ日本語に置き換えているだけの教育方法・理解方法から脱してない」ことが根本にあるのではないかと。
具体例を挙げてみよう。例えば
(例1) I gave Jane the book. = I gave the book to Jane.
(例2) Jack broke the window. = The window was broken by Jack.
は正しいだろうか?あるいは
(例3) I know Oda Nobunaga. / I know of Oda Nobunaga.
の違いは何で、どちらがより自然な表現だろうか(ちなみに、今では苗字が先に来る場合に順番を入れ替えしないケースも増えているので、それに倣った)?
もし仮に、英単語をただ日本語に置き替えて理解するのを「和訳」と呼ぶのならば、(例1)(例2)の等式は成立するし、(例3)は正直どっちでもいいし、せいぜい「knowは他動詞と習ったんで、多分左側が正解じゃね?」と応答するくらいだろう。
というか、こういったタイプの書き換えはドリル的に何度もやらされており、むしろ等式で結ぶことを暗に奨励するような反復教育・反復練習がなされているのであって、テストで点を取るためなら空所の数に合わせてどちらを選択するが妥当かという「選球眼」ばかりが養成され、(おそらくほとんどの学生は)その違いはついに教えられることも理解することもないまま大学生を迎えるのである。
こういった状況の中で、I am from America.とI'm from America.は全く同じであり、せいぜい必要な空所の数が違うだけと見習わされるのは当然のことで、受験生にとってはregisterなんぞはなから頭になく、仮に意識されるとしたら、せいぜい「字数制限としてとしてどちらがより妥当か」という受験戦略の部分だけになるのは必定と言えよう。
そしてそういう状況で育つと、I want to play tennis.をI wanna play tennis.と表現した方が何となくイケてる(英語を知ってる)感があるっぽいと思って所かまわず使用し眉をひそめられたするような経験でもしない限り、自分がregisterはもちろん英語の情報構造などを何も理解せず、ただの和訳マシーンになっていると気付く機会などあろうはずもないという話である(あえて言うなら、「開国後から今もなお」と表現すべきところか。なお、日本語は助詞が存在することによる入れ替え可能性が強く、そこが英語との大きな差異の一つでもあるが、詳細は省く)。
というわけで、東北大の「まあしゃあないか」というのは全くもってその通りだという結論になるわけだが、そこを変えるには、別にそう大層な話でもなくて、例えば省略形だったら、「そもそも日本語で省略するのとしないのとでどちらがフォーマルな感じになると思う?」といった形で理解させることは十分に可能だ。
あるいはregisterに関連させるなら、「我慢する」という単語を覚えていく際に、standの他にbear、endure、tolerateと様々あるのはなぜなのか?と問うてみるのもよい(まあそもそもなぜstandに「立っている」・「我慢する」という意味があるのかで混乱する学生もいるだろうが、そこは例えばst-というアルファベットの持つ意味→stay・standard・staticなどから説明するのもありだろう)。単に同じ意味として等式で結ぶのではなく、英語本来語・フランス語由来・ラテン語由来のものが存在し、それが英語の中でそれぞれかなりの割合を占めるだけでなく、英語本来語→日常的、フランス語由来→優雅、ラテン語由来→厳格・高尚といった具合に与える印象が異なり、それもまたregisterの形成に一役買っていることを言及しておくことは、「なぜ同じ意味に色々な単語が存在するのか」に対する答えだけでなく、単に意味を丸暗記することの限界を自覚してもらうことにも繋がるのではないだろうか。
以上。
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