「男は女に奢るべきか」論争と慣習・暗黙知~ご祝儀・香典、敷金・礼金、法の奴隷~

2023-10-08 10:58:26 | 感想など
二回にわたって「男は女に奢るべきか」論争が不毛になる理由を述べてきた。一回目は主に個人の視点、二回目は社会の変化という視点から・・・って何?長すぎるから簡潔にまとめろとな??
 
 
ほいじゃまこんな感じかね。
 
1.
かつての共通前提があり関係性も濃密な社会では、「男→女」や「上司→部下」というベクトルでの奢りという行為は、その力関係がほぼ明確に左側優位だったこともあり、一種の「慣習」・「モラル」として成立していたし、それに反する行為は不平・不満の対象としてある程度納得を得られやすかったと思われる(もちろん、平成や昭和以前の時代でも高い地位と豊富な金銭を持っていた女性はいたし、そういった人々が男性含め施しを与えていたケースがあったことは言うまでもない)。
 
2.
しかし、例えば「男→女」という力関係は、女性の地位向上などにより全く自明ではなくなったし、ゆえにそれは「慣習」・「モラル」としての自明性も失った。さらに言えば、そもそも価値観の多様化や分断の進捗によって、それらを当然のように主張しても、明文化された法でも何でもない以上、「それってあなたの感想ですよね?」となっていく。
 
3.
かかる状況において、期待したはずの金銭的インセンティブ(韻を踏んでるw)が得られないことに怒り、「何で奢らないのか!」と相手の行為を自明の「ルール」とそれへの違反のように主張すれば、「契約関係がない状態で相手に金銭を要求する」行動となって、それはもはや「たかり」、すなわち犯罪行為と峻別が難しくなる。
 
4.
さらに言えば、それを「慣習なんだからやれよ」と第三者が要求する行為は、犯罪教唆に近似していく。
 
 
とまあこんなとこやろ。え、長すぎて要約になってないって?それはなあ・・・トリックだよ(錯乱)。
 
 
まあさすがに「男は女に奢るべきだ」って意見を犯罪とする主張はメインストリームになってないと思うけど、「男は女に奢るべき」って主張に反対する人々は、その違法性(脅迫罪)を主張しつつ、かつその賛同者を犯罪教唆の疑いありとして論を展開するのが、一番早いんじゃあないかね。
 
 
・・・なーんて書くと、「こいつ自分の主張を押し通すためにそこまですんのか( ゚Д゚)」と思われるかもしれないが、十数年管理職をやってる中で部下に奢るのは(別に要求されるまでもなく)当然のこととして振舞ってきたし、女性にも基本そういうスタンスできた自分として、今書いた内容は「まあこの論争はこういう風にエスカレーションしていって、お互いにヘイトを溜め合った終着駅は、法という正当性の呼び出しまでいくだろうな」という予測を話しているだけでごわす(・∀・)
 
 
つまり、こうした「議論」の先にあるのは、超えようのないどころか拡大し続ける溝だってことだ。反対派は「んなもん法じゃねえだろ、たかりだたかり!犯罪者どもが!!」と言い、賛成派は「は、法とかマジ何言ってんの?頭おかしいやろ。こんなヤツどーせ友達もいねーんだろうな!」という感じでね😆まあ両者とも実は全く違うレイヤーの話をしてるんだから、合意なんてできないのは当然である。
 
 
一応反対派について突っ込みを入れておくと、「男→女に奢る」論を法律的に解釈するような立場の問題点は、宮台真司が言うような「法の奴隷」とか「言葉の自動機械」といった表現を想起するのがよいだろう。つまり、私的な人間関係のやり取りすら法でしか判定しない・できないなら、それはいくらなんでも思考が硬直し過ぎじゃあねえかい?てことである。
 
 
ただじゃあ反対派こそが問題なのかというと、んなことは全くない。例えば「男→女への奢り」を、「プロのイラストレーターが、友人から無料でイラストを書いてと当たり前のように言われ、断ったら友人に金銭を要求するのかと非難された」という事例に置き替えて考えてみたらどうだろうか?「いやいやいや、友人やからって何で時間をかけて仕上げたものを無料でもらえるって平気で思っとるんじゃい!」という視点もあるし、「友人関係なのにそこへお金のやり取りを要求すんの?」って意見もあるだろう。
 
 
これは「何かで恩のある友人に対し、イラストレーター側が自主的に一肌脱いでイラストを作成して窮状を助けた」みたいな状況なら全然問題も発生しないだろうけど、さっきの事例なんかだとまあもやっとしますわな。その「もやっと」感が、奢るべきか否か論争の始まりであり、そこを突き詰めて己の正当性を主張しようとすると、(繰り返しになるが)法を呼び出すところまでエスカレーションして取り返しのつかないレベルで断絶しますわなって話なわけ。
 
 
まあさらに広い範囲で言えば、「慣習」や「モラル」、さらには「暗黙知」については敷金・礼金の問題、戒名の妥当性、ご祝儀・ご香典の(金額含む)妥当性、さらに言えば昨今話題になっているジャニーズ問題(芸能界)など、社会レベルでも様々取り沙汰されて非難されやすくなっているわけで、それはグローバル化に加えて成熟社会による価値観の多様化・複雑化により、なぁなぁの関係性や取り決めが通用しにくくなっていることとパラレルである(ここは山岸俊男の『安心社会から信頼社会へ』なんかとリンクする話だ)。
 
 
このような事態をざっくり言うと、ますます「思いやり」ではなく「ルール」が求められがちな社会になっているということであり、そのような状況において、「男は女に奢るべき」などという主張は、論争の種にはなっても決して解決なんぞしないし、だから不毛になりますわな、ということで構造解析終了ですよと(てゆう複雑な背景の上に成り立っている論争を、Xなどという短文主体の媒体でやるなんて、どっちかに肩入れして煽るのでもない限りはアホのやることじゃないすかね🤣とオイラは思うわけである)。
 
 
まあこういった対立点がそこかしこに噴出し、かつ他者との熟議でそれを解決することをしてこなかった空気読み日本人には、まあ何ともストレスフルな社会であり、ゆえに「劣化」した人間と微調整しながら付き合うより、「進化」したAIとの関係構築を望む人がどんどん増えていくんじゃないかねえと思っている次第である(・∀・)
 
 
ちなみに、今回は「男→女に奢る」とか「上司→部下に奢る」ということについて、「契約関係がない状態で相手に金銭を要求する」のは違法ではないかという主張が出てきうると書いたが、とすれば「事前の契約による金銭の授受内容の明確化」が必要となるであろう・・・なんて話を聞いてあっ(察し)となった方もいるだろうが、それについて次回取り上げたい。
 
 
ちなみにここまで読んでまだ体力が残っている人がいるのかわからんが、興味があればこういう動画も参考にどうぞ。
 
 
 

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