大澤昇平の発言と日中外交:戦略的コミュニケーションの欠落

2019-12-02 12:43:00 | 日記
ビースターズの記事で書いたカテゴライズ・レッテル貼りの話から、大澤昇平の「中国人は雇わない」発言につなげようと思っていたが、彼はどうやら謝罪文を出したようである。ただ、それを見る限りではあまり書く内容を変える必要もなさそうなので、そのまま掲載することにする。
 
 
たとえば、「日本人は集団主義的にしか動けず発想力が乏しいので、うちの企業に来ても書類選考で落とす」という発言を聞いたらあなたはどのように思うだろうか?おそらく、そこまで断固たる対応をできるだけの根拠を見せてもらえませんかね?と相手にエビデンスを要求するのではないか(少なくとも私ならそうだ)。なるほど飲み屋での放言なら、「なんか感想文を根拠があるかのように喋ってるなあ」として流すこともありえる。しかしあいにくと、発言されたのはインターネットという名の公共空間だ。である以上は、このような(企業経営者が採用に民族の話を持ち込む)発言に最低限エビデンスを求められるのは至極当然の話だろう。
 
 
たとえば子細なデータを出したうえで、「非常に高い蓋然性が認められるため、そうせざるをえない」という論理立てであれば、一応話の流れとしては理解できる(賛同するとは言ってない)。しかし、そのような根拠を示した形跡は管見の限りない。ということは、客観性を担保する努力もせず、「データで導き出された区別だ(なのに批判されるのは心外だ)」などと言い募ったところで、人を納得させられるとどうして思ったのだろうか?
 
 
あるいは何らかの事情でデータが出せないというのであれば、そもそも手札がない状態で勝負をしようとしているのだから、勝負に出ること自体が判断ミスだろう。それとも、ポーカーのブラフよろしく、「東大で雇われている研究者が発言しているのだから、きっと根拠があって発言しているに違いない」と周りが忖度してくれ、根拠を問われることもなく発言が拡散するとでも思っていたのだろうか?だとすれば、さすがにちょっと世の中を甘く考え過ぎではないか?まるで大戦時の日本軍が自分たちの期待するように敵が動いてくれると考えて失敗していったように、悪い意味で他者に期待しすぎである(とはいえ、今回の発言のお粗末すぎる流れを見る限り、いかな旧日本軍と言えど類例として出すのはさすがに申し訳ない気がする)。
 
 
・・・なんて書くと、この書き手はもしかして大澤の発言に賛成してんのか?と思われるかもしれないが、そうではない。右とか左とか、保守とか革新とか以前に、戦略的コミュニケーションの欠落が最も唾棄すべきことだと言っているのである。たとえて言うならそれは、論文の結論がどんなものであるか以前に、論文の体をなしていないと指摘するのと同じだ。
 
 
正直、今回のようなコミュニケーションの帰結を予想できなかったという意味において、「デジタルタトゥー」の動画ではないが、「このような振る舞いをする人とは仕事ができない。なぜならリスクを抱え込むことになるからだ」とばかりに大澤が寄付を切られるのはまあ当然のことだと思う(念のため言っておくと、企業群が寄付を打ち切る理由として述べているのは、大澤の発言・価値観に賛同できない、というものであるが)。
 
 
ちなみに言っておけば、データを出したとしても、その妥当性が受け手によって吟味の対象となるのは言うまでもない。大澤の企業にやってきた中国人の数がどの程度なのか知らないが、多くてもせいぜいが数百人だとすれば、なぜそれで「書類で落とす」という結論、すなわち「面接などで個別性を吟味するまでもなく中国人全員に当てはまる」という結論と行動に結びつけられるのか、非常に疑問である。というのも、一口で中国人と言っても、本土の人間だけでも15億いるわけで生育環境は様々であるし、何となれば世界各国に華僑も存在しているからだ。これらがたかだが数十人だか数百人のデータで一律に処理できるというのならば、よほどの研究データがあるのか、はたまた解釈者の側に問題があるのかのどちらかだろう(そして前者がないから、後者ということになり、大澤が非難されているわけである)
 
 
以上からわかる通り、もし仮に精密なデータを準備してさえ、その結論で他者を説得するのは相当な困難が伴うことは想像に難くない(というか、ポリコレなど関係なく、今述べたような推論、というか妄想でしかないように見える流れで大澤の発言に納得しているのだとしたら、自分のものの考え方を疑う契機にした方がいいだろう。このタイミングで掲載するのはどうかと思うが、後日話題に挙げるであろう宮台真司と神保哲夫の対談を時間があれば見てもらいたい)。つまり、大澤が件の結論を真に他者へ浸透したいと思っていたのであれば、反論が難しいデータを用意するのはもちろんのこと、それが受け入れられやすくなる戦略的コミュニケーションを模索するべきだった、ということになるだろう。そういう発想・行動ができないところから、やはり結論として今回の一連の発言は合目的的でない稚拙なものと断じる他ない。
 
 
さて、ここまでで結構長くなったが、最後にもう一つ。先ほど私は、戦略的コミュニケーションという話をした。また大澤が今回の発言の背景として中国への反発について告白しているので(ちなみに、このタイミングで義憤をどうこうとか言っても、取ってつけた感がハンパないわ~と言っておこう)、日中外交についても触れておきたい。
 
 
私は、このタイミングで習近平を国賓待遇で招くこと、そして天皇と会談することに疑問を感じている。もちろん先方は、米中貿易摩擦の突破口として、また香港やウイグル問題などによって風当りが強いところで、東アジアで足元を固め、巻き返しをはかりたいという意図を持っているに違いない。では、このタイミングで中国のトップを国賓待遇で招く我々のメリット(国益)とは何なのだろうか?そしてそれは、同じ東アジアにもかかわらず、香港問題への非難もそぞろにその国のトップを丁重に招いたという非難を招来するどころか、天皇を政治利用される(ちなみにこれは江沢民に昔やられている)という歴史に学ばぬ愚行を犯してもなお、追求すべきものなのだろうか?
 
 
ここで少し別の視点を用いるなら、アメリカが香港人権法を出した背景を考えたことがあるのだろうか?と言いたい(これは同盟国の意向を忖度しろ、という意味ではない)。なるほどそれは、表層的には米中貿易戦争のカードであるし、浅はかにそう考えている政府の人間もいるだろう。しかし、そもそも今回の香港に対する抑圧やウイグル弾圧の背景には「2049年、すなわち中華人民共和国建国100年の年に漢民族・少数民族を合わせて中国が世界の頂点に立つ」という目標がある。その際に、独立性の強い少数民族は邪魔であるし、何より香港はイギリスとの取り決めで2047年(1997年から50年後)まで一国二制度を維持することになっているが、そこから2年で中国を一体化させるのは困難なためなし崩し的にシステムを変えていっているわけだ。
 
 
つまり、現在表面化している中国の行動はテンポラリーなものではなく、覇権国家への一里塚であり、それに香港は反抗しているからこそ、アメリカは応援するメリットがあり、ゆえにそうしているわけだ(人権を守るという大義名分も立つしね。まあ大量破壊兵器があると言い張ってイラクに侵攻し、散々引っ掻き回したオメーらがよく言うわとは思うが)。
 
 
このような状況を見るに、日本(政府)のウイグルや香港に対する鈍い反応、なかんずくこのタイミングで習近平を国賓として招くという行為は、外交センス上いかにもピントずれしており(political willってものを考えたことがあるのか?)、とても戦略的コミュニケーションが取れているとは言い難い。最初期に書いた「下手糞外交地獄逝」じゃないが、まあせいぜい韓国にパーフェクトゲームで勝ったとか喜んでいるようなお粗末さである(ちなみにこの体たらくだから、私は日本の自称「保守」も「リベラル」も全く信用ならんと思う次第だ)。私は以前、「怯える虎には、対峙するより『蟲』もて無力化せよ」を書いたが、ここから言えるのは、人権を重視するリベラルだけでなく、むしろタカ派こそ香港の民衆に協力すべきなのである(ただ、戦略的コミュニケーションの話をしているので念のため書いておくと、中国政府は香港の運動は裏で西側諸国が糸を引いていると疑っており、こういう動きは想定の範囲内ではあるのだが)。
 
 
 
というわけで、今回は二つの「戦略的コミュニケーションの欠落」について話した。かかる状況を踏まえた時、一体大澤のナイーブなコミュニケーションは、何かポジティブな効果をもたらしたのだろうか?そう考えてみると、私にはせいぜいが委縮効果しか生まず、その意味でむしろ香港やウイグルの人々にとって有害なものでしかなかったように思える。
 

繰り返すが、最も忌避すべきはナイーブなことなのである。

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