それは分量を要するため機を改めるとして、最後に一貫した行動原理や考え方について君望自身が立場を明示していることを指摘しておきたい。 遥の見舞いを初めて間もない時、駅前で茜と会話するシーンがある(相手は違ったかもしれない)。そこで孝之は、「とにかく状況に流されないように」、「物事がよりよい方向に進むように行動」といったことを自分に再三言い聞かせている。ここから、孝之が「理想的」な行動をしっかり認識していることがわかる。しかし見舞いなどを続けていくうち、自分の中で「眠っていた」気持ちに気付き、また水月以外の様々な人間の願望・期待に板挟みになることによって、内部的にも外部的にも「理想的」な行動云々などと言っていられる状況ではなくなった。なぜならそれらの「しがらみ」は重大なものばかりで、中には生命に関わるものすらあったからだ(遥の容態に関する不安など)。 さて、ここから一貫性の問題について考えるならどんな主張が読み取れるだろうか?まず、率直に言って「問題が深刻にならないうちは何とでも言える」というのがあるだろう。
だがそんなものは、数々のしがらみが顕在化した現実の前では無力に等しいものだった。偉そうに一貫した哲学や行動を主張するのは容易だ。だが、追い詰められた状況で常にそれを貫くことは難しいし、また貫くことが正しいとも限らない。孝之の決意がもろくも崩れていく様は、そんな現実の厳しさを描いていると言える。と同時にそれは、安全圏から孝之を「優柔不断」「へたれ」と切り捨てて疑わない単純なプレイヤーに対する批判ともなりうるだろう(「言うは易し」というやつである)。このように君望は、物語の登場人物に本来一貫性が付与されるべきことを十分意識しながら、その先、すなわち「しがらみ」や自身のアンビバレンスな感情によって一貫性が崩壊していくという、まさに「人の心の移ろいやすさ」を見事に描き出したと言える。また製作サイドが上の主題を表現することの難しさを理解しているからこそ、プレイヤーが孝之その他の感情の動きを追いかけることができるように、深く細かい感情表現がなされているのであった。
だがそんなものは、数々のしがらみが顕在化した現実の前では無力に等しいものだった。偉そうに一貫した哲学や行動を主張するのは容易だ。だが、追い詰められた状況で常にそれを貫くことは難しいし、また貫くことが正しいとも限らない。孝之の決意がもろくも崩れていく様は、そんな現実の厳しさを描いていると言える。と同時にそれは、安全圏から孝之を「優柔不断」「へたれ」と切り捨てて疑わない単純なプレイヤーに対する批判ともなりうるだろう(「言うは易し」というやつである)。このように君望は、物語の登場人物に本来一貫性が付与されるべきことを十分意識しながら、その先、すなわち「しがらみ」や自身のアンビバレンスな感情によって一貫性が崩壊していくという、まさに「人の心の移ろいやすさ」を見事に描き出したと言える。また製作サイドが上の主題を表現することの難しさを理解しているからこそ、プレイヤーが孝之その他の感情の動きを追いかけることができるように、深く細かい感情表現がなされているのであった。
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