分断が進む社会で「自己中」たることのリスク:情けは人の為ならず

2023-12-27 11:27:54 | 生活

 

 

もし仮に「他者との関係性に配慮するのは相手への思いやりからだ」ぐらいにしか思ってないのなら、こういう動画を見ておいた方がええわな。あるいはより具体的には、津山事件において、そこで見逃された人間たちが「犯人を迫害しなかったから」ということを思い出すのも有益だろう(もちろん相手におもねるべしという話ではないし、その必要もない。その認識は多分に主観的であり、上手く距離を取っていた人たちよりもコミットしようと善意で近づいた人間がいざこざの結果離れるとむしろ裏切ったものとして恨みを買うケースもあるから、ここには多少の留意が必要だが)。

 

以前の記事で書いたように、一般的には「自分のことしか考えず自分の都合ばかり主張する人間」を自己中と呼ぶように思うが、実際には自分のことをよくよく考えるからこそ、(その軸がリスクヘッジであれ互恵性であれ)周りにも配慮した行動をせざるをえなくなるわけで、その事に思い到らない時点で「自己中というよりただのバカ」だと私は考える(これは戦国時代の関東における外交戦略について触れた記事でも同様のことを書いている。そういうのは一見すると「騙したモン勝ち」のように思われがちだけれども、その裏切り行為は自分の立場を危うくし、下手をすると包囲網でタコ殴りにされ滅亡まっしぐら、なんてこともありえるのである)。

 

おそらくそういった手合いは、例えば海外で「なぜ笑顔で握手をするのか?」「なぜ店に入る時にわざわざ自分から挨拶をするのか?」といったことには考えが及ばないのだろう。すなわち、他者に向けて自分が少なくとも「敵」ではなく、対話可能な存在だと示す行為が儀礼化された結果、かかる動作がなされているのであり(あるいはホイジンガの「遊び」を連想するのもそれなりに有益だろう)、目的は他者への好意だけでなく、自らのリスクマネージメントのためでもあるのだ(ちなみに日本でも同様のことは言えて、例えばお辞儀をする際には利き手をもう片方の手で押さえて礼をするが、それは相手に対し攻撃の意思がないことを示すためである)。

 

今後は日本に限らず、価値観の多様化・複雑化AIの「進化」と人間の「劣化」の同時進行などにより、社会の不透明性は急速に増していく。それは取りもなおさず、今述べたような「共生の作法」を自動機械のように惰性で行うのではなく、今一度本質に立ち返って戦略的に実行するマインドが必要な状況、と言い換えられるのではないだろうか。まあ有り体に言えば、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」ってヤツですな(・∀・)あ、でも俺も常に移動中はスマホを聴きながらだから、リスク管理の点では同じようなもんか😅

 

ただ、丸山真男が日本人の特徴として指摘した「作為の契機の不在」からすれば、日本人は今ある社会システムを再帰的に捉えることを不得手とし、ゆえに以前モデル化して考えてみたように、前例踏襲主義の官僚的スタンス(あるいはシステムへの過剰適応)がはびこりやすく、またそこにグダグダ文句を言う人間も、結局はしがみ付くケースが多い(まあ「平和ボケ」という名の正常性バイアスも機能してますしおすし)。2023年はそういう悪癖がジャニーズ問題や大手マスメディアの隠蔽などで大々的に表面化した一年だったが、これは来年も続くのかね?いやまあつい最近も自動車業界のデカい案件があったし、普通に続くんだろうなあ・・・😇

 

ま、大きな話をしても多分半世紀くらいは変わらんので、「天は我々を見放したっ・・・!」とか言ってうずくまるのでもない限りは、調整できることからやっていくしかないですな(・∀・)

 

というわけで次回は、冒頭で述べたことにも繋がる社会の不透明化(多様化・複雑化)と、その背景を作っている「平等」と「自由」の観念、およびその食い合わせの悪さをどう調整していくかについて、AIの扱い方などを絡めながら書いてみたいと思う。


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