前回文緒エンドの意味について考えた。そして他のシナリオ・キャラの共通性を際立たせる目的があったという結論を出した。しかし、それによって文緒エンドがしっかりとしたコンセプトに基づいたよく出来た内容か、というとそれほど単純ではない。今回は、その理由について述べていこう。
まず、公式HPに掲載されている文緒の紹介文を見てもらいたい。
欅町にある病院の看護婦。
一見「遊んでいるバカ女」 しゃべり方も語尾伸ばし系。
恋愛や男性経験も豊富だが、その分傷つき、それを乗り越えている。そのため、彼女がたまに言う皮肉まじりの軽口は孝之の心を鋭くえぐるが、それは助言に他ならない。だが、彼女の不器用なやさしさは、誤解されることの方が多い。同僚の天川蛍とは看護学校の同期。
この記述は、文緒の普段の立ち振舞や蛍ルートにおける発言などを見る限り、特に違和感を覚えるような内容ではない(簡単に言えば、紹介と内容に整合性がある)。しかしそのことは、逆に文緒エンドにおける文緒の振舞を不自然なものにしてしまっている。まあエロゲーなわけだから、百歩譲って孝之にモーションをかけることはありえるとしよう(そもそもバッドエンドにすることが目的でもあるし)。しかしその後で、病院の人間に孝之と関係したことを話すのは不自然だと思う。というのも、未だ不安定な状況にある遙に悪影響を及ぼしかねないからだ。詳しく言えば、看護婦たちにしか孝之とのことをバラさないといっても、遙やその家族に漏れ伝わる危険性がつきまとう。場合によっては、遙が聞くことさえありえる。この状態の遙は三年経過していることが理解できていないため、かなり孝之にベッタリである。その孝之が、自分を世話してくれている看護婦と関係を持ったと知ったらどれほどのショックを受けるだろうか(健常者の三角関係ではなく、その一角が[重]病人であり、それに伴って致命的な影響もありうる、ということを意識する必要あり。しつこいようだが、普通に話を進めれば遙が無事退院できるというのは結果論にすぎない。あの状況において、主治医の香月医師すら容態を把握できていないのだ)?もし遙の容態について多少なりとも考えているならば、たとえ看護婦たちにでもバラさないのではないか。遙やその家族にバレる危険性を顧みず、その結果遙の容態に影響を与えることを考えていなかったというのなら、それは「考えなし=バカ」と言えるだろう(実際は、やり取りを聞いていた茜が遙にバラしたわけだが、それはあくまで結果の話)。
だから、もし紹介文のような人物でしかも看護婦なら、遙の容態を考慮してあのような真似はしないのが自然だと思われる(蛍ルートでは、孝之と関係を持った後で遙を気遣って身を引こうとする蛍の姿が描かれる。また、日常シーンや退院イベントのとき何やかやとしてくれる看護婦たちの姿が描かれている。とすれば、看護婦としての病人への気遣いを製作側は多少なりとも意識していたことは間違いない)。文緒エンドの文緒は、まさに否定しようとしていた「遊んでいるバカ女」ではないか。
こういった理由で、文緒エンドにおける文緒の行動は、必然性がなく浮いてしまっている。これは、スケープゴートとして文緒エンドを設定したこと、すなわちシナリオに必然性が存在しないことがむしろ狙いであったことのあおりではないか、と考えられる。言い換えれば、キャラの整合性以上にシナリオの目的、テーマを優先した結果だと推測されるのである。これは、実のところサブキャラシナリオ全てに通じることである。次回は、その観点から天川蛍のシナリオを考えていくことにしたい。
※文緒の行動の必然性のなさが、同エンドの必然性の欠如であるとか、色々な人間をクリアできてしまう(ある意味節操の無い)ゲームへのアンチテーゼだとかを表現していると考えれなくもないが、とりあえずエンディングの性質(スケープゴート的位置づけ)と文緒(と孝之)の行動に必然性がないことを指摘しておけば十分かと思う。ちなみにアンチテーゼについては、穂村愛美シナリオとも関わってくるので、機会があればまた考えてみたい。
まず、公式HPに掲載されている文緒の紹介文を見てもらいたい。
欅町にある病院の看護婦。
一見「遊んでいるバカ女」 しゃべり方も語尾伸ばし系。
恋愛や男性経験も豊富だが、その分傷つき、それを乗り越えている。そのため、彼女がたまに言う皮肉まじりの軽口は孝之の心を鋭くえぐるが、それは助言に他ならない。だが、彼女の不器用なやさしさは、誤解されることの方が多い。同僚の天川蛍とは看護学校の同期。
この記述は、文緒の普段の立ち振舞や蛍ルートにおける発言などを見る限り、特に違和感を覚えるような内容ではない(簡単に言えば、紹介と内容に整合性がある)。しかしそのことは、逆に文緒エンドにおける文緒の振舞を不自然なものにしてしまっている。まあエロゲーなわけだから、百歩譲って孝之にモーションをかけることはありえるとしよう(そもそもバッドエンドにすることが目的でもあるし)。しかしその後で、病院の人間に孝之と関係したことを話すのは不自然だと思う。というのも、未だ不安定な状況にある遙に悪影響を及ぼしかねないからだ。詳しく言えば、看護婦たちにしか孝之とのことをバラさないといっても、遙やその家族に漏れ伝わる危険性がつきまとう。場合によっては、遙が聞くことさえありえる。この状態の遙は三年経過していることが理解できていないため、かなり孝之にベッタリである。その孝之が、自分を世話してくれている看護婦と関係を持ったと知ったらどれほどのショックを受けるだろうか(健常者の三角関係ではなく、その一角が[重]病人であり、それに伴って致命的な影響もありうる、ということを意識する必要あり。しつこいようだが、普通に話を進めれば遙が無事退院できるというのは結果論にすぎない。あの状況において、主治医の香月医師すら容態を把握できていないのだ)?もし遙の容態について多少なりとも考えているならば、たとえ看護婦たちにでもバラさないのではないか。遙やその家族にバレる危険性を顧みず、その結果遙の容態に影響を与えることを考えていなかったというのなら、それは「考えなし=バカ」と言えるだろう(実際は、やり取りを聞いていた茜が遙にバラしたわけだが、それはあくまで結果の話)。
だから、もし紹介文のような人物でしかも看護婦なら、遙の容態を考慮してあのような真似はしないのが自然だと思われる(蛍ルートでは、孝之と関係を持った後で遙を気遣って身を引こうとする蛍の姿が描かれる。また、日常シーンや退院イベントのとき何やかやとしてくれる看護婦たちの姿が描かれている。とすれば、看護婦としての病人への気遣いを製作側は多少なりとも意識していたことは間違いない)。文緒エンドの文緒は、まさに否定しようとしていた「遊んでいるバカ女」ではないか。
こういった理由で、文緒エンドにおける文緒の行動は、必然性がなく浮いてしまっている。これは、スケープゴートとして文緒エンドを設定したこと、すなわちシナリオに必然性が存在しないことがむしろ狙いであったことのあおりではないか、と考えられる。言い換えれば、キャラの整合性以上にシナリオの目的、テーマを優先した結果だと推測されるのである。これは、実のところサブキャラシナリオ全てに通じることである。次回は、その観点から天川蛍のシナリオを考えていくことにしたい。
※文緒の行動の必然性のなさが、同エンドの必然性の欠如であるとか、色々な人間をクリアできてしまう(ある意味節操の無い)ゲームへのアンチテーゼだとかを表現していると考えれなくもないが、とりあえずエンディングの性質(スケープゴート的位置づけ)と文緒(と孝之)の行動に必然性がないことを指摘しておけば十分かと思う。ちなみにアンチテーゼについては、穂村愛美シナリオとも関わってくるので、機会があればまた考えてみたい。
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