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「癒し」のバイオポリティクス:毒書会に向けて

2019-10-18 12:49:52 | 本関係

友人と毒書会をしようぜ、と会話したのからはや二年。今度の課題を『AI原論』に決め、ようやく動き出したところだ。

 

『AI原論』は原論という題名の通り、AIの定義が曖昧なままその発達がもたらす社会変化を云々する現状に掉さす内容である。より具体的には、AI技術の発達史を概観した上で、人間の認知のありかたを分析哲学の側面などから考察・確認した上で、AIという存在をユートピアをもたらす福音でもなく、またディストピアをもたらす悪魔的存在でもなく、冷静にその性質と限界を見極めようと試みている。

 

・・・などと偉そうに書いているが、まだ第一章も読み終わってないんだよねえ(・∀・)まあこれから頑張って読み通しますが、以下に読んでいて思ったことを取り留めもなく記しておきたい。

 

【人間という存在を定点として考え、その懸隔からAIの在り様を措定するのは思考実験としては正しいと思うが、残念ながら大きな問題を抱えている、ということ】

人間とは何か?人間性とは何か?という問いに最終解はおそらく出ない。あるのは時代ごとの人間観。中世。非キリスト教徒は人間ではない。動物裁判。動物も含めてのマクロコスモス。古代ローマのロムスとレムロス。近代。近世の理性からの流れ。デカルト的二元論。普遍性の希求。人間と動物。グロティウスの国際法。国家の枠を超えた万民法。反発としてのロマン主義、ナショナリズム。エロスとタナトス。フロイト的人間観、バタイユ。

ではポストモダンの今は?民主主義、資本主義、国民国家のトリアーデが危機に瀕している今、それをポストモダンと言うことは十分に可能。認知科学の発達。人間の動物性。グローバリゼーションとともに、分断が進む。その分断は熟議では乗り越えられない。相手を悪魔化、間化。このようにして、端的に言えば近代の時に(理念・幻想として)あった人間の普遍性や特殊性への期待は縮減しているのが昨今だ。対立が進む。民主主義や国民国家は機能不全へ。資本主義は残る。相手が別に誰であろうと構わない。Amazonの職場の非人間性。あれは別に顧客に対しても同じこと。話の通じない相手とコミュニケーションを試みるより、動画を見てた方がマシ(私は半ば露悪的に言っているが、日常に関係のないアイドルなど生きようが死のうがどうでもいいし、何ならそれがホログラムですら構わない)。


偶然性に満ちた世界を直視せようとせず、ノイズの排除された世界を幼児のごとく求め、その外側にいる者たちはコミュニケーション不可能な獣だとみなすようになった時、その人間の認識レベルはウィノグラードの開発したSHRDLUのレベルに近似する。

かかる具合に人間への期待値が下がっている文脈で、AIの定義自体も重要だが、AIがどのように語られているのか?というハレーションに注目(してパターン化)することもまた、意識的にやれば有効だと思うのである。

現在の人間社会と人間観ということで私が連想したのは『愛国奴』、『癒しのナショナリズム』、『熟議が壊れるとき』。不全感の行き場。理屈より感情。『愛国奴』のAmazonレビューで「陰謀論のどこが間違っているかを書くべき」という趣旨の書き込みがあったが、いわゆる「論証」ではこのマッチポンプは崩せないんだなこれが(だから「熟議が壊れる」のであり、民主主義、正確に言えばより大きな単位の国民国家を支える幻想崩壊の序曲でもあるのだ→古代ギリシアにおけるポリスの規模なら民主主義を維持できる可能性は高まるが≠直接民主制の称揚)。

機械化によって単純労働は減る。銀行の大量リストラはその一例。新しい仕事?それは何か?あったとしても、それが見えるまで人々の不安は増大し続けるだろう。正確には、それが見えないのをいいことに適当な言説でなだめつつ技術開発に邁進し、蓋を開けたら多くの人に「健康で文化的な最低限度の生活」が待っていることは十分ありうる。

日本に関して言えば、これからの経済的衰退は避けるべくもない(官僚主義と無責任体制により、そもそも変化のスピードが遅いのと、さらにはどこを変化させるべきかが曖昧模糊としており、そもそも変化をさせるのが遅くならざるをえない構造的問題が噴出している)。また人手不足による外国人労働者の流入も進む可能性が高い(ある時期を過ぎたら彼らからも見放されるかもしれないが)。よって社会不安はどんどん促進される。連帯といっても、人は自分の椅子にかじりつくのが精一杯で回りを見る余裕などなく、またシルバーデモクラシーなどが原因で問題は解決しないわ世代間対立は加速するわとなるだろう。すると、なまじ過去の栄光があるために現状を認められず、ますます孤立と空想的排外主義が強まることは避けがたい。ならば、その処方箋として、AIを利用する。たとえば、差別的発言をするbotが話題になったが、あれがVR化して暇な時間はそれに耽溺し(=サーカス)、残りは生活保護(=パン)で食いつなぐ的な感じだ。端的に言えば、承認欲求と娯楽はAIが支配して人の不全感の拡大=暴徒化や社会不安の増大を防ぐわけである(それをやるのが政府か民間かはさておき)。まあここまで来ると、ロボトミー手術をするのと何が違うのかという話になるが、実際今のノイズ排除の傾向が強まれば、「自分が意図してやっている」という実感(自由意思幻想の担保)さえあれば、後は自由という荒野に放り出されるより毛布に包まれたまま一歩も動かない方がいい、という人間は増えていくのではないかと予想される。

中国のようなドラスティックなこと(誉められるとは言ってない)もできず、また地に足をつけて建て直していこうというには共同体崩壊が進みすぎているので、せいぜいできる方策はこの程度と思うのだがどうだろうか?まあその場合、ナムルと同じで日本は反面教師的な国家の一つとして歴史に刻まれることになるだろうが。

 

【その他あれこれ】

人間が意味付けと体系化で世界を理解している例。チェスマスターは対局中のチェス盤を見せられた時、素人と違って瞬時にその状況を理解、記憶して説明ができる。一方で、チェスの駒をただでたらめに配置された盤を見た場合は、素人とチェスマスターが記憶できるレベルは同じになる、というものだ。

AIの提言が実現できない例。地球環境のために最適なことという命題。人類の滅亡という答えだったとして、実践できない。人間を減らさずに、という条件つき。出産制限、先進国の生活水準抑制。やれんのか?神と人間の関係と同じことが起こるだけだ。幸せを維持するために、どの程度のペースで資源を使うべきか?その幸せに未来世代は含まれるのか?将来的な技術進歩という未知の要素は正確に取り込めるのか?


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