B-29の真価とは?:「天災」でもなくただの「撃墜数」でもなく、その実態を理解する

2022-07-07 12:16:16 | 歴史系

 

 

日本における空襲の語られ方を見ると、それが(どこまで意識的かはともかく)しばしば「天災」のような非人間的かつ避けようのないものとして描かれているということに気づく。それが象徴的に表れているのは、空襲する側の視点を描くケースが、『あとかたの街』のような一部の例外を除けば、全くと言っていいほど語られないことではないだろうか(もちろん日本のコンテンツは受け手の多数が日本人と想定しているだろうから、空襲側の姿は全く感情移入の対象になりえないだろうという意図で描写から除いている、という要素もあるだろうが)。そしてそのような距離感・無力感は、特に銃後の人々を反映するとともに、空襲を実体験していない人々にも類似の認識を刷り込む効果を持ったと思われる。

 

こういった理解に立てば、「空の要塞」とも言われ空襲の象徴であったB-29が、手も足も出ない存在として認識されてきたことも、驚くには値しない(さらに言えば、そこに「そんな存在を竹槍で落とす訓練」が加わることで、日本の精神主義の愚かさが強調されることまでセットになっている)。実際、B-29による空襲を描いた映画(古い例だが『零戦燃ゆ』など)を見ると、対等な存在として撃退・排除できるようなものではないとして、その頑丈さが印象付けられるような描き方をしていると言っていいだろう。

 

逆に言えば、それだからこそ、その「超越性」を否定するような材料があれば、人目を惹くのだろう。例えば、「485機が撃墜されていた!」というような具合に。そして今まで自明のように語られてきたからこそ、その言説の感染力は高く、検証よりも先に普及してしまうというわけだ。

 

この動画では、その撃墜数を踏まえた上で、被害がどのようにして起こったのかを検証し、結論として「B-29が従来想像されてきたように無敵を誇ったわけではないことは事実としても、分母から来る被害の割合や被害の実態、そしてアメリカ軍の圧倒的物量を踏まえると、実際のところ有意な被害を与えたとは言い難い」と述べている。けだし卓見と言えるのではないだろうか。

 

様々な話題で何度か強調しているが、重要なことは実態を元に比較対象などを行いつつ適正に評価することであり、苛烈な空襲のイメージだけに基づいて過大評価することも、あるいは数字を持ち出してもその内実を吟味することなく過小評価することも、ともに正しくない。その意味で、冒頭で取り上げた動画は、単に扱うテーマそのものだけでなく、そのスタンスについて学ぶべきところが多いと言えるだろう(実態を正しく把握しようとせず己の自尊心のために対象を捻じ曲げて理解するのは、物事を考察する上であるべき態度とは言い難い。人間はバイアスを免れるものではないが、それを自覚した上でどこまで真摯に向き合えるかが重要なのではないか)。

 

さて、今回このような話題を取り上げたのは、こういった「0か100かで考える弊害」は今なおよく見られると思うからだ(ゼロリスク信仰もこれにあたる)。例えば人口動態を見れば、日本の少子高齢化がしばらく進展し続けることは間違いなく、人口及び生産人口の減少は不可避である。つまり経済規模は放っておけば縮小を続けるわけで、それは海外市場にとって魅力の減少にもなり、さらに日本の衰退を加速させるだろう。

 

しかしそれは、「日本が滅びる」とか、「日本が世界の最貧国になる」ことを意味しない。そのようなタームはいかにも日本の厳しさを受け止めているようでいながら、むしろ「死は救済」のように、滅びるという言葉を弄ぶことで思考停止に酔いしれているだけなのではないか。実際にはもっと微妙な形で、それこそ賃金はほぼ変化がないのに日用品は徐々に値上がりを続けるとか、医療サービスを受けられる場所が特に地方では大幅に減るとか、そのようにして真綿で首が締まるように状況は悪化していくのである。

 

ちなみに今述べたこと、特に人口動態はかなり確度の高いものであり、よほど何か策を打たなければ不可逆である(ついでに言えば、韓国や中国にも急激な出生率の低下は起きており、ある種儒教的社会の現代文明への適応不全という見方すらできるかもしれない←ヴェトナムの検証必要)。このようなものを踏まえても、具体的な根拠を示さず、あまつさえ周辺国が衰退する「だろう」といった、予測というより期待に基づいた憶測を元に今のままで問題ないと考えるのも愚かである(自分のガンが進行していて有効な治療ができていない時に、他の人間のガンが自分より早く進行しているからと言って自分は大丈夫だと考えるのは全くのところ現実逃避に過ぎない、という話。ちなみにこういった「他者が自分の思惑通りに動いてくれる」と大して根拠もなく期待して盛大に失敗する、というのは先の大戦で何度も日本軍がやらかしていることである)。

 

もちろん、この閉塞に抜け道が全くないという話ではない。例えば物価安と質の高さを生かしてインバウンド経済を徹底的に推し進め、スペイン的な国を目指すのも一つの方法だ。生産人口の減少も利用してDX化の大ナタを振るい、労働力の減少を補いつつ、外国人が旅行で利用しやすい状況を作り出す、というわけだ。

 

ただ、そのような一つの方針にしたところで、例えば「逃げ切り」しか考えない上の世代、いまだに現金に固執する=変化に適応しようとしない人々、新規のシステムの導入を遅らせるゼロリスク信仰(危機管理やリスクヘッジはもちろん重要)、そういった閉塞を忍耐や清貧で正当化して疑わないメンタリティetcetcetc...といった環境要因や阻害要因を適切に理解しておかなければ、解決策を思いつく=将来は問題ないという妄想に取りつかれて終わりだろう(それは新兵器が導入できれば戦況を一変できると猛進していた戦争末期と似ている)。

 

そんなB-29の理解とのアナロジーを述べつつ、この稿を終えることとしたい。


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