ひぐらし鬼隠し編再考5:「祟り」の周辺

2007-11-16 02:13:44 | ひぐらし
今回のものは、考察と言うよりはむしろ本文の記述をそのまま載せたものが多い。とはいえ、真相が判明した今の段階で見ると、伏線などの再発見があると思う。


<富竹関連>
◎発言…知ってるくせにここまで言えれば大したものだ
(圭一の「レナが富竹を*すかも」という発言に対して)「それはよそ者に対する警告かい?」
「オヤシロさまの祟りなんて元々ない。一連の偶然を、あると信じている人たちがそう吹聴しているだけさ」

◎外傷の部位から見て複数犯の可能性→村ぐるみ、綿編も考えると園崎ぐるみ、祟り?
最初から集団であることは提示されていた。それでも、目明し編の犯人などに引きずられてその描写から色々考えるのをなおざりにしていた記憶がある。

ところで、TIPSでは富竹のガタイがよくてタイマンならそうそう遅れを取らない、などと言っているが、戦闘力が曖昧だと「かぁいいモードのレナなら一人でもトミーに対抗できる」などとなり、事によっては「何でもあり」に堕する。

◎カメラを撮っていたから祟り=いくらでも後付けはできる
神の罰」も参照。結果が理由を作り出す。

◎富竹=仲間→「仲間を殺した犯人を見つけなきゃ!」 
この発言は原作になかった気がする。その記憶が正しければ、圭一が首を突っ込む必然性を強めたかったのだろう。

◎それが怖いんですよ…徐々に希薄になっていくのが⇒次は圭一=他人事ではない
祟りの被害者は村の仇敵だったが、それが単なるよそ者程度の枠組みになっているという大石の指摘。圭一が危機感を覚えるきっかけ。

◎玄関でバットを振り回す圭一→トミーの角材と重なる
なお、真実を見せた後でそれを警察などがどう分析するのかを提示するという手法はおもしろい。個人的には「カラマーゾフの兄弟」を思い出した。


<法則性、ルールへの誘い>
◎ひとつわかったのは…正しい祟りの犠牲者は、常に複数人らしいということで→法則性

◎村人も法則性を信じるか?
鷹野は鬼隠しか駆け落ちか。診療所の会話は、老人たちのものの割には切羽詰った感じがしない。最終日の魅音が単に気にし過ぎなのか?いや、目編で老人達がどれだけ祭具殿を神聖視していたかをわざわざ描いたことを考えると、鷹野にはダム工事の仇敵というイメージがないため、こんなのんびりした会話になったのかもしれない。

◎「祟りと鬼隠しは一緒に起こるって[レナと魅音は]言ってましたけど…どういうことですか?」⇒共通性・連続性
※二年目がこじつけっぽく聞こえるのも…
※※(隠すがゆえに)「犯人の一味」と思われる彼女らが話しているので信憑性あり、となる。


<疑う気持ちと信じたい気持ち…信じようとするたびに何かが起こる>
「見たいものが見える」という症候群の性質からするとこれは奇妙だ。圭一の発言が真情を代弁しておらず、実は奥底になる疑念を押さえつけているだけだと考えれば、一応辻褄は合う。ただ、現行の説明を全てみたわけではないが、症候群の症状はかなり曖昧であり、正直「作者にとって便利な病気だなあ」という皮肉めいた感想を持っている次第。


「本当に…オヤシロさまの祟りは実在するんだろうか?正直に白状する。…俺はオヤシロさまの祟りを信じている。そして怖い。だからこそ、祟りなんかじゃなく、何者かの起こした陰謀であると決めつけたい。」

「祟りを信じまいとする俺は人間の犯人を切望し、…近しい仲間たちにその嫌疑がかかった今、都合よくすり替え、今度はオヤシロさまの祟りのせいにしようとしている。俺にとって、レナたちが一連の事件に深く関わっているかもしれないことと、オヤシロさまの祟りが実在するのを認めるのと、…どちらがマシなのだろう。」


最後に。白いバンは圭一の反応を見たかったのだろうか…?

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