蒼き流星レイズナー再び:舞台設定の演出・戦争の惨禍・境界的存在

2021-07-21 16:38:38 | レビュー系

 

以前の記事で「海のトリトン」やundertaleと合わせて「蒼き流星SPTレイズナー」を紹介したが、先ごろ第一話が無料公開されたので掲載しておこうと思う。

 

きちんとした形で見たのはずいぶん久しぶりだが、改めて見直してみても、

・(おそらく意図的に)幼くて拙いヒロインのモノローグと、対照的に容赦なく連鎖する悲劇

・未来の火星の様子が描かれているのに、全体として曲が全て暗めで不穏な未来を予感させる

・火星まで来た若者グループに花が送られる。これは最初何も説明されないため、「なんでこんなものわざわざ渡したの??」と視聴者に思わせるが(実際、受け取った側はきょとんとした反応)、事後的にそれが火星という過酷な環境でどれだけの労力をかけて作り出されたものかが説明される。この演出によって、「自分たちにとっては些細なもの・自明のように見えるものでも、それはこの世界・この環境では自明のものではない」ことが示される(その落差は、例えばバラード的世界で描かれるその世界の常識と現代の我々の認識ギャップに似ている)。

・主要人物たちの様子とそのキャラクター像がさりげなく描かれるが、だからこそ後の出来事がただのアクシデント(=モブの死)ではなく、視聴者にとっても悲劇(血の通った=感情移入可能な存在の死)として共有されやすい構造になっている。

・「50cmの差」というのは例えば先の大戦の空襲などを思い起こせばわかりやすい(作品で言えば東京大空襲を描いた『火の瞳』や名古屋大空襲を描いた『あとかたの街』)。それが露出させる生と死の「偶然性」は、日常の終わりを否応なく認識させるものである。

・戦禍によって暗転する若者たちの未来
→戦争によって翻弄される人生、という意味では映画の「ひまわり」などが連想される

・散々アメリカだソ連だと言った後に、ラストの意味ありげなセリフでの終わり方。
(もちろん、彼の出自がわかった状態で見ると、それがさらに深い意味を持つこともわかるのだが)

 

という具合に、約20分という短い時間で視聴者を引き込む圧倒的な演出の数々はさすがであるなあと改めて感心した次第。よければこの機会にぜひ視聴をお勧めしたい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北陸遠征の記録:黒部渓谷を... | トップ | 北陸遠征の記録:二日目の寝... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

レビュー系」カテゴリの最新記事