リンクを貼るために自分の文章を見返していると、その出来の悪さに苛立ちを覚えることがある。例えば先日の「ひぐらし綿流し編再考2」なら、最後の戦闘力の部分は「リアリズムをどこまで追求するのかが曖昧」といった表現を入れるだけでかなり分量を少なくできるし、またわかりやすくなるのではないか?
まあ要は無駄が多いのだ。その無駄は単に文章力がないだけでなく、過剰な自己顕示欲が文章に贅肉を与えているのも一因と . . . 本文を読む
<血が繋がっているということ>
仮に好きになった女性がいたとして、その人が兄弟とすればどうなる?繋がっていない[正しくは「繋がっている」]とわかったら冷めないか?もし気持ちが変わるなら後天的な理由と考えられる…近親相姦の問題など、自分に繋がっている方が(自分の分身だから)愛せるのなら、その根源は親子であるという社会的関係ではなく自己愛ではないか?先天的な理由、DNA[もし自分の子が本当の子でないと . . . 本文を読む
PS2版において、圭一を主人公にした場合のプロローグは「羽入が謝る」という内容で共通している(要は鬼編ので共通している)。ということは、綿編や祟編も症候群の予備軍になっていると考えてよい(正確には「L3あたりまで症状が進んでいる」といったあたりか)。原作と違い、このような共通したプロローグを採用するメリットは何だろうか?もっとも大きいのは、以前疑問を呈した祟編の圭一の暴走の説明がつく、ということだ . . . 本文を読む