前回のエンディング考察を中断する形で申し訳ないが、やはり一番重要な問題について述べておきたいと思う。それは、前にも触れた「主人公の言動・行動をいかに理解するか」というものである。これについて色々なレビューを見るかぎり、基本的な要素すら理解されていないと感じることが多いため、指摘する必要を感じるのだ。なお、内容的に君望をひたすら擁護しているように見えるかもしれないが、私自身も多くの批判・不満を抱えて . . . 本文を読む
君望において鳴海孝之をどう捉えるか、彼とどう付き合っていけばいいかについて、前回は述べた。この話題についてはまだ語るべきことが山積みなのだが、いちおう話が一段落したので君望のエンディングについて考えてみたい。
君望におけるエンディングは、「~と付き合うことになった」といった垂直・閉鎖的な内容にとどまらない。関係がこじれた状態から話がスタートすることもあって、「全体における一側面」という性格を持っ . . . 本文を読む
例えば、「重要なシーンで選択肢が出ない上に望まないような行動を取るのでストレスが溜まる」といった批判が見られるが、むしろ私は「なぜ選択肢が出ないのかを考えたか?」と問いたい。前提に立ち返ればわかることだが、選択肢はあくまで手法の一つに過ぎないのだ。考えてみてほしいのだが、選択肢のあるゲームにおいて、例えば毎朝「学校に行くor行かない」という選択が出てくるだろうか?私の知る限りそんなゲームはない。な . . . 本文を読む
率直に言って、鳴海孝之を感情移入の対象と捉えるのは誤りである。例えば、第一章の告白シーン、第二章で水月を殴るシーンを思い出してもらいたい。これらは、普通に考えればありえない内容と言える。というのも前者は、付き合う子を選ぶというエロゲーの性質に反するし、後者は話の文脈から言って明らかに孝之に非があるように描かれているからだ。このシーンを見ると、単に表現が稚拙or何かしらの意味があると推測できるのだが . . . 本文を読む
孝之(主人公)が「へたれ」とか「究極の二股ゲーム」とか言われるが、なぜか根本的に重要な「生活」という要素には触れられない。なるほど従来の物語は「生活」という日常を二次的な要素として位置づけるのが一般的だが(それは虚構が日常からの脱却という側面を強く持っているから)、君望では行動が強く生活に規定されるというリアリズムのもとに話が構成されているのだ。例を挙げると、水月との間に持ち上がる結婚話が水月との . . . 本文を読む
以前YU-NOについて言及したが、それに次ぐ傑作として「君が望む永遠」がある。内容についてのレビューは別の機会に譲り、今回は設定・演出とからめて涼宮家の人物配置などについて考えてみたい。なお、涼宮家の構成は父、母、遥、茜の四人である。また、ネタバレを含むのでその辺注意されたし。
<事故と涼宮家>
涼宮遥は1999年事故に遭い、昏睡状態に陥る。三年後に目を覚ますことになるのだが、その経緯は . . . 本文を読む