犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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まさがいだらけの日本語 現代かなずかいの巻

2015年03月20日 | 国語真偽会
この頃よく見かける表記に、
《見ずらい、やりずらい》といったものがある。

じゃあなんだよ、「ずらい」って。
ある語に続いて発音する時に濁音になることを、連濁と言う。
《見ずらい》
ではこの連濁が起きている。
じゃあなんだよ、「すらい」って。
ファミリー・ストーンか?とファンカティアの私は内心叫ぶ。

現代仮名遣いは、文部省のもとの国語審議会によって検討の上、
1946年に公布、1986年に改訂された。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19860701001/k19860701001.html

前書きの1、つまりしょっぱなに、こうある。
1 この仮名遣いは,語を現代語の音韻に従つて書き表すことを原則とし,
一方,表記の慣習を尊重して一定の特例を設けるものである。

つまり、耳で聞こえたとおりに書けばいいんだよ、ということである。

『ミズライ』

つらい。

見るのがつらいから、「見づらい」。
「見づらい」と書けば、『ミズライ』という音の語が、
どんな意味で、どういう構成でできている語か、といったことがすぐわかる。
「づ」の音は「ず」と同じだからと言って、
《見ずらい》と書くようにしたら、さきほど述べたように、
「ずらい」や「すらい」の意味はまるでわからなくなってしまう。

現代仮名遣いによって、音韻と表記の統合をすすめてきたために、
今、私たちは古典を読む時に難しく感じるようになってしまったと思う。
仮名遣いなんて習慣的なものだから、
「ず」と発音していても「づ」と書くようにしていれば、
なんてことは無い。
間違って「ず」と書いても、わからなくはない。という側に寄っていた方が、
元を辿りやすい。

戦後に公布されたということは、その時点で現代的な仮名遣いが
広まっていたのだろう。
現実に合わせた制度にした、ということだったのではないだろうか。

しかし、結果として私たちは古典が読みずらくわかりずらくなってしまった。おっと
それやこれやで国語審議会は、国語真偽会、などと揶揄されることもある。

かく言う私も、現代仮名遣いで育ってきて、
元来の表記がわからなくなってしまった語は山ほどある。というか、ほとんどそうだ。
旧仮名遣いでブログを書いてみろよ、と言われたらお手上げだ。

ちょいと手前で「難しい」とキーボードで打つ時に、私は
muzukasii
と入力した。
『ムズカシイ』は、「むづかしい」であり、
「むづかしい」と表記すれば、元は「むつかしい」が濁った語だという歴史が
一見してわかる。
『ムズカシイ』と表記してしまったら、言葉が経てきた時間が損なわれる。

「ズ」ならzuだが、「ヅ」ならduだ。
だから、仮名遣いにうるさく言うなら、
mudukasii
と打鍵しろという話になる。
が、そうはしない現代っ子だ。

もっと言えば、音声学的に見ると、『ズ』と聞こえる音にも
いくつもの発音が実はある。

今日はこのへんにしとこ。
また明日。

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