夜更けに、ノートパソコンに向かったまま、居眠りしてしまった。
目が覚めると、画面が反時計回りに90度、回転していた。
つまり、右が下になって左が上になっている。
上が右で左が下で・・・
つまり、首を左に90度曲げると見られる。
私が寝ている間にどうしたんだお地蔵Ⅱ?
(お地蔵Ⅱは私のノートパソコンの愛称である。)
縦長画面になって、まさかipadに憧れたとか?
そのまま少し使ってみる。
マウスポインタの操作がもっともややこしい。
見た目、右へ動かしたい時には、下へと操作する。
画面の右は下だからだ。
ウエエ。
以前使っていたノートパソコンは、ディスプレイ面が180度開き、
完全に平たくなった。
そして、画面を180度回転させて表示させることができた。
向かい側にいる客に向かって画面を見せながらプレゼンテーションできる、
というのだ。
そのノートパソコンをそのように利用することは、ついに無かった。
そして今、平たく開くわけではないノートパソコンの画面が90度回転している。
何に利用できるのか、朝を迎えた今もわからない。
※
先生が机に向かって仕事していて、頭のてっぺんをまじまじと見たことがある。
家族以外の大人の頭のてっぺんを、あまり見たことが無かった。
ことに先生である。
いつも堂々と教壇に立っている先生の頭を、上から見たのだ。
ふつうにつむじが有って、白髪が混じっていて、
ちょっと聞き分けの無い毛が有ったりして。
いけないものを見たような心持ちが、かすかにした。
※
NASAの探査機ジュノーが、木星の南極の写真を送ってきた。
ガス惑星である木星の表面は、気体が渦を巻いている様子で、
それは子どもの頃から見てなじんでいる。
しかし、なじんできた木星の姿は、茶色っぽくて、横縞で、
赤く大きい渦がある。
南極から見た木星は、もちろん横縞ではないわけだし、色あいも違う。
おなじみの大赤斑も見えるわけがない。
茶色い周辺から極は濃い青に以降していて、そこに小さい(実際は巨大だろうが)
白い渦が点々とある。
まるで、曜変天目茶碗のような眺めだ。
この写真を「禍々しい」と言ってみたり、
木星のオーロラを「ジュノー接近を呪うかのよう」と言ってみたりする
報道のしかたが、私はとても嫌いだ。
自分が見慣れないものを見ただけのことであり、
原始人が日蝕を祟りだと言って大騒ぎするのと同じ感覚だろう。
しかし、なんとなく、見てはいけないものを見ちゃったような気持ちになるのは、
わからないではない。
ふと、先生のつむじを思い出した。
目が覚めると、画面が反時計回りに90度、回転していた。
つまり、右が下になって左が上になっている。
上が右で左が下で・・・
つまり、首を左に90度曲げると見られる。
私が寝ている間にどうしたんだお地蔵Ⅱ?
(お地蔵Ⅱは私のノートパソコンの愛称である。)
縦長画面になって、まさかipadに憧れたとか?
そのまま少し使ってみる。
マウスポインタの操作がもっともややこしい。
見た目、右へ動かしたい時には、下へと操作する。
画面の右は下だからだ。
ウエエ。
以前使っていたノートパソコンは、ディスプレイ面が180度開き、
完全に平たくなった。
そして、画面を180度回転させて表示させることができた。
向かい側にいる客に向かって画面を見せながらプレゼンテーションできる、
というのだ。
そのノートパソコンをそのように利用することは、ついに無かった。
そして今、平たく開くわけではないノートパソコンの画面が90度回転している。
何に利用できるのか、朝を迎えた今もわからない。
※
先生が机に向かって仕事していて、頭のてっぺんをまじまじと見たことがある。
家族以外の大人の頭のてっぺんを、あまり見たことが無かった。
ことに先生である。
いつも堂々と教壇に立っている先生の頭を、上から見たのだ。
ふつうにつむじが有って、白髪が混じっていて、
ちょっと聞き分けの無い毛が有ったりして。
いけないものを見たような心持ちが、かすかにした。
※
NASAの探査機ジュノーが、木星の南極の写真を送ってきた。
ガス惑星である木星の表面は、気体が渦を巻いている様子で、
それは子どもの頃から見てなじんでいる。
しかし、なじんできた木星の姿は、茶色っぽくて、横縞で、
赤く大きい渦がある。
南極から見た木星は、もちろん横縞ではないわけだし、色あいも違う。
おなじみの大赤斑も見えるわけがない。
茶色い周辺から極は濃い青に以降していて、そこに小さい(実際は巨大だろうが)
白い渦が点々とある。
まるで、曜変天目茶碗のような眺めだ。
この写真を「禍々しい」と言ってみたり、
木星のオーロラを「ジュノー接近を呪うかのよう」と言ってみたりする
報道のしかたが、私はとても嫌いだ。
自分が見慣れないものを見ただけのことであり、
原始人が日蝕を祟りだと言って大騒ぎするのと同じ感覚だろう。
しかし、なんとなく、見てはいけないものを見ちゃったような気持ちになるのは、
わからないではない。
ふと、先生のつむじを思い出した。