犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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離人感ありました

2015年07月28日 | からだ
[あらすじ] 鬱病あるあるーー やる気出ない、眠れない、味がしない


鬱病が増えた、と言う。
鬱病の診断基準が変わったことや、鬱病という病名がよく知られるようになったこと
などが関わっていると思う。
社会のあり方が影響していると言う。たしかにそれもあるだろう。
ただ、私が思うに、夜中まで煌々と強い灯りを使えるようになったことが大きい
のではなかろうか。
自律神経のリズムが狂い、心身に変調をきたす。

ともあれ、何事も、ひとつの要素からだけでは言えない。
多くの要素が複雑に作用しあい、今の状態を作っている。
個人的にも、社会的にも、環境的にも。





深大寺の朝は美しい。
空は無限に続き、色を変えてゆく。
風は凪ぎ、夜明けのひんやりとした空気に包まれる。
小鳥たちの声が重なり、カラスは餌場へと飛びたつ。
深い緑はたくさんのいのちをはらんでいる。





現実感がなくなる。
現に、いま、つらい状態にある。
充分に眠れず、常に疲労感があり、食べる楽しみも無い。
しかし、放っておけばいい。
知ったことか。
自分が苦しんでいる感じがしない。

現実感がなくなる。
毎日毎朝、水道検針の仕事に出かける。
身体を動かして、作業をする。
額に汗をする。
しかし自分の体温を感じない。
労働後のどかんとした疲労を感じない。
数字を追っていく。
一軒一軒の数字をただ追っていく。

現実感がなくなる。
窓から見える景色は、窓にぴったりサイズの写真がはめ込んであるように
感じられる。
窓を開いて外の空気を吸い込む、ようなものではなく、
むしろ額が飾ってあるかのようだ。
しかも、額の中の写真は緑豊かで生き物たちの声にあふれているにも関わらず、
美しくない。
静止している。
表情が無い。
触れることができない。
遠い。

こういった感じを、離人感と呼ぶ。

実感が薄れる。
自分が主体でなく感じる。
周囲のすべてが遠い。
周りとの隔たりを感じる。
環境に直接触れたり関わったりしていない感覚がある。

離人感という言葉からは意味がわかりにくい。
ではどう言えばいいかというと、これもまた迷う。
私はしかたなく、非現実感と呼んでいる。


周囲が精彩を失い、自分がここで自分自身であることが
遠のく。

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