半紙からはみ出るかという勢いで墨痕黒々と文字が溢れている、
というようなのを、子どもの書道でよく見る。
良い良い。
小学一年生は一年生なりにでっかく。
中学一年生は中学生なりにでっかく。
子どものうちに、半紙に一字や二字の大きな文字を練習する意味はあるだろう。
けれど、日常生活の様々な場面、たとえば熨斗袋に表書きするとか、
芳名帳に名前を書くとか、
筆でなくとも、何かの書類にサインするとか、送り状を書くとか、
あるいは色々な趣味、たとえば俳句や短歌だとか、絵手紙だとか、
写経だとか、
そういった時には、さほど大きい文字は書かない。
実用ということを考えると、小さい文字を練習するということを
義務教育の初期に入れたほうがいいんじゃなかろうか。
低学年の頃の文字の練習は、文字をおぼえるということに重点が置かれている。
おぼえた次の段階でもいいから、どう書くと整うか、ということを教えているだろうか。
教えていないのに、作文の字が稚拙だと先生は「字が汚い」とか「字が雑」とか
赤ペンを入れてやしないだろうか。
思えば小中学生の頃、書道の時間に、40分だかの授業時間の中で、
まあまあの字を書き上げて、では提出するという段になって、
小筆で左に名前を書く、これが苦手であった。
小筆での書き方も、自分の名前の書き方も、教わっていないのだ。
実はこの部分が、オトナになっても使う場面がある部分だというのに。
「数学なんて実生活で使わないし」という言い方をよく聞き、
それはそれで反論したい部分もあるが、
「大筆なんて実生活で使わないし」と言われたら
ほんとにそうだと思う。
なんなら、筆ペン習字も取り入れてもいいんじゃないか。
筆ペンは腰の固さが色々で、文字を書き始めてから戸惑うこともある。
そういうところも教えるとか。
とにかく、のびのびと書くことと、
日常生活につながることを教えたらいいんじゃないか。
せっかく識字率の高い日本なのだし。
義務教育って受ける価値がある、と思えてくるだろう。
というようなのを、子どもの書道でよく見る。
良い良い。
小学一年生は一年生なりにでっかく。
中学一年生は中学生なりにでっかく。
子どものうちに、半紙に一字や二字の大きな文字を練習する意味はあるだろう。
けれど、日常生活の様々な場面、たとえば熨斗袋に表書きするとか、
芳名帳に名前を書くとか、
筆でなくとも、何かの書類にサインするとか、送り状を書くとか、
あるいは色々な趣味、たとえば俳句や短歌だとか、絵手紙だとか、
写経だとか、
そういった時には、さほど大きい文字は書かない。
実用ということを考えると、小さい文字を練習するということを
義務教育の初期に入れたほうがいいんじゃなかろうか。
低学年の頃の文字の練習は、文字をおぼえるということに重点が置かれている。
おぼえた次の段階でもいいから、どう書くと整うか、ということを教えているだろうか。
教えていないのに、作文の字が稚拙だと先生は「字が汚い」とか「字が雑」とか
赤ペンを入れてやしないだろうか。
思えば小中学生の頃、書道の時間に、40分だかの授業時間の中で、
まあまあの字を書き上げて、では提出するという段になって、
小筆で左に名前を書く、これが苦手であった。
小筆での書き方も、自分の名前の書き方も、教わっていないのだ。
実はこの部分が、オトナになっても使う場面がある部分だというのに。
「数学なんて実生活で使わないし」という言い方をよく聞き、
それはそれで反論したい部分もあるが、
「大筆なんて実生活で使わないし」と言われたら
ほんとにそうだと思う。
なんなら、筆ペン習字も取り入れてもいいんじゃないか。
筆ペンは腰の固さが色々で、文字を書き始めてから戸惑うこともある。
そういうところも教えるとか。
とにかく、のびのびと書くことと、
日常生活につながることを教えたらいいんじゃないか。
せっかく識字率の高い日本なのだし。
義務教育って受ける価値がある、と思えてくるだろう。
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