犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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時代と私の時代

2015年01月21日 | LGB&T
[あらすじ] 筆者は生物学的には女性だが、性別の自認は女性ではなく
しかし男性でもない。且つ、恋愛対象は女性。


ということを、去年の4月末に、ブログ上でカムアウトした。
これで、ここを読んでくれている人たちには、カムアウトできたわけだ。
不特定少数とでも言おうか。

では今まではどうだったかと言うと、
なにもまったくひた隠しの隠しだったわけではない。

20代には、小学校からの同級生をはじめとして、
身近な友達数人に、ぽつ、ぽつと話した。

この頃、別冊宝島『女を愛する女たちの物語』(1987/5)が刊行された。
これは、私が他の存在を知る大きなきっかけとなった。

ゲイ・リブの動きや、レズビアニズムというものを知り、
ミニコミ誌を購読し、日本で最初のゲイ・プライド・パレードが開催されることも知った。

社会が動こうとする、歴史に残る時代だった。
私はパレードの実行委員会に参加した。
多くのゲイ・レズビアンなどがいる、ということを社会的な活動で
知らせる必要があると考えていた。感じていた。信じていた。

同じ理由で、個人的なカムアウトも、必要だと考えていた。
ひとりひとりがカムアウトしていくことで、社会は変わると信じていた。

集団での行動でも、受け入れる社会のあり方によっては血が流れることがある。
日本のパレードに先立つこと25年、
米国で、世界ではじめてのゲイ・プライド・パレードが行われたきっかけは
ゲイ・タウンでの闇討ちから始まる暴動があった。

個人での行動では、私の場合、身体的な暴力に合うことは無かったが、
こころもちに傷を負うことはあった。
しかし、そういう、巷間の個人が傷を負ってでも、知らせていく必要がある、
言わば犠牲を払わねばならない時代だと考えていた。

それから、5年、10年、20年と経つうち、少しずつではあるが
社会の意識は変化してきたように思う。

自分も、20代から40代になった。
まず、自分自身が性的マイノリティであることを受け入れる作業が進んだ。
社会の変化と相まって、マジョリティに対して知らせる必要がある、という
力みは次第に遠のいていった。
また、子どものある人との恋愛をし、家庭を持つ中で、子どもにどのように伝えていくか
という、あらたなでっかい個人的な課題のほうが自分の中で大きくなったこともあった。

そんな流れで、今は「社会に知らしめなきゃ」という気持ちは薄らいだ。
こんなふうに、いくばくかの使命感をもってブログに書いてはいるが、
これでも薄らいでいるのだ。
個人的なカムアウトも、あまりしなくなった。
わかるひとはわかる。わからんひとにはわからんわ。

あとは社会が動いてくれる。
そんな感覚すらうまれている。

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