犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

しあわせなら手を打とう

2016年03月25日 | 日々
ちょっと前に、このブログに、「しあわせだ」と書いた。

http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/e60480d94449ebb93b4ef91de8109eae

たしか、一年くらい前だったように記憶していたが、
とっくの3年前だ。
3月23日というから、ちょうど3年前だ。

今、私は同じように感じていない。
しあわせだと思っていない。

もちろん、しあわせな部分は数多くある。
家があって、雨露しのげる。
銭があって、毎日飯が食える。
着る服があり履く靴がある。
衣食住に足りている。
まともな親がいて、犬を飼う余裕もあり、近所に親しい友だちがいる。
ありがたいことだ。

そして、やりたいことがたくさんある。
やりたいことをやりたいと思える精神状態というのも、
なかなか得難い健康状態だ。
何も手につかないという時間も長く過ごしたので、
これもしあわせのひとつだとは思う。

うつの人をいかにサポートするか、という講義の中で、
うつは向上心のひとつの表れだ、という説明があった。
ありたい自分の姿と、そうなっていない現実の自分の姿との
ギャップに苦しむのだ。

行動に出るには元気が要る。
向上心を持つことにも元気が要る。
元気を出す余裕が無いと、悪循環にはまる。

音楽をやめて、鍼灸をやりつつ家庭を持ったがそれもやめ、
親の介護を大儀名分に実家に戻り、
さして意欲的に何かに取り組むでもなく、
ちょこちょこと酒でも飲んで暮らしてりゃあ、
そりゃしあわせだろう。
3年前は、そんな時期だったのだ、と思う。

読み返してみると、自分でもうすうすわかっちゃいるようで、
「そこに満足していること」と書いている。
現状に満足している。
それが幸せだ、と言っているのだ。

今思えば、
なさけない
とも思う。
まるで余生だ。

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