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『トップガン マーヴェリック』〜作家性を打ち消してきた「トム映画」というジャンル

2022-09-28 23:11:00 | 映評 2013~
トップガン・マーヴェリックについて連投しちゃう

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そういえば大スターには2種類がある
作家性を重視するスターと、作家性を求めないスターだ
スタローンとシュワルツェネッガーを比べてみよう
シュワルツェネッガーは自分を売り込むために強い作家性を持つ監督と組むことを望んだ。ジェームズ・キャメロン、ポール・ヴァーホーベン、ウォルター・ヒル、アイバン・ライトマン…
対してスタローンは彼の映画で監督が注目されることはあまりない。スターになった後だとレニー・ハーリンくらいで、多くの映画は監督など誰でも良いような映画だった。

トム・クルーズを考えた時、彼はシュワルツェネッガーのように作家性を追い求めた時期を経て、スタローンのように作家性を求めないスターになっていった気がする。しかしトムは誰と組もうとも彼の映画はトム映画だった。

ここでは『トップガン・マーベリック』を『トップガン』の続編としてよりも、トム映画として評してみたい

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思えば『トップガン』は娯楽作としてはめちゃくちゃだった。トップを目指せというわかりやすいプロットが主筋で、最後の戦いは物語的にはとってつけた感があるが、でも映画で一番やりたかったことでもあった。
セリフとか、キャラの行動も、いつ見返しても笑っちゃうし、あちこちこれでもかとバカバカしかったが、隙間なく本気が詰め込まれていた。
当時も今も『トップガン』を名作映画として例えば黒澤映画や、スピルバーグや、ローマの休日や市民ケーンや2001年宇宙の旅と同列で評価する人はいない。しかし間違いなく『トップガン』は「80年代」のアイコンだった。映画としてできがいいとか悪いとかでなく80年代を生きた人は『トップガン』に直接間接に影響を受けてきたと思う。
そしてやっぱり思うのが『トップガン』は映画の新ジャンル「トム映画」の原形ではなかったか?
いや、トップガンそれ自体はトム映画というより、監督トニースコットのしっちゃかめっちゃかな作風を決定づけた作品であるし、さらに元を辿ればジェリー・ブラッカイマー映画の文法に乗っかった映画であった。
トップガンはトニー・スコットを目覚めさせた。

その後トニー・スコットはストーリーテリングの技を磨きに磨きそれでいてトップガン以上のめちゃくちゃさにも拍車をかけて「バカ」と「天才」の完全な同化に成功した映画史でも稀有な、そして孤高の作家となった。『エネミーオブアメリカ』から『アンストッパブル』までの数作は輝ける傑作群で(『サブウェイ123』だけは酷かったが)、私の中であのころ(2000年代くらい)のトニーはクリント・イーストウッドと並ぶアメリカ映画の巨匠だった。

そのトニー・スコットによる「トップガン2」の企画もあった。
その昔ちょっと読んだ記事では、ゲームオタクの少年がドローン戦闘機の操縦士となり、彼をマーベリックが鍛える…という話だった。これだけ読むとめちゃくちゃつまらなさそうな話だが、企画段階の話だし、トムクルーズが前作のトム・スケリット的な役で満足するはずもないし、ましてトニー・スコットがフツーに撮るはずもないし、それはそれで期待していたのだが…
トニー・スコットは2012年に自ら命を絶ったのである。

話を「トム映画」に戻す。
トップガンはトムクルーズの俳優としての魅力を出しまくった作品だった。頭は悪くてもいい、5分に一度やたら自信満々なニヤケ顔をして、2時間映画なら80分くらいのところで挫折してりゃいいのである。
映画作家たちも自信満々な若者像を利用して、そんな彼がベトナムで負傷したり、自閉症の兄がいたりって物語でイメージとのギャップを与えて、それを感動や面白さにつなげてきたのである。

しかしトムもただのアホっぽいイケメンであることに当然のようにあきてしまい、だからアホっぽいトニー・スコットとはトップガンの焼き直し映画とか車のトップガンとか言われた『デイズオブサンダー』を最後に組まなくなったのかもしれない。(ただしデイズオブサンダーはトムとニコールの出会い映画でトム史的には重要なのと、トップガンの焼き直しであっても、いや、であるが故に、めちゃくちゃ面白い映画だった)
思えば90年代から2000年代トムは「俺は芝居のできるスターだ!」「俺はレジェンド監督たちと映画を作って映画史に名を残すんだ!」という思いが溢れていたように思える
なんかやたらクセの強い監督たちの作品にばかり出ていた気がする。
キャメロン・クロウ
ポール・トーマス・アンダーソン
アレハンドロ・アメナーバル
ミッションインポッシブルだって最初の二作はクセしかないようなブライアン・デ・パルマとジョン・ウーだった
極め付けはキューブリックとスピルバーグか

しかし、この時期の、これだけ様々な監督が趣向を凝らし、作家性むんむんの傑作力作を作ったというのに、なにか全てが「トム映画」という一つのジャンルに収斂されているような気がするのは私だけだろうか?

誰が何をやっても、あのキューブリックを持ってしても、それはトム映画でしかないのだ。
いくつかの作品では当時のお抱えライターのロバート・タウンあたりにトムが望むものへとリライトさせていたというのもある。
でもそれだけではないだろう。トムの熱意みたいなものは監督にもプロデューサーにも共演者にも伝染するのではなかろうか。
あるいは彼の芝居が、決して「上手い」わけではないがやたら熱くて見ていて面白いので、ついカメラが顔に寄りがちになり、それが作品全体を支配するトーンになってしまうのかもしれない。
だって『アイズワイドシャット』も『マイノリティリポート』もトムの顔の印象ばかりやたら強いから
『ミッションインポッシブル』の一作目など見返してみるとトムの顔面大アクションシーンの方がいわゆる普通のアクションシーンより面白いくらいだった
あと、そもそもがイーサン・ハントもマーベリックも、アイズワイドシャットの医者も、マイノリティリポートの予知捜査官も、ザ・エージェントも、どの映画のキャラも同一人物かと思えるくらい性格が似通っているからかもしれない。その意味では宇宙戦争だけは人生失敗続きの冴えない労働者でトムらしくなかった。あれはそもそもがトムのような華のある役者がやるべき企画ではなかったと思う。ジョーズのロイ・シャイダー、ジュラシックパークのサム・ニールの系譜のスピルバーグ流さえないおっさんがやって輝く映画だった気がする。とは言え宇宙人の総攻撃が始まり周りの人間が服だけ残して消えていく中を全速力で走る姿はトム度全開だったが。

2000年代後半も、ブライアン・シンガー、マイケル・マン、ジェームズ・マンゴールドなどクセの強い監督の作品に参加した(マンゴールドとの『ナイト&デイ』は最高)が、
2010年代になると監督の個性などあまり求めなくなったように思う。

2010年以降組んだ監督は
アダム・ジャンクマン
エドワード・ズウィック
クリストファー・マッカリー
ジョセフ・コシンスキー
ダグ・リーマン

いやズウィックとかリーマンとか好きな監督だけど強い作家性と言われるとうーーん…

要は2010年代以降のトムは、自分が作りたい映画だけ作っているのだ。が、しかし「俺の作りたい映画こそみんなが求める映画」という信念を持って作っているように思う。

誰よりも発言力が強くなり、映画作りの情熱も強くなったから、主張の強い監督など邪魔なのかもしれないし、思い返してクセ強監督たちも結局トム色に染めてきた経歴で立派な監督いなくても面白い映画は作れる、という自信につながったのかもしれない。

そこにきて『トップガン・マーヴェリック』だ。
トニー・スコットがいないならせめて兄貴のリドリーが撮るってのはどうだろう…なんて妄想もしたけれど最近の作家性と距離を置くトムがリドリーと組むはずない。
しかしもし仮にトニー・スコットが存命だったとしても、トニーの目指す映画とトムの目指す映画はもう全然別なものになってしまっている。
今回トムが目指したのは明らかに「80年代のあの頃よもう一度」だ。
トニーならそんな過去を振り返ったりせず未来を、新しい映画を(ただし多くの人が求めているわけではない新しさを)作ろうとしただろう。

失われたトニー版トップガン2も観たかったが、『トップガン・マーヴェリック』は映画として大正解だった。
変に奇抜なことはせず、正攻法の娯楽映画とした。

「正攻法の娯楽」というのは、前作と違ってある一つのミッションが最初から最後までストーリーの骨格となっていて、物語の軸をブレさせず、ミッション完了までをチームとともに参加する映画となっているからだ。
娯楽映画の脚本としては明らかに前作よりデキがいい。けどある意味デキの悪さが魅力でもあった前作に比べると、なにか教科書的な作りになっている感がなくもない。

前作トップガンは話の目的などさっぱり分からず、訓練生たちは自分達のために切磋琢磨していた。
本作では皆が一つのミッションのために切磋琢磨している。あるいはお国のために皆が一つになっているとも言えるだろう。
前作は自分勝手な奴ら同士がもめる、アナーキーでロックなノリの映画だった。
今回は映画の企画も、登場人物たちもかっきりと統率が取れている。
そしてそれだけでなく、トップガンの続編であることに徹底的にこだわり、きちんと筋の通った物語の中に、前作の要素を余すところなくきっちりと詰め込んでくる。しかも物語がしっかりしてるから前作を知らなくても楽しめる。
できのいい娯楽映画というのは監督の作家性など必ずしも必要としない、時には邪魔にすらなる。ディズニー/ピクサーの映画を思い返してほしい。
だがトムの狙いは、別に全方位が楽しめるヒット作を作る事とはちょっと違う。伝説の『トップガン』と輝ける80年代を甦らせることだ。それこそが前作ファンが一番求めていることだと信じて映画を作ったのだろう。
ここ10年くらいのトム映画はなんだかちょっとぬるま湯感があったのだけど、ここ10年のあえての非作家性が『トップガン・マーヴェリック』においては全てがいい方向に作用して、結果として傑作となったのだ。

前作はあれこれ挑戦的な映画でメチャクチャゆえに80年代のアイコンとなった。そのトップガンというレガシーをただただ磨き上げる、作家的野心よりもそうした自分以外の誰かが作ったものを大切にする監督、ある意味ファンメイド映画のように作れる監督を求めたのだと思う。
そう、みんなが観たいもの、そしてトムが作りたいものはトップガンなのだから

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