お疲れ様です。アカデミー賞は『エブリシングエブリウェアオールアットワンス(以下エブエブ)』の圧勝に終わりましたが、作品賞候補になっていたスピルバーグ作品も忘れてはいけません。
エブエブで助演男優賞を受賞した、キーホイクワン君の映画デビューはスピルバーグ映画でした。スピルバーグの横に座る奥様のケイト・キャプショーはキー君のそのデビュー作での共演者でしたし、作品賞のプレゼンターがそのデビュー作の主演俳優のハリソンフォードなわけで、キーホイクワンのための受賞式に見えたわけです。
そしてキー君のデビュー作で音楽を務めたジョン・ウィリアムズもまた今回アカデミー賞候補になっておりました。やっと彼らと肩を並べる位置にキー君が帰ってきましたが、みんなこの40年近く越えられない山であり続けキー君は己の力でその山に登ったのです。感動的ですね。って全然本題と関係ないじゃん
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アカデミー賞では無冠に終わりましたが、しかしスピルバーグの『フェイブルマンズ』が珠玉の傑作であることは揺らぎません。
これはスピルバーグが自分の少年時代を回想する映画です。主人公の名前をスティーブン・スピルバーグからサミー・フェイブルマンに変えて、母の名をリアからミッツィに、父の名をアーノルドからバートに変えて、かろうじてフィクションの体裁を整えつつも実質的にはスピルバーグの自伝なわけです。
スティーブンならぬサミー少年が初めて映画を観て(セシルBデミルの『地上最大のショウ』)、そして両親のこと、家族のこと、高校での差別やイジメを経て映画で逆境を乗り越えていく姿を、私なんかは涙腺緩ませながら見続けました。
映画にはその後のスピルバーグ作品の断片の数々が散りばめられています。
オモチャの列車事故は『未知との遭遇』にそんなシーンがありました。
クローゼットからミイラみたいな死体(のていの人形)が飛び出すショットはインディシリーズで同じようなカットを見た気がします。
またクローゼットの中の秘密というシチュエーションは『E.T.』です。
サミーが撮っていた戦争映画は『プライベート・ライアン』です。
スピルバーグ映画にしばしば登場する不完全な家族というシチュエーション、あるいは多人数の兄弟姉妹という設定も『フェイブルマンズ』で描かれた彼の若き日にその原型を見ることができます
夜中にミッツィの亡くなった母から電話がかかってくるというシチュエーションは脚本だけで監督はしなかったけど『ポルターガイスト』かな…と思いましたがよく考えてみたら電話がかかってくるのはスピルバーグが関与していない『ポルターガイスト2』の方でした。
さておき、もう一つ私は本作にスピルバーグの過去作品の断片を見ました、いや、聞きました。
本作のジョン・ウィリアムズの音楽に『太陽の帝国』でのショパンの使い方に通じるアプローチを感じたのです
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スピルバーグとジョン・ウィリアムズは言わずと知れた映画史上最高レベルの監督と作曲家コンビです。
スピルバーグのデビュー作『続・激突!カージャック』(1974)以来50年にわたって監督と作曲家のコンビが続くというのは他にあまり例がありません。
大抵はどっかで意見が対立して蜜月時代に終わりが来るのです。ヒッチコックとバーナード・ハーマンの場合しかり、黒澤明と佐藤勝の場合しかり。しかしスピルバーグとウィリアムズは50年にも渡り喧嘩らしい喧嘩は(少なくとも表面上は)なく、いつもお互いをリスペクトし合いながら映画と映画音楽を作ってきました。
スピルバーグ×ウィリアムズ・コンビが作った映画音楽は、『E.T.』や『インディジョーンズ』のようなスペクタクルなものや、『シンドラーのリスト』のような重厚なもの、あるいは『キャッチミーイフユーキャン』のような軽妙なものもありましたが、いずれにせよウィリアムズは持てるテクニックの全てを駆使し、技巧を凝らし、深みのある情熱的で感動的で素人にわかりやすく玄人を唸らせる音楽を作ってきたのです。
で、今回の『フェイブルマンズ』はというと、ごくシンプルで素朴なメロディをピアノで奏でるという、これまでにないくらい音楽的な技巧を感じさせないものとなりました。この余計なものをすべて削ぎ落としたようなメロディが2人の50年の軌跡の到達点なのかと思うと感慨深くもなってきます。
しかし、そのような音楽になった理由はよくわかります。なにしろスピルバーグがまだ何者でもなかった時代の、ただの映画好き少年を描くのに技巧を凝らした音楽など要らないのです。むしろ当然の帰結とすらいえます。
そしてもう一つのポイントが、ピアノをメイン楽器にしているところです。
スピルバーグの母リアはピアニストだったとのことで、本作のサミーの母ミッツィもピアニストです。
ラフマニノフを情熱的に弾きまくるようなピアニストではなく、優しいシンプルな曲を好んでいたようです。
サントラにはウィリアムズのスコアに混じって4曲のクラシックの既成曲が収録されています
クーラウ: ソナチネ イ短調作品88-3 第3楽章
クレメンティ: ソナチネ ハ長調作品36-3 第1楽章
バッハ: 協奏曲ニ短調BWV974 第2楽章アダージョ
ハイドン: ソナタ第48番ハ長調HOB.XVI:35 第1楽章
の4曲です。
ピアノ習ったことないものでクーラウとクレメンティという方は初めて知りました。ベートーベンとほぼ同時代の人でピアノの練習曲で有名な方々だったようです。
いずれもミッツィの性格を表すような、優しく可愛く飾らない曲という印象です。
これらはハイドン以外は劇中でミッツィが弾くピアノ曲です。ハイドンだけはエンドクレジットで流れます。
そしてウィリアムズによるフェイブルマンズのテーマもまたそれらの曲と同じような優しく可愛く飾らないメロディです。
ウィリアムズはピアノの旋律にサミーの母ミッツィを、というかミッツィを思うサミーの気持ちを表現したのだと思います。
そう考えると、過去のスピルバーグ作品に同じ音楽アプローチのものがあったことを思い出しました。
『太陽の帝国』でも主人公のジム少年の母の記憶を描く曲として、母がピアノで弾いていたショパンのマズルカが奏でられるのです。太陽の帝国のショパンも今思えばスピルバーグの少年時代の母の思い出が演出の源泉になっていたことを知ったのでした。
『フェイブルマンズ』は『E.T.』やインディのように気持ち上げ上げになる曲でも、シンドラーのように胸に刺さる曲でもありません。むしろよほど気にして観ていないとウィリアムズのスコアに気づかないくらい、映画のもつ優しさに同化したような曲です。しかし、だからこそ私たちはスピルバーグ少年の物語を、彼の両親や映画への想いを自然に飲み込むことができるのです。
そしてサントラで改めて聴くことで、シンプルながらも味わい深いメロディに、心癒されるような思いに浸れるのです。
『フェイブルマンズ』はアカデミー賞取れなかったし今後上映規模は小さくなっていくと思いますがぜひ映画館で観ていただきたい作品です。
エブエブなんかそこらじゅうのシネコンであと何ヶ月かはやってると思うので今回アカデミー賞逃した作品を今のうちにどうぞ
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ついでに超余談ですが映画で父の親友ベニーを演じたセス・ローゲンは10年くらい前の超傑作コメディ『宇宙人ポール』で宇宙人ポールの声を演じました。この映画は様々なSF映画とスピルバーグ映画へのオマージュに溢れた作品でして、映画の中でポールがレイダースのラストシーンみたいな倉庫の中でスピルバーグと電話で話をするシーンがあり、この時の電話のスピルバーグの声は本人でした。
ってわけでスピルバーグと共演したセス・ローゲンがガチでスピルバーグ映画に出演したのでした。『宇宙人ポール』で主演のサイモン・ペッグは『レディ・プレイヤー・ワン』に出演していたし、スピルバーグという人は一度築いたコネは隙なく活用する人ですね。
『フェイブルマンズ』のネタバレになるから詳しくは言いませんが、デビッド・リンチが出演します。リンチとスピルバーグなんて接点なさそうなんですが、いつの間に仲良くなったのやら。若い頃からトリュフォーを出演させちゃうくらいの奴ですからね。人たらしの才能があると思いましたが、そんな彼の人たらし術の片鱗も『フェイブルマンズ』で見え隠れします。
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それでは今回はこんなところで
また素晴らしい音楽と映画でお会いしましょう
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