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映画作りの糧とすべく劇場鑑賞作品中心にネタバレ徹底分析
映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

娘・妻・母

2005-11-15 02:02:23 | 映評 2003~2005
蓼科高原映画祭で鑑賞。実は人生初の成瀬巳喜男鑑賞。キネ旬ベストテン全史を本棚から引っぱり出して探してみたら、1960年度の19位。批評家うけはそんなんでもなかったようだ。こんなに面白いのに・・・
これだけ面白いのに19位とは、キネ旬を絶対視する気はないけれど、それにしても1位や2位をとった「めし」とか「浮き雲」ってのはどれほど面白いんだろう。見たくて見たくてたまらないのだけど、近所のレンタル屋にはおいてません。

成瀬という監督は初めてなので、どういう映画を撮るのかはよく知らない。カメラはほとんどフィックス、内容的にはホームドラマなので小津映画の変奏かな、と前半は思った。原節子、杉村春子、笠智衆・・とキャストも一部かぶってるし。
でも物語が進んでいくと、やっぱり小津とは違う。小津はあまり物語性を重視しないけど、この映画は複数の登場人物たちによる複数のエピソードがドラマチックに展開していく。
当時の東宝スター勢揃いだが、皆にどこか二面性のある役をふり、家族関係、夫婦愛、恋人同士の恋愛など様々なドラマを絡み合わせてやがて家族崩壊という一つの軸に集約させていく。
長男(森雅之→「羅生門」とか「白雉」とか黒澤映画でおなじみ)と妻(高峰秀子)のエピソード・・・姑を残してアパート住まいしようと言い出して一悶着・・・が、後半の家族崩壊の序曲となっている。後半、長男が家族に黙って、家を抵当に借金し投資していた工場が破産。借金抱え込んだ長男は家族会議を開く。
家が消失する危機、財産分与の問題・・・物質的な家族崩壊
その危機に直面した家族が、家族会議を開き本音で語り合うと、それまで心のうちに秘めてきた不満、自己中心的考えが浮かび上がり、幸せな家族など実は存在していなかった事が判る。・・・精神的な家族崩壊(の表面化)

小津映画もよく家族の崩壊が描かれたけど、小津の場合は娘の嫁入りなど主に平和な理由で家族がバラバラになる。「東京物語」はもうちょい深刻だけど、これでは、すでにバラバラになった後の家族の精神的な絆が薄れていくことを描いており、家族が離ればなれになった理由自体は仕事等が原因であり、望んでバラバラになったわけじゃない。「東京暮色」という例外を除いて小津映画の家族崩壊は自然の成り行きによるものであり、仕方ないさ、そういうものさ、と主に老父母はその現実を受け入れる。
成瀬の「娘・妻・母」における家族崩壊は、もっとずっと深刻であり、子供たちは自分の立場や財産を守るためなら家族など崩壊しても破壊してもいいと思っているし、そのため母親が居場所を失っても仕方のないことと考える。同じ「仕方がない」でもこの差はあまりに大きい。

居場所を失った母を見かねた心優しい出戻りの長女(原節子・・こういう役多い)は、母親を引き取るため、恋人(仲代達矢!!)を捨てて金持ちとの縁談を選ぶ。
そうするともちろん、2人の恋愛はどうなるのか???とハラハラさせられるが、あっさり恋人を切り捨てる原節子もまた、家族向きの顔と、他人向きの顔を併せ持つ複雑なキャラとなり、小津映画のようなストレートな善人像にはない面白さが出てくる(小津映画の原節子が浅いわけではない)。
そうかと思えば、終盤の高峰秀子の行動、母の言動も、物語を微妙に二転三転させ、物語は最後まで先が読めない。
ドラマツルギーを楽しむって点で言えば、「娘・妻・母」は小津映画よりも面白い。

ところで、成瀬巳喜男という監督は、女性映画の旗手とか、フェミニズムの作家とか言われているが、なるほど、女が強く描かれている。女は男を翻弄し、男のせいでひどい目にあっても自らの意志で解決のために進み、ある程度の犠牲を払ってもくよくよせずに前へ前へと進んでいく。そして何より美しい。小津映画の原節子とも違う、木下映画の高峰秀子とも違う、独特の美しさとたくましさがあると感じるのは気のせいか

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