ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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多摩川で中1男子の全裸死体遺棄事件

2015年02月25日 | Weblog

 平成二十七年二月二十三日付、auの「朝刊ピックアップ」で記事 
 
「多摩川で中1男子の全裸死体遺棄事件」
 
を企画、取材、執筆しました。

 

 けさの各紙は「中1遺体 首に深い傷 川崎 複数の刃物使用か」(読売新聞)、「現場近く カッターの刃」(朝日新聞・産経新聞)、「河川敷にカッターの刃」(日本経済新聞)といった見出しで報じている。

 これは川崎市川崎区港町の多摩川の河川敷で20日、近所に住む中学1年生の上村遼太氏(13)が全裸で「首の後ろから横に鋭利な刃物による傷が集中」し「顔や腕にも切り傷」(22日付日本経済新聞朝刊)がある状態で死んでいるのを発見された事件を指す。推定死亡時刻は20日午前2時頃という。

 現場近くの公衆トイレでは、死亡時刻の約1時間後に、服や靴が燃やされた跡があり(21日付朝日新聞夕刊)、とくに服は「どこの中学校か分かる服で、上村君のものである可能性が高い」(22日付日本経済新聞朝刊)という。

 また、「遺棄現場近くの防犯カメラに20日未明、3人の若い男性が通り過ぎ、2人で戻って来る様子が記録されていたことも分かった。捜査本部は3人の中に上村さんが含まれ、他の2人が事件に関与した疑いもあるとみて人物の特定を急いでいる」(22日付毎日新聞朝刊)という。

 上村氏が通学する市立中学校の校長によると、上村氏は「今年1月以降、学校を欠席しており、担任教諭が接したのは、2月16日に電話で話したのが最後」(22日付朝日新聞朝刊)で、「同級生らによれば、昨年秋ごろから同じ中学や近隣中学の上級生グループと一緒にいる姿がたびたび目撃され、昨年10月ごろには左目周辺に殴られたようなアザができていたのを見たことがある」(22日付毎日新聞朝刊)という。

 そして、今朝の各紙によると、遺体発見現場から数10メール離れた場所に多数の血痕とカッターナイフの刃が発見されたという。また、産経新聞によると「中学の同級生らは『評判の良くないグループにちょっかいを出されていた』と語る」「中学進学後はバスケット部に入部。ポイントガードとして熱心に練習に取り組んだが、しだいに休みがちに。昨年12月のミーティングでは『部を辞めたい』とこぼし、退部届を書いていた」「周囲では『素行が良くない上級生にたたかれたりしている』と噂になっていた」「今年1月からは学校を休み、家に帰ることもほとんどなくなった」という。

 これらの情報をトータルすると、子供同士の「いじめ」から殺人に至った可能性の高い事件といえよう。

 もしそうであるならば、これは、子供社会だけでは解決できない事態といえる。なぜなら、各クラスに、いじめる人間を倒す勇敢な弱者の味方がいれば理想だが、現実は、そういう人間は稀有で、子供社会に蛮行がまかり通ってしまっているためだ。しかも、教師は体罰を禁じられていることもあり、いじめっ子はそれを知って教師を舐め切っている状態。

 それに比べ、昔の武士の世であれば、このようないじめは許されなかったと思われる。例えば、明治維新の原動力となった長州藩の吉田松陰を描いた司馬遼太郎氏の小説「世に棲む日日」のよると、松陰の少年時代の教育を担当していたのは叔父の玉木文之進だった。ある夏のこと、その日は格別に暑く、松陰は読書中、汗をかき、そこにハエがたかったので、手を挙げてかいた。すると、文之進は、「それでも侍の子か!」と声をあげるなり、松陰を殴り倒し、起き上がるとまた殴り、ついに庭の前の崖に向かって突き飛ばし、松陰は崖から転がり落ち、気絶した。侍とは何か――。文之進の定義では、侍とは、公に尽くすものである、という以外になく、学問を学ぶことは、公に尽くすためであり、その読書中に頬がかゆいのでかく、というのは、かゆみ=私情を、かく=満足させる、ということであり、それを許せば、大人になったときに私利私欲に走るに人間となる、だから殴る、殴りつけることによって恐怖させ、そういう私利私欲を幼いうちから摘み取るか封じこんでしまおう、というのが文之進の教育だった、とある。

 これは極端な話だが、昔の武士の世であれば、少なくとも、他人をいじめる、という卑怯なまねをする子供がいれば、文之進なみにその性根を叩き直したのではないだろうか。

 もちろん、体罰厳禁社会で、かつ、親の資格のないような親が多いご時世では、それはできないことだろう。だから、例えば、武道の精神に精通した、柔剣道の達人たちが、いじめの確固たる証拠があった場合に限り、親や教師に代わって、いじめっ子に対し、その性根をたたき直し、二度といじめができないようにする、というのはどうだろう。

 いじめられている人は、卑怯な蛮人に侵略されているときは、正当防衛、専守防衛で、外部の力をかりてでも、戦わなければいけないのではないか?(佐々木奎一)


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