ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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朝日新聞「慰安婦報道」の波紋

2015年02月26日 | Weblog

 平成二十七年二月二十日付、auの「朝刊ピックアップ」で記事 
 
「朝日新聞「慰安婦報道」の波紋」
 
を企画、取材、執筆しました。

 

 けさの産経新聞に「朝日報道 強制連行プロパガンダ『慰安婦』独立検証委 報告書」という記事がある。それによると、「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」が昨日、報告書を公表したという。

 「朝日新聞の慰安婦報道」とは、80年代から90年代初めにかけて、朝日新聞が報じた慰安婦の記事を指す。そのなかで戦中、軍令で慰安婦の強制連行に携わったという吉田清治氏という人物の証言を計16回も多用していた。しかし、その吉田氏の証言が実は虚偽だった、として、昨年8月、同紙は、にわかに取り消し、その翌月に謝罪した。

 この朝日報道について、外部の独立検証委員会(委員長・中西輝政京大名誉教授)の報告書では、「同紙の慰安婦報道を『強制連行プロパガンダ「宣伝」』と断定。プロパガンダによって国際社会に誤った事実が拡散し、日本の名誉を傷つけていると結論づけた」という。

 このように朝日新聞の当時のキャンペーン記事は、虚偽証言に基づいたものだったことは白日のもとにさらされた。だが、そのことをもって、歴史上、慰安婦の強制的連行がなかったとはいえない。

 例えば、作家の高見順の1945年の日記を収録した「敗戦日記」(中央公論新社刊)のなかの、敗戦直後の11月14日付の日記には、以下の記載がある。

 「日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと言って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方に連れて行った。酒保(筆者注:「旧日本軍の兵営、艦船内に設けられた売店」(日本大百科全書(小学館刊)より)の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと『慰安所』の女になれと脅迫する。おどろいて自殺した者もあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた」

 この日記は氷山の一角である。

 軍が直接関与したのか、軍の下請け業者の仕業なのかという狭い議論は残るが、日本人がやったことに変わりはない。それを、あたかも慰安婦を強制的に連行した事実すらなかったかのようにいう論調は、「歴史修正」主義と言わざるを得ない。

 過去の歴史の非を、率直に認めるのは、何らやましいことではない。非を認めないよりは、はるかに立派な態度といえよう。それは自虐史観ではない。非から目をそらすことは、卑小といえよう。

 なお、日本と韓国の間では、慰安婦のことは1965年の「日韓基本条約」で解決済みである。そのことは、米国の地裁、高裁、最高裁でも争われたこともあったが、米国の各裁判所は一貫して、「慰安婦問題は戦争時の案件として、1951年の対日講和条約、65年の日韓基本条約、72年の日中共同声明、78年の日中平和友好条約ですべて解決済み」で「慰安婦問題は法的にはもう終わった」とする審判を下している(14年9月1日付産経新聞電子版より)ことからも明白といえよう。

 つまり、韓国が慰安婦のことをいつまでも蒸し返して世界中で日本を批判するのは、あたかも、悪質クレーマーが、いったん和解して解決済みとなった後に、再び蒸し返してメディアを利用してクレームを拡散しているのに酷似している。

 それに対し、日本は、公正に対応していることを内外に明らかにしていけば、どちらが今現在変なことをしている国なのか、世界の見識ある人たちからみれば、明らかになるだろう。そのためのロビー活動は日本はどんどんしていくとよいのではないか。(佐々木奎一)


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