2013年4月26日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号
「今日のニュースに一言」で
ジャーナリスト・二木啓孝氏の記事
「新メディアvs旧メディア論の裏にある若者の傾向」
を聞き書きしました。
4月25日付けの東京新聞のコラム「言いたい放談」を読んで、ウーンと唸った。
評論家の宇野常寛氏がこう書いている。
<先日、ある商社の新入社員研修での講演する機会があったのだが、そこでアンケートを取ったところ「新聞を取っている人」は104人中ゼロだった、そして「フェイスブックのアカウントを持っている人」は約7割、「ニコニコ動画のアカウントを持っている人」は9割を超えていた>
商社を志望するする若者なら、少しでも世の中の動きを知ろうとするはずだが、もっとも情報の豊富な新聞を一人もとっていないというのだ。
宇野氏は<新聞・テレビが報じる「世間」「社会」が今の20代以下にはまったくリアル感じられないのだ>と結論付けてるが、はたしてそうなのか。
今の新聞に問題がないわけではない。いや大いに問題があると思っている。ニコ動やフェイスブックが新しいメディアであることも承知している。がしかし、一つの見方と提示するニコ動や、きわめて私的な交流の場であるフェイスブックで有効情報が得られるのか、ということである。これはツイッターやユーチューブが独裁国での民主化に寄与したこととは別問題だ。
新メディアと、新聞などの旧メディアが決定的に違うのは、新聞が有料で読む、つまり「情報を取りに行く」行為が必要なことだ。これに対してニコ動は「情報を受け取る」受動行為といっていい。
「活字離れ」が宇野氏のいう「若者にリアルに感じられない」側面だけでなく、若者が情報を取りに行く行為の訓練をしてこなかった側面もある。
活字をじっくりと読み、感動したり、考えたり、批判したり。そんな訓練を通して自分の思考回路ができてゆく。若者と話していると、好き嫌いは言えるが、その根拠を筋道を立てて説明が出来ないことにでくわす。旧メディアがダメで新メディアだ、という問題ではないと思う。