諏訪を奪い信濃攻略拠点とした武田晴信。
だがあくまで本拠地は甲府。ここ諏訪には1542年、郡代として板垣信方(1489年生-1548年3月23日没)をおいた。
(板垣信方)

(板垣の馬標)
板垣家は、もともと武田家の支族で、代々武田家の重心のお家柄。名門なんです
信方は、信虎に使え、その嫡子晴信の傅役となる。
これだけでもかなり信頼が厚いのがわかる。
板垣信方もまた、幼い晴信に多大な影響を与えた一人であることに間違いはない。
信虎追放のクーデーターを成功させ、諏訪攻略でも活躍し、まさしく片腕として晴信を
支える。
晴信から精神的な面も含めて絶大な信頼があったからこそ、重要拠点の諏訪を任せたのだと思う
晴信は諏訪を得てこれより信濃を北進する。
破竹の勢いで、信濃の小豪族を平定していくが、ここに強敵が現れる。
北信濃の雄 村上義清だ。
村上と武田軍は1948年 上田原において激突する。
(地図)

地の利を良く知る村上軍に翻弄され、武田晴信は痛恨の敗北を喫する
この戦で、板垣信方、そして、板垣と同じく、晴信擁立の功労者で、宿老の甘利虎泰を失う。
板垣は激戦地下之条あたりで討ち死にしたそうな
晴信にとっては悔やんでも悔やみきれない初の敗北だったと思う。
板垣の墓は今、この上田原において、「板垣神社」として祭られている。
現在でも大変のどかな農村の中で、探すのが大変な感じで畑の中に溶け込んでいる。
(こんな感じ)

(鳥居くぐって進むと信方の墓が見えて来た)

晴信を戦国屈指の大名に育てた信方は今ここで眠っている。
信方はタバコが好きだったらしく、お参りに来た多くの武田ファンがタバコのお供え物を
するそうだ
タバコをやめて2年経つ小生も、実は今でも吸いたくなる。実にうらやましい話だ
だがあくまで本拠地は甲府。ここ諏訪には1542年、郡代として板垣信方(1489年生-1548年3月23日没)をおいた。
(板垣信方)

(板垣の馬標)

板垣家は、もともと武田家の支族で、代々武田家の重心のお家柄。名門なんです

信方は、信虎に使え、その嫡子晴信の傅役となる。
これだけでもかなり信頼が厚いのがわかる。
板垣信方もまた、幼い晴信に多大な影響を与えた一人であることに間違いはない。
信虎追放のクーデーターを成功させ、諏訪攻略でも活躍し、まさしく片腕として晴信を
支える。
晴信から精神的な面も含めて絶大な信頼があったからこそ、重要拠点の諏訪を任せたのだと思う

晴信は諏訪を得てこれより信濃を北進する。
破竹の勢いで、信濃の小豪族を平定していくが、ここに強敵が現れる。
北信濃の雄 村上義清だ。
村上と武田軍は1948年 上田原において激突する。
(地図)

地の利を良く知る村上軍に翻弄され、武田晴信は痛恨の敗北を喫する

この戦で、板垣信方、そして、板垣と同じく、晴信擁立の功労者で、宿老の甘利虎泰を失う。
板垣は激戦地下之条あたりで討ち死にしたそうな

晴信にとっては悔やんでも悔やみきれない初の敗北だったと思う。
板垣の墓は今、この上田原において、「板垣神社」として祭られている。
現在でも大変のどかな農村の中で、探すのが大変な感じで畑の中に溶け込んでいる。
(こんな感じ)

(鳥居くぐって進むと信方の墓が見えて来た)

晴信を戦国屈指の大名に育てた信方は今ここで眠っている。
信方はタバコが好きだったらしく、お参りに来た多くの武田ファンがタバコのお供え物を
するそうだ

タバコをやめて2年経つ小生も、実は今でも吸いたくなる。実にうらやましい話だ

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