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夢の続き・・・

法政大学ラグビー部・旅行・犬・自然を
こよなく愛し、ささやくブログ

写楽展

2011年05月29日 21時15分48秒 | 旅行
久しぶりに 東京国立博物館に行ってきた。
気がつけば「写楽展」が6月12日で終わってしまうので、
慌てて観に行った感じだ。


小生 この江戸時代の謎の浮世絵師が凄く好きで、約140点もの作品が
集まるとあって、実に貴重の機会だった。

あいにくの大雨であったが、世の中には小生と同じように写楽を愛する人が
多いようで、凄い混雑だった。

東洲斎写楽は、1794年5月 彗星の如くデビューし、年をまたいで
わずか10ヶ月で忽然と姿を消した。
本名、出生地、生年月日 没年 全て不明。
実にミステリアスな人物。それでいて、殆どの日本人が一度は
見たことがあるような素晴らしい絵を多く残した。
浮世絵の深い知識がある訳ではないが、純粋に素晴らしい絵と思える。

この企画展には、写楽だけでなく、美人画の喜多川歌麿をはじめとした
写楽と同じ時代を生きた浮世絵師の絵も展示されていて実に良かった。
(喜多川歌麿作)



また、作者は違えど同じ役者のモデルを描いていた比較の展示は、
写楽の天才ぶりというか、独特の色、アングル、姿、表情など独創性が素人の小生
にもよくわかる。




写楽の作品はすべて蔦屋重三郎という名プロデューサー
の店から出版される。
いきなり28点もの「大首絵」を出し、衝撃のデビューを果たす。
写楽は僅か10ヶ月の活動期間なのに、
1期~4期と言う風に画風が変わって行く。
我々が知る写楽の有名な絵は初期のものが多いのではないか?
しかし、2期ごろから全身像に画風を代える。

何故そうしたのか? 
大首絵で観せた圧倒的な迫力がなくなり、徐々に光を失っていくのが小生にも分かる。

画風も他の浮世絵師とあまり変わらず、色使いや線も単調になっていく。
画風のチェンジはプロデューサーの意向で自分の描きたい絵と違う絵を
書かされたのか?
それとも写楽自身の挑戦だったのか?
いろいろと想像が出来て楽しい。

しかし、この路線変更は失敗で、写楽の絵は徐々に売れなくなって行く。
挑戦が失敗に終わり落胆したのか?
意に沿わない絵を描かせられて、やる気を失ったのか?
はたまた病気や怪我で絵が書けなくなったのか?
歴史は僅か10ヶ月で彼を舞台から消してしまう。

しかし、彼が素晴らしい絵を残したことは事実で、
後の西洋人に評価され、他の浮世絵と同じように海外に大量に流出してしまう。

ドイツの美術研究家ユリウス・クルトは、写楽をレンブラント、ベラスケスと
並ぶ世界三大肖像画家と賞賛したこという。これがきっかけで、大正時代頃から
日本でもその評価が高まったそうだ。

それにしても今回の「写楽展」 実に多くの観光客が来ていたが、
外国人が凄くいた。外国人も関心があるんだなと感じた。
日本人の作り出した浮世絵という文化を、海外の人が認めている。
日本人として誇りに思う。