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夢の続き・・・

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風林火山紀行(甲斐路編3)・・・積翠寺

2010年04月23日 19時26分37秒 | 旅行
1521年 信虎と大井夫人の間に武田家第19代当主武田晴信(幼名勝千代)が誕生した。


生まれた場所は躑躅ヶ崎館(現武田神社)の背後にあたる要害山 積翠寺。
結構勾配がある。温泉もある観光地だ


甲斐国志によると開山は行基ということだ。一時没落したようだが、夢窓国師の弟子竺峰(じくほう)が中興したという。

晴信(信玄)が生まれた時、折りしも駿河国今川氏親の命を受けた福島正成率いる1万5000人の軍勢が甲府に迫り、身ごもっていた大井夫人は要害山へ非難してこの地にいた。幸い信虎は荒川幡(甲府市)において今川方を撃退した
この勝利と嫡男誕生で信虎は大いに喜んだと言う。この時は信虎も普通の親だった
(本堂)

本堂の左には不動堂があり不動尊、武田信玄像などが祀られていた。


また本堂の左に脇道がある。


更にこの道を右に曲がると、な な なんと 左手に夢窓国師作といわれる綺麗な庭園が広がり、正面には古井戸があった

(左手の庭園)
松が良い感じ

(正面の古井戸)


この井戸こそ晴信の産湯として使われたと伝わる井戸だ

蓋を開ければ、なんということだ!!まだ水がある


ここから、戦国時代の名将武田晴信は生を受け歩みだした
折りしも戦国時代らしく、合戦中の緊急避難地での誕生である。
この誕生からして、晴信の激動の人生を暗示するような誕生の仕方だと感じた


明日は初めて川中島を攻めに行く
謙信待っていろ
心は信玄になった気分だ