

生まれた場所は躑躅ヶ崎館(現武田神社)の背後にあたる要害山 積翠寺。
結構勾配がある。温泉もある観光地だ


甲斐国志によると開山は行基ということだ。一時没落したようだが、夢窓国師の弟子竺峰(じくほう)が中興したという。
晴信(信玄)が生まれた時、折りしも駿河国今川氏親の命を受けた福島正成率いる1万5000人の軍勢が甲府に迫り、身ごもっていた大井夫人は要害山へ非難してこの地にいた。幸い信虎は荒川幡(甲府市)において今川方を撃退した

この勝利と嫡男誕生で信虎は大いに喜んだと言う。この時は信虎も普通の親だった

(本堂)

本堂の左には不動堂があり不動尊、武田信玄像などが祀られていた。

また本堂の左に脇道がある。

更にこの道を右に曲がると、な な なんと


(左手の庭園)
松が良い感じ


(正面の古井戸)

この井戸こそ晴信の産湯として使われたと伝わる井戸だ


蓋を開ければ、なんということだ!!まだ水がある



ここから、戦国時代の名将武田晴信は生を受け歩みだした

折りしも戦国時代らしく、合戦中の緊急避難地での誕生である。
この誕生からして、晴信の激動の人生を暗示するような誕生の仕方だと感じた

明日は初めて川中島を攻めに行く

謙信待っていろ

心は信玄になった気分だ
