甲斐の国の英雄と言えば武田信玄が真っ先に頭に浮かぶが、ここ松島にもゆかりのある
有名な戦国武将がいる。独眼竜こと伊達政宗だ。政宗もこの松島の風景を愛したらしい。
海に浮かぶ島々を見た後、丘に上がって
みると、なるほど伊達家ゆかりの寺が立ち並ぶ。
まず最初は天隣院だ。
政宗長女 五郎八姫(徳川家康の六男・松平忠輝の正室)が眠るお寺だ。


大変美しい姫というだけでなく、父政宗が「五郎八姫が男子であれば・・・」と嘆かせたほど聡明な姫君だったらしい。
忠輝が改易となって離縁させられるなど、この方も戦国の世の女性の悲劇を受けた一人ではあるが、懸命に生きた姫だったんだなと感じた
また、そこから歩いてすぐ近くの円通院に向かった。
ここは、仙台藩二代藩主忠宗の次男光宗が眠るお寺だ。
若干19歳で江戸城にて急逝。幕府の暗殺とも言われているが定かではない。
あまりにも早すぎる一生にさぞかし無念であった事だろう。

この 厨子の右扉の内部には日本最古といわれる西洋バラが描かれているが、
伊達家家臣支倉常長が西洋から持ち帰ったと伝わるバラの絵が描かれており、
日本最古ということだ。この絵にちなんで境内にはバラが活けられており、「バラ寺」と
いわれる所以になっている。

庭も綺麗で落ち着いている寺であった。
そして最期に瑞巌寺。

ここにも政宗の妻愛姫が眠っている。
慈覚大師円仁によって開創された奥州随一の禅寺だそうだ。
現在の建物は、政宗が命じて建てたようだが、桃山建築で、名工を多く呼んだらしく
大きく、素晴らしい。ただ国宝の本堂などは修理工事のため非公開で残念
そのかわり、普段非公開の国宝庫裏及び愛姫のお霊屋が見れた

愛姫に会えたのは良かった
愛姫は1653年に亡くなった。85歳
独眼竜を支え続け、娘の五郎八姫同様、激動の戦国の世を懸命に生きた女性として
敬意を感じる
出張の合間の観光のため、あわただしく
、今度はゆっくり見たい。
松島は、もう一度来たいと思わせるところだった
有名な戦国武将がいる。独眼竜こと伊達政宗だ。政宗もこの松島の風景を愛したらしい。
海に浮かぶ島々を見た後、丘に上がって

まず最初は天隣院だ。
政宗長女 五郎八姫(徳川家康の六男・松平忠輝の正室)が眠るお寺だ。


大変美しい姫というだけでなく、父政宗が「五郎八姫が男子であれば・・・」と嘆かせたほど聡明な姫君だったらしい。
忠輝が改易となって離縁させられるなど、この方も戦国の世の女性の悲劇を受けた一人ではあるが、懸命に生きた姫だったんだなと感じた

また、そこから歩いてすぐ近くの円通院に向かった。
ここは、仙台藩二代藩主忠宗の次男光宗が眠るお寺だ。
若干19歳で江戸城にて急逝。幕府の暗殺とも言われているが定かではない。
あまりにも早すぎる一生にさぞかし無念であった事だろう。

この 厨子の右扉の内部には日本最古といわれる西洋バラが描かれているが、
伊達家家臣支倉常長が西洋から持ち帰ったと伝わるバラの絵が描かれており、
日本最古ということだ。この絵にちなんで境内にはバラが活けられており、「バラ寺」と
いわれる所以になっている。

庭も綺麗で落ち着いている寺であった。
そして最期に瑞巌寺。

ここにも政宗の妻愛姫が眠っている。
慈覚大師円仁によって開創された奥州随一の禅寺だそうだ。
現在の建物は、政宗が命じて建てたようだが、桃山建築で、名工を多く呼んだらしく
大きく、素晴らしい。ただ国宝の本堂などは修理工事のため非公開で残念

そのかわり、普段非公開の国宝庫裏及び愛姫のお霊屋が見れた


愛姫に会えたのは良かった

愛姫は1653年に亡くなった。85歳
独眼竜を支え続け、娘の五郎八姫同様、激動の戦国の世を懸命に生きた女性として
敬意を感じる

出張の合間の観光のため、あわただしく

松島は、もう一度来たいと思わせるところだった
