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夢の続き・・・

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風林火山紀行(甲斐路編2)・・・長禅寺

2010年04月20日 19時55分27秒 | 旅行
武田信虎の妻にして、武田信玄の母といえば、大井夫人(1497年12月10日生- 1552年5月30日没)と呼ばれる方だ。
(大井夫人)


大井夫人は、甲斐国西郡の国人領主・大井信達の娘として生まれた。
当時大井信達は駿河の今川氏と結び甲斐守護武田氏と度々争っていたが、信虎優位での和睦をしたため、人質として信虎に娘を嫁がせたのだった。
大井夫人もまた敵に嫁がされると言う、戦国の世の悲しい女性の一人かと思う
そんな悲劇の大井夫人も、晴信(信玄)、信繁、信廉といった優秀な子供に恵まれたのは
救いだったのではないだろうか。。。
大井夫人は教育熱心で、大井氏の菩提寺である長禅寺に岐秀元伯を招き、晴信の師として学問を授けた。それが偉大な戦国武将武田信玄の原点ある。
1541年には、夫信虎が駿河に追われた後も、彼に随行することなく甲斐に留まって
晴信を見守り続けた。
そんな素晴らしい母親が眠るお寺が先にも出た長禅寺である。
甲府市愛宕町にあるお寺だ。

このお寺に冒頭の大井夫人の絵が所蔵されている。
この絵もまた、大井夫人の息子 信廉作の絵で、夫人没後の一周忌に描かれた供養像だそうだ。母を想う子の気持ちが出ており、また大井夫人の人柄のようなものが感じられて、長い時間を経た絵ではあるが、暖かい気分にさせる
残念ながらこの絵は見ることが出来なかった
本堂を左に行くと大井夫人のお墓に行く参詣道があった。

これを道伝いに登っていくと、大井夫人のお墓があった

綺麗に掃き清められていた。
手を合わせながら、敵方に嫁ぎ、随分辛い目にもあっただろうが、素晴らしい子を育て
懸命に生きた女性だなと敬意を感じた