来週、行こう行こうと思いながら、中々行けなかった川中島に、
いよいよ旅行する予定である
川中島と言えば、甲斐の英雄武田信玄にとって重要な要衝であった。
私にとって信玄公は、当然ながら歴史上の人物の中でもっとも好きな人物の一人である。
(武田信玄公)

川中島に限らず、地元にも武田ゆかりの史跡は多い。
川中島は全く行ったことがないが、地元の史跡は、学校や家族に連れて行ってもらって多くの史跡を見た。
しかし、かなり前の為忘れも多く、30代に至り、もう一度武田氏に触ってみたいと言う思い
が強くなった。
そこで今週、川中島に行く前に、もう一度武田氏のお膝元の甲斐の史跡を訪ねてみようと思い、
歩いてみた。
まず最初は大泉寺。甲府市古府中町にあるお寺で、信玄の父 信虎が眠るお寺だ。
(武田信虎)

この絵は、信虎の息子で信玄の弟にあたる武田信廉の作と言われている。
どんなドラマや映画でもそうだが、信虎と言えば悪逆非道の限りを尽くし、息子信玄に追放される悪役として描かれている。
そういう見方で見ると、この絵も怖そうな人に見える
大泉寺は大変静かで、美しいお寺であった。


お寺には当然ながら武田菱が描かれている。

本堂を更に奥に進むと、信虎の霊廟が現れた。
門を紐で結んで閉じてあった。

残念
中が見れないのかと思っていたら、
檀家の方だろうか? 掃除をしていた方が、親切にも門を開けて見せて頂けた。
中はこんな感じ。

以前は、この霊廟の中に信虎の冒頭の絵が飾られていたが、今回はなかった。
この霊廟の左横に依然来た時には気がつかなかったと思うが、通路がある。

その通路を行くと何と

信虎のお墓があった
ドラクエの隠し通路みたいだ
って覚えていなかっただけかも

左から、信虎、信玄、勝頼と3代の墓となっている。
武田信虎は、甲斐国に土着した清和源氏の河内源氏系一門で、源義光(新羅三郎義光)を祖として数えて第18代目にあたる。信縄の嫡男で、14歳にして家督を継がされ、少年の頃から、国内の豪族や一族の裏切りなどで血で血を洗う抗争に巻き込まれる。
絶えず命を狙われる、やらなければやられるといった状況で少年より大人になった精神とは
如何なるものだろうか?
人間を狂わすのに十分であろう。故に狂気に走ったのかもしれない。
信虎も時代の犠牲者のような気がする
信玄により駿河におわれた信虎は、その後京などを放浪し、最期は信州高遠で息を引取る。
最期まで甲斐に足を踏み入れることは出来ず、亡くなってから、故郷の甲斐(大泉寺)に戻ることが出来た。
激動の時代に弄ばれた信虎も、今、何事もなかったようにここで静かに眠っている。
いよいよ旅行する予定である

川中島と言えば、甲斐の英雄武田信玄にとって重要な要衝であった。
私にとって信玄公は、当然ながら歴史上の人物の中でもっとも好きな人物の一人である。
(武田信玄公)

川中島に限らず、地元にも武田ゆかりの史跡は多い。
川中島は全く行ったことがないが、地元の史跡は、学校や家族に連れて行ってもらって多くの史跡を見た。
しかし、かなり前の為忘れも多く、30代に至り、もう一度武田氏に触ってみたいと言う思い
が強くなった。
そこで今週、川中島に行く前に、もう一度武田氏のお膝元の甲斐の史跡を訪ねてみようと思い、
歩いてみた。
まず最初は大泉寺。甲府市古府中町にあるお寺で、信玄の父 信虎が眠るお寺だ。
(武田信虎)

この絵は、信虎の息子で信玄の弟にあたる武田信廉の作と言われている。
どんなドラマや映画でもそうだが、信虎と言えば悪逆非道の限りを尽くし、息子信玄に追放される悪役として描かれている。
そういう見方で見ると、この絵も怖そうな人に見える

大泉寺は大変静かで、美しいお寺であった。


お寺には当然ながら武田菱が描かれている。

本堂を更に奥に進むと、信虎の霊廟が現れた。
門を紐で結んで閉じてあった。

残念

檀家の方だろうか? 掃除をしていた方が、親切にも門を開けて見せて頂けた。
中はこんな感じ。

以前は、この霊廟の中に信虎の冒頭の絵が飾られていたが、今回はなかった。
この霊廟の左横に依然来た時には気がつかなかったと思うが、通路がある。

その通路を行くと何と




ドラクエの隠し通路みたいだ



左から、信虎、信玄、勝頼と3代の墓となっている。
武田信虎は、甲斐国に土着した清和源氏の河内源氏系一門で、源義光(新羅三郎義光)を祖として数えて第18代目にあたる。信縄の嫡男で、14歳にして家督を継がされ、少年の頃から、国内の豪族や一族の裏切りなどで血で血を洗う抗争に巻き込まれる。
絶えず命を狙われる、やらなければやられるといった状況で少年より大人になった精神とは
如何なるものだろうか?
人間を狂わすのに十分であろう。故に狂気に走ったのかもしれない。
信虎も時代の犠牲者のような気がする

信玄により駿河におわれた信虎は、その後京などを放浪し、最期は信州高遠で息を引取る。
最期まで甲斐に足を踏み入れることは出来ず、亡くなってから、故郷の甲斐(大泉寺)に戻ることが出来た。
激動の時代に弄ばれた信虎も、今、何事もなかったようにここで静かに眠っている。