裏面打法は単板で

10mmの単板に両面ラバーを貼っている男が,卓球についてまとめます。

哀しき光 The light of isolation

2019-06-24 23:57:16 | 選手
新しいラバーを何にするか悩んでいる所で,気休めにまた選手紹介

今回紹介するのは李景光

1947年11月に河北省唐山に生まれ,主に70年代前半を中心に活躍した最強中国の一員の1人である。

身長は181センチと恵まれており,当時の中国には珍しいサウスポーから繰り出される速攻を身上としていた。

卓球は1953年,6歳の時に始め,63年には河北省の省チームに参加していたという。

翌年の1964年冬には,晴れてナショナルチームの強化選手の1人として選ばれた。

1965年9月の北京卓球国際招待大会では,当時の日本代表であった長谷川信彦や河野満を破る活躍を見せている。

その後国内の大会でも着実に実績を重ね,1971年世界選手権を迎えることとなる。


現役時代の貴重な映像がこちら。

途中から出てくる左利きのペンホルダー選手が李景光。

当時23歳と言う若さで代表に起用され,団体決勝では長谷川,河野,伊藤という当時の日本代表三羽烏を打ち破り,団体優勝に貢献した。

特に最後の伊藤繁雄戦は,当時のスコアで21対3・21対6で抑えるという,凄まじい活躍ぶりであった。

この他にも73年サラエボ大会の決勝・スウェーデン戦でも2点を取る活躍を見せた。

で,この李景光がその後どうなったのかネットで調べて見たのだが……。

ちょっとブルーな後半生が分かって来たので,以下に記しておく

翻訳して分かりやすく意訳すると,71年当時のいわゆる「ピンポン外交」を境に何らかの病気に感染し,ひどく苦しめられたという。

また,生涯独身で当然子供もなく,20年近く統合失調症だったのだそう

そして2000年6月16日に,北京市内の自宅アパートと思われる建物から階下で路駐していた車に転落し,20分後には発見されるも残念ながら帰らぬ人となったのだとか

如何せん中国語のサイトなので,どこまでが事実なのか分からないが,ざっと整理するとこんな感じ。

確かに71年・73年の世界選手権以外に,これと言って国際大会における実績を聞いたことはない。

もしかしたら病気が関係しているのだろうか……。

ソースはこちらこちら

では,また


コメントを投稿