裏面打法は単板で

10mmの単板に両面ラバーを貼っている男が,卓球についてまとめます。

越後の太陽,暮れる

2021-01-05 16:32:55 | 選手
お正月に昨年秋に亡くなったセクレタンについて軽く触れたと思うが,実はもう1人,卓球界にも縁の深い著名人が亡くなったので,今日はその方について話していきたいと思う。

今回紹介するのは,林家こん平

ここに来て選手ではなくてなぜ落語家?と思われた方も多いかと思う。

実は彼自身,落語家としてのみならず,卓球界を盛り立てるのに地道に取り組んできた功労者でもあるのだ。

1943年3月12日,新潟県はチャーザー村(千谷沢村,現長岡市)の出身で,日テレの長寿番組「笑点」のレギュラーメンバーとして長く出演し続けた。

本業の落語に励む傍ら,阿佐ヶ谷にあるバタフライの卓球道場に通い,「らくご卓球倶楽部」なるチームを率いる立場でもあった。



ここからは自身の記憶にある,こん平師匠の思い出を少し。

こん平師匠を初めて知ったのは中学校3年のころだったと思う。

ほかの笑点メンバーがそれぞれ思い思いの自己紹介をした後,必ず最後で

1,2,3,チャッラ~ン

と叫ぶのがお決まりだった。

まさにメンバーたちにとっての,明るい太陽のような印象だった

それから1年ほど経った頃だろうか,徐々に体調を崩すようになり,弟子のたい平さんになって今に至っている。

降板の前後ぐらいに出た卓球レポートで,横浜で行われた世界ベテラン選手権にも参戦し,レギュラーメンバーの三遊亭小遊三師匠,そして普段時折弄っている座布団運びの山田君と共に,楽しそうにプレーしていたのを記事で知ったのも,今となっては懐かしい思い出。

表舞台に出る機会も段々と減り,去る2020年12月に訃報を知ることになった。

故人のご冥福をお祈りいたしますm(_ _)m

では,また


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