日本の国土面積は37万8000平方km、その約3分の2が森林で、森林は68.5%を占めます。
日本は海に囲まれ、その海に沸いた雲が森に雨を降らせ、森が貯水池となって、流れ出る水が田を潤します。
イネは畑作物と違って連作が可能なので畑作ほどに広い土地を必要としません。
イネは平野の少ない日本に適した作物なのです。
今から300年ほど前の江戸時代、江戸が人口100万人を超える世界有数の大都市となれたのも日本全土に稲作が定着し、安定的に都市に食料が供給されていたからに違いありません。
森から流れ出る水が育てる稲で、安心して暮らせる人々が江戸や全国の都市で、そして村々で育んだ教養と文明が、日本人が明治維新を乗り切る際の大きな原動力となったはずです。
食料を安定して供給する稲作に適した自然環境は、日本という国の歴史を考えるとき、常に意識しておくべき条件と思えるのです。
電車は、新発田で羽越本線に入り、終着の村上駅を目指しました。
車窓には、緑の田の上に白い雲が浮かび、その緑と白の狭間に、蒼色の森に包まれる朝日岳らしき山容が望めました。
この時見えた、緑の田と白い雲と蒼い森の三位一体の光景は、日本文化を育んだ原風景そのものなのです。
電車は12時57分に村上に到着しました。
乗り継ぐ酒田行電車は13時47分に発車します。
50分ほどの時間を得て、村上市街を散策することにしました。
「青春18きっぷ」は普通列車が1日乗り放題なので、改札で切符を駅員に示すだけで、自由に改札を出入りすることができます。
村上は人口6万の新潟県最北の市で、雅子皇后の御実家である小和田家ルーツの地としても知られています。
三面川の鮭や村上牛が名産で、市街地には、職住一体型の建築様式である町屋が保存再生され、城下町としての面影が残ることでも知られています。
駅前広場には、小学校唱歌の「汽車」のレリーフが飾られ、この歌が村上出身の大和田愛羅の作曲である説明が添えられていました。
駅前広場横の観光案内所で、待ち時間内に散策できる場所を教えてもらいました。
駅前広場の先の十字路を左に曲がり進むと、肴町の掲示が見えてきました。
その先の交差点を右へ曲がりました。
なんの変哲もない、普通の田舎町の光景が見えました。
その道を進んで行くと、村上の作家や伝統工芸士の作品を展示販売する「やまきち」というギャラリーがありました。
このような格子窓を持つ外観が町屋の特徴だそうです。
時間が少ないので素通りし、通りの先へ歩を進めました。
次の交差点の角で「ゑびす屋」を目にしました。
「ゑびす屋」は大工を生業にするご主人が、仕事の減る冬場に作る木工製品を展示販売するそうです。
村上市で著名な町屋はこの交差点を更に先へ進んだ辺りだそうですが、この場所で右折して、駅へ戻る方角へ歩を進めました。
以前のブログにも書きましたが、筆者は数十年も前から時計を身に付けていません。
国内旅行では、どこへ行くにも、時刻と時間は勘が頼りです。
時刻を確認したいときは、都会ではコンビニや商店などで時計を覗き見ますが、この辺りにそのような施設は見当たりません。
次の酒田行の電車に乗り遅れれば、全ての計画に影響します。
街の雰囲気は味わえましたので、早目に駅へ戻ることにしました。
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