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山も海も 晩秋の花旅 index

2013-11-25 17:07:44 | 山も海も 晩秋の花旅

「花の旅」 総合目次 

 

山も海も 晩秋の花旅  index

 

滋賀 霊仙山

1  季節外れの花の山 (鈴鹿山系、霊仙山へ)

2  晩秋のグラデーション(カルスト地形に晩秋のグラデーション)  

3  カルストのあかまんま (晩秋の山の彩) 

4  パステルカラーの森 (淡い紅葉も心を和ませます)

 

滋賀 湖南地方

5  たえて桜のなかりせば(花がなければ全国を彷徨うこともない筈なのに)  

6  花探し(滋賀県の南西部で花探し)  

7  たえて黄金はなけれども(減反で、稲穂のない田に秋桜花が咲いていました)

 

京都 府立植物園 花の百名山 

8  星の王子様の木の実(京都府立植物園でバオバブの実を見ました)

9  愛宕山の柚子発祥地 (花の百名山の麓の村が柚子発祥の地)

10 そう言えばあの頃の恋心(自分に無いものが眩しいことがあります)

 

若狭湾から琵琶湖へ

11 心の小春日和(目に馴染んだ風景に心安らぐこともあります)

12 せめて縄文人なみに(旅の楽しみは、美味しいものに出会えること)

13 風雪を凌ぎ(世界中の人々が花を見て暮らせるようになってほしいと)

 

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風雪を凌ぎ

2013-11-25 16:36:49 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 福井県若狭町から敦賀を経て滋賀県に入りました。

 

 国道を走っていると、道の脇にケヤキの大木が聳えていました。

 

 琵琶湖に接した、長浜市高月町柏原の八幡神社の御神木で、樹高約20m、幹回8.5m、推定樹齢300年以上というケヤキです。

 

 惚れ惚れするような風格を見せていました。

 

 

 このケヤキの脇に、次のような説明がありました。

 

 『槻(ケヤキの古名)の巨木があることから「高槻」と名付けられたこの地は、大江匡房(平安後期の歌人)が月見の名所として次の歌を詠んだことから「槻」の字を「月」に改めたといいます。

 近江なる高月川の底清し のどけき御代のかげぞ移れり ・・・』

 

 

 

 筆者は十年以上も全国各地に花を訪ねていますが、定年退職後は樹木にも興味が広がり、気の向くままに、眺め暮らしております。

 

 旅の途中で出会った大樹の、数百年に亘って風雪を凌ぎ、根を張り枝を伸ばし続けてきた生命力に、言葉に尽くせぬ感慨が去来します。

 

 

 若狭の博物館を出る時には、更に日本海を北上し、富山方面へ足を伸ばそうかとも思ったのですが、明日は一日雨の予報だったので、滋賀へ下り、夜に東名を走って帰京することにしたのでした。

 

 しかし、琵琶湖の北の小谷山がイワウチワの群落のある花の百名山なので、その姿を眺めておこうと、敦賀から国道をのんびりと走って来たところです。

 

 八幡神社の御神木の先で、国道の左手に小谷山の姿が見えてきました。

 

 

 いつものように、ナビの地図を頼りに山へ近づいて行きます。

 

 

 標高495mの小谷山には、1500年代初頭に戦国大名の浅井氏によって居城が築かれ、日本五大山城の一つに数えらましたが、織田信長に攻められ1575年に落城しています。

 

 この季節にイワウチワの姿は期待できませんが、南の尾根筋に道を見付けたので、行ける所まで車で登ってみました。

 

 

 よく、こんなところに城を築いたものだ、と思わせるような山の頂へ石垣が続いていました。

 

 

 頂上までは歩きませんでしたが、こんな場所に城を築いて、日々の暮らしに必要な物資はどうやって賄っていたのでしょうか。

 

 信長の妹の、お市の方もこの山道を登って行ったのでしょうか。

 

 そんな不便を凌ぐ、生命の恐怖を伴う時代だったのだと、険しい峰道が教えてくれているようでした。

 

 花を眺めて暮らせる、何ものにも代えがたい、贅沢な時代に生きていることを改めて意識させられました。

 

 花を楽しむ生活の中にも、世界への目配りを決して忘れてはいけないと、一人頷きながら、戦国の砦を背に、帰宅の途に付いたことでした。

 

 

 2013年 晩秋の花旅にお付き合い頂きまして有難うございました。

 お伝えした内容が、花を愛でる暮しのご参考となれば幸せに存じます。

 

 

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せめて縄文人なみに

2013-11-24 21:57:37 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 若狭湾の景色を眺めながら三方五胡を目指しました。

 

 

 三方五胡は福井県若狭町と美浜町に湖岸を接する5つの湖で、周囲に梅園が広がる景勝の地です。

 

 しかし、私が今回訪ねたのは三方五胡ではなくて、その岸辺に建つ若狭三方縄文博物館でした。

 

 

 この博物館はあの梅原猛さんが館長を務めておられますが、ここに世界の年代基準(ものさし)となる年縞の資料が展示されているのです。

 

 この年縞は三方五湖の一つである、水月湖の湖底の堆積物を採取したもので、水月湖は流れ込む川が無い為に、底の土が乱れることなく、年輪のように一年に一層ずつの縞模様となり、その層が5万2800年にも亘っていることが確認されたのだそうです。

 しかし、どうやって数えたんでしょう。

 

 この調査を行った、英国ニューカッスル大の中川毅教授は「歴史学や考古学にとって、水月湖は(世界標準時間を示してきた)グリニッジ天文台と同じ役割を果たすことになった」と説明されたそうです。

 

 こんな話を知ってしまったら、寄らないわけにはいかないですよね。

 

 ということで、下の写真が年縞と、その解説の一部です。

 

 詳しい内容は、どうぞ「年縞、若狭三方縄文博物館」など、ネット検索してみて下さい。

 

  

 

 また、若狭三方縄文博物館には若狭町の鳥浜貝塚などからみつかった、縄文時代の丸木舟(6300~2800年前のもの)が展示され、その出土状況も再現されていました。

 

 

 これらの丸木舟は、縄文人が杉の原木を石斧で倒し、石器で削って仕上げたことや、それを実験考古学的手法で復元したことが解説されていました。

 

 

 私の知識の縄文人は、土器を使って竪穴住居に住む人々程度のものでしたが、この博物館の展示を見て、イメージが大きく変わりました。

 

 貝塚からはマグロ、ブリ、ウナギなどの骨が出土するそうです。

 

 縄文人は丸木舟を使うなどで、海や湖で漁をしていたようです。

 

 想像以上に豊かな食材を得ていたのかもしれません。

 

 

 それにしても、縄文人だってマグロやウナギを賞味していたと言うのに、私は旅に出てから、昼飯はパンと牛乳、夜はパック弁当に冷酒という情けない内容でした。

 

 そろそろ何か旨いものが食べたい!

 

 ということで、博物館の方に、この付近で旨い魚を食べさせる店をご存知ありませんかと聞いてみました。

 

 で、教えてもらったのが若狭町の源与門という鰻屋さん。

 

 

 多分、席に付くのに15分、料理が出てくるのに15分程待たされましたが、卓上コンロで蒸す「せいろ蒸し」は鰻本来の旨味を存分に堪能できる非常に結構な一品でした。

 

 

 

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心の小春日和

2013-11-21 23:18:42 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 今回の旅の主な目的の一つは、大江山のような花の百名山を訪ねることですが、ワカサハマギクとの出会いも秘かに期待していました。

 

 若狭まで廻ってきたのも、この地でなければ、この季節でなければ会うことのできない花を求める気持ちがあったからです。

 

 若狭の海に沿って走りますと、舞鶴などの地方都市を過ぎる毎に、森が渚に迫る青い海が広がります。

 

 

 崖の上の国道からカメラのズームを利かせて海を覗くと、エメラルドグリーンの水を湛えた、清んだ入り江が見えました。

 

 

 そんな海に、牡蠣を養殖する筏が並んでいました。

 

 

 仙台でも、瀬戸内の播磨灘でもそうでしたが、このように鬱蒼と森が海岸に迫り、泥水などが流れ込まぬ美しい入り江で、美味しい牡蠣が育つようです。

 

 そんな海沿いの道を走っていると、道の脇に時折、白い野菊の花群れを目にしました。

 

 しかし、海に迫る岩壁を切り拓いた国道は道幅が狭く、花を観賞するために車を停めるスペースが見つかりません。

 

 何度かチャンスを逃した後で、小浜を過ぎた辺りになって、やっと野菊にレンズを向けることができました。

 

 

 出会いを期待していたワカサハマギクはハマギクの名の通り、鳥取県から福井県にかけての海岸に生育する多年草です。

 

 10~11月、中央が黄色で、周囲に白い舌状花を持つ3~5cm程の花を咲かせ、 葉は三つに裂けた広卵形で、縁にノコギリ歯があります。

 

 はたして、この花は?

 

 

  

 ン~~ 違いますね。

  

 でも、ワカサハマギクでなくても良いのです。

  

 安らぎを感じさせる町並みや、エメラルドグリーンの海と白い野菊の花、それ以上の何が必要でしょうか?

 

 

 目の前の若狭の海は静かに淀み、流れることの無い筋雲は空に浮かび、私はぽっかり胸にひろがった心の小春日和を愛しみながら、三方五胡をめざしました。

  

 

 

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そう言えばあの頃の恋心

2013-11-21 23:04:53 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 11月2日、花の百名山「大江山」(833m)を望む国道176号のパーキングエリアで朝を迎えました。

 

 朝を迎えるまでは、大江山の頂上へ登るつもりだったのですが、麓から山を一望して、ピークを目指す気持ちが薄れてしまいました。

 

 何故かと理由を聞かれれば、山が低いこと、頂上が木立に覆われて眺めが期待できないこと、季節外れで花が期待できないこと、などと答えますが、多分、全体が見えてしまったので、山が分かってしまった気持ちになり、心を駆り立てるモノが無くなってしまったからなのでしょう。

 

 そう言えば、高校生の頃にも似たような感慨を持ったことを想い出しました。

 

 熱病のような恋心が芽生える相手は何時も、何を考えているか分からない、不思議な瞳の輝きを持つ少女だったような気がします。

 

 癖まで知っているような幼友達に恋心が芽生えることはありませんでした。

 

 

 鬼が住む大江山はどんな所かと、期待を胸に訪ねましたが、あまりにも容易に近づけたことが裏目となりました。

 

 

 大江山に登らなかったので、時間に余裕ができて、のんびりと宮津へ向けて車を走らせました。

 

 宮津では最初に天橋立を眺めました。

 

 大学生の頃、山陰を巡った時に訪ねて以来ですから40年振りです。

 

 

 

 宮津からは国道を東へ向かいました。

 

 見知らぬ街で、車を淡々と走らせていると、いつも不思議な安らぎを覚えます。

 

 散歩でもしているような気分になるからでしょうか。

 

 それとも、街がそう感じさせる何かを持っているからなのでしょうか。

 

 昔、「知らない街を歩いてみたい 何処か遠くへ行きたい」など詠う歌があったことを想い出しました。

 

 

 若狭湾に迫る岩壁に刻まれた道を周り込むと、海を挟んだ対岸の、名も知らぬ尾根の上に、11月の嫋やかな太陽が昇っていきました。

 

 

 

 

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愛宕山の柚子発祥地

2013-11-20 20:42:48 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 京都府立植物園を出てナビへ、愛宕山の麓である左京区嵯峨愛宕町を入力しました。

 

 車は丸太町通りを西へ走り、嵐山から北へ向かいます。

 

 久遠寺横を過ぎて、細い道を曲がりながら、くねくねと峠を登り始めました。

 

 後で調べると、どうやら六丁峠(171m)だったようです。

 

 峠の急斜面を下り、桂川に沿って走ると、川の対岸に保津峡の駅が見えてきました。

 

 カーブ先の離合困難な場所で、対向車との擦れ違いに10分程も掛かったりしながら、更に先へ進んで行くと、柚子の里と表示された水尾集落へ出ました。

 

 京都市内からほんの数キロの場所なのに、まるで飛騨の山奥のような雰囲気です。

 

 京都も奥が深い。

 

 やがてナビは、杉林に包まれた辺りで、目的地に着いたことを告げましたが、案の定、花の百名山である愛宕山は見えてきません。

 

 尾根筋へ登って行く林道のような道を走り続けますと、右手杉林の斜面の上に空が覗きました。

 

 幸い、車を停められるスペースを見付けたので、車を降りて、強引に50m程も杉林の斜面を登って行きました。

 

 尾根の上に出て、最初に目にしたのがこの光景です。

 

 

 目の前のピークが愛宕山なのでしょうか?

 

 地図を持ってこなかったので見当が付きません。

 

 今居る場所の左手200m程の尾根上に送電線の鉄塔が見えます。あそこまで行けば、視界が開けるだろうと、ススキ繁る踏み分け道を登って行きました。

 

 しかし、鉄塔のある場所まで行っても視界は開けず、その先へ、更に尾根は上っています。

 

 此処まで来たのだからもう少し、と登って行くと、踏み分け道は杉林の中に続いていますが、何だか不思議な光景です。

 

 

 ムムム、これは、ただの山道ではなさそうですね。

 

 苔むした石標も目にしました。

 「従是保津峡 明治十?年」などという字が読みとれます。

 

 

 しかし、だんだんと辺りは薄暗くなってきました。

 

 こんな所で熊や猪にでも出くわしたら、ただではすみそうもありません。

 

 冒険心はほどほどにして、暗闇迫る前に、車へと戻ることにしました。

 

 杉林をゆする風にススキの穂が揺れていました。

 

 

 後から地図で確認すると、この時は、京都市と亀岡市の境となる尾根を彷徨っていたようです。

 

 私はこの後、京都市左京区最奥の嵯峨越畑を抜け、国道9号線を福知山まで走りました。

 

 福知山に着くと、まずは銭湯を探して汗を流し、閉店間際のスーパーマーケットで幕の内弁当と鯖煮の缶詰を買い求めました。

 

 その後更に、丹後大江山の麓のパーキングエリアまで走り、三日目の夜を過ごすこととしました。

 

 

 柚子の里と称する水尾集落が気になったので、少し調べてみました。

 

 愛宕山の中腹にある水尾集落は、日本の柚子の発祥地だそうです。

 

 古くは水雄(みずのお)と呼ばれ、700年代に光仁帝や桓武天皇が遊猟されたことが「続日本記」などに記載されているようです。

 

 昔は丹波から都へのぼる道は「水尾」と南の「老ノ坂峠」しかなく、繁盛した頃は百を超える戸数があったようです。

 

 日本の柚子発祥の地である水尾では、数軒の民家が開放され、柚子風呂や鶏なべを楽しませてくれるそうです。

 

 あ~ぁ、こんなことを知ってしまったら、これはもう気になって、気になって。

 

 これは、柚子の花咲く頃に是非もう一度。

 

 愛宕山に登った後で、水尾の里で柚子風呂と鶏なべを、などと考えただけで、ムフフフ、幸せな気分がひろがってきました。

 

 

 

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星の王子様の木の実

2013-11-13 21:08:31 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 京都府立植物園を訪ねるのは三年振りです。

 

 車を駐車場に停めて、9時半頃に入園しました。

 

 

 今回の訪問目的の一つが、コクサギ型葉序 (旋回葉序) という特殊な葉の付け方をする樹木の観察なので、最初にネコノチチやケケンポナシという樹木を探すことにしました。

 

コクサギのコクサギ型葉序

(枝の左右に葉が二枚ずつ並んでいます)

 

 入園時に、受付の職員に木々の場所を尋ねますと、親切にも電話で事務所へ問い合わせてくれました。

 

 しかし、はなしょうぶ園の道を進んだこの辺り、程度の説明だったので、木を探すには、それなりの時間もかかりました。

 

 ネコノチチ、ケケンポナシ、コクサギ、ヤブニッケイ等の木々でコクサギ型葉序 (旋回葉序) を観察した内容は別のブログへ記載しましたので、興味のある方は、どうぞそちらをご参照下さい。

 

  

    ネコノチチ                         ケケンポナシ

 

 二時間程度かけてコクサギ型葉序 (旋回葉序) の観察を終えると、改装されて新しくなった「森のカフェ」でコーヒータイムをとります。

 

 目の前の芝生広場で、遠足に来た園児達が可愛い歓声をあげていました。

 

 

 天候にも恵まれて、暖かな陽の光がぽかぽかと当たるデッキで、至福のひと時を味わうことができました。

 

 広場の横では菊花展が開かれ、盆栽仕立ての菊などが展示されていました。

 

 

 今の季節は、花の種類は多くはありませんが、生態園にはオハラメアザミ (大原女薊) やキクタニギク (菊渓菊) 等が咲き、

 

 

 

 園内を巡ると、熊本大学薬用植物園以来となるミツバハマゴウの花に出会うこともできました。

 

 

 そして、森の外れの陽だまりの中で、麗しく咲いたサザンカが季節の到来を告げていました。

 

 

 「四季 彩の丘」では、瓢箪形の珍しいカボチャ「バターナッツ」が棚にぶら下がっています。

 

 種が下部のふくらんだ部分に集まって、可食部が多いのが特徴だそうです。

 

 もしかすると、品種改良に使われ、数年先には食卓へも上がるような事があるのでしょうか。

 

 

 

 温室へ入ると、星の王子様の木のバオバブに実が稔っていました。

 

 昨年、イギリスの植物園でバオバブジュースを飲んでから、バオバブの実を一度は見てみたいと、ずーっと願っていたのです。

 

 まさか、日本で実物に遭遇するとは思ってもいなかったので、ここで見ることができたのは大きな収穫でした。

 

 

 京都府植物園は日本でも指折りの植物園ですから、植物をじっくり観察していたら、いくら時間があっても足りそうもありません。

 

 しかし、昼過ぎから、昨日の登山の疲労が足に残っているのを感じ始めたので、無理をせずに、今日は予定より早く、15時半頃に退園することにしました。

 

 

 次の目的地は、京都市郊外の愛宕山と丹波山地の大江山です。

 

 

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たえて黄金はなけれども

2013-11-12 12:19:24 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 滋賀県近江八幡市野田町のコスモス畑の脇で朝を迎えました。

 

 予想した通りに、朝日を背に受けて、コスモスが可憐な表情を見せてくれました。

 

 

 県道26号線沿いのコスモス畑は、約4万平方メートルもの広さがあるそうです。

 

 車の窓から差し込む、眩しい程の朝日を浴びながら、ゆっくりと朝食を摂り、車から出て、コスモス畑の写真を撮り歩きました。

 

 

 昨日訪ねたコスモス畑と同様に、花の見頃は終わっていましたが、早朝の清々しい光の中で見るコスモスに、身も心も解放されるような思いがします。

 

 

 

 会社員で50歳を迎えた頃に、花を見て暮らしたいと考えていました。

 

 20代の頃に、食べることを優先して進路を決めましたが、可能であれば次の岐路では、物や金に囚われない生き方をと、漠然と願っていたからかもしれません。

 

 そんな生き様を徹底できる強さや勇気を備えている自信はありませんでしたが、取り敢えず、その準備だけはと、ホームページを立ち上げ、休日に花の写真を撮り歩くことを始めました。

 

 超多忙な仕事の中で、一年を通して花に出会う為に、全国の花関連情報を収集し、折角のことだからと、それをホームページで紹介してきました。

 

 いつの間にか、その情報を確認する為に、全国に花を訪ねているように見えますが、本当は花を見て酒が飲めれば、ただそれだけで満足なのです。

 

 

 

 野田町のコスモス畑から、県道を琵琶湖方面へ向かっている途中で、交差点の右手にコスモスの花群れを見付けました。

 

 コスモス畑の横に看板が建ち、「コスモスふれあい農園 大房町・農と環境を守る会」の字句が見えます。

 

 休耕田を雑草が茂るままに放置するには忍びないのでしょう。

 

 本来であれば稲穂が黄金色に染めるべき田を、コスモスが淡紅色に彩っていました。

 

 

  秋の田に たえて黄金はなけれども たれもが愛でし秋桜かな 

 

 

 

 琵琶湖の湖岸道路を守山市へ向かいました。

 

 

 コスモス畑の詳細な住所が分からず、ナビに守山市今浜町とだけ入力しましたが、着いてみると稲刈りが終わった田が広がっているばかりでした。

 

 しかたなく、当てなく走っていると、道路と民家に挟まれた幅30m程の敷地にコスモスが咲き、道路脇に「今浜町コスモス園」の幟を見かけました。

 

 しかし、他のコスモス畑に比べ規模が見劣りします。

 

 ここが本当に今浜のコスモス畑なのでしょうか?  

 

 でも、よくよく見るとコスモスの根本に3年2組などと書いた杭が打たれていました。

 

 きっと近所の小学生達が、大事に世話して育てたコスモス畑なのでしょう。

 

 そう思って見直すと、こんなに沢山のコスモスを育てるなんてすごい、と思えてくるから不思議です。

  

 

 

 さて、日出過ぎからコスモスを堪能してきましたが、時計の針は朝の8時を回りました。

 

 今日はこれから一日、京都府立植物園で花と木を見て過ごす予定です。

  

 琵琶湖大橋を渡り、京都市内へと向かって走り始めました。

 

 

 

 

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花探し

2013-11-11 22:27:13 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 御池岳の麓から、次に訪ねたのは東近江市妹町にある、道の駅 あいとうマーガレットステーションです。

 

 しかし残念なことに、コスモスの最盛期は既に終わっていました。

 

 それでも、写真技術を駆使して、それなりの絵を得ることはできました。

 

 

 コスモス畑の周囲を歩き廻り、光と花のバランスや構図を考えてシャッターを切ります。

 

 と言っても、「仕事」ではないので、作業を楽しむだけで、結果は・・・  

 問いません。

 

 

 次に、日野町のブルーメの丘を目指しました。

 

 駐車場に車を停めたのが15時半を回っていました。

 

 正面ゲートのチケット売り場の小父さんに、「何か咲いていますか?」と尋ねますと「コスモスが咲いているけど、もう殆ど終わりかけ」との返事でした。

 

 ゲートの入り口から見えるバラもショボショボしていました。

 

 

 

 と言うことで、入園料を払うのは次の機会にして、駐車場を出た先の、数百メートル先の休耕田が一面のコスモス畑となっていたのです。

 

 綺麗ですね~

 

 

 

 ここのコスモスも最盛期は過ぎていましたが、花数が多く、随所に傷みの無いコスモスが咲いていたので、構図には困りません。

 

 ブルーメの丘に入ったら、夕暮れ前に、ここのコスモスは楽しめなかったかもしれません。

 

 

 既に16時を過ぎましたが、同じ町内に日野ダリア園があるはずです。

 

 ダリアなら、ぎりぎりで花の季節に間に合うかもしれません。

 

 しかし、ナビに住所を入れ、途中から路肩の「日野ダリア園」の標示を頼りに走り、ダリア園の横へ車を停めると、既に門は閉まっていました。

 

 入口に開園時間が9:00~16:00と表示されています。

 

 ウ~ン そうだったか。

 

 でも、折角なので、園の周囲をぐるり歩いて、金網の隙間から中の様子をパチリ。

 

 

 

 空を見上げると、一面の雲に覆われ、太陽の姿が見えません。

 

 すぐに黄昏がやって来ます、流石にもう、今日の花探しは限界でしょう。

 

 

 さて、どうしようかな?

 

 取りあえず、まずはお風呂を探すことにしました。

 

 山登りの汗を流さなくては、とても眠れたものではありませんので。

 

 近くの大きな街を目指しました。

 

 そして、近江八幡市街で銭湯を見付け、さっぱりと汗を流した後、駅前のイオンで閉店間際にパック詰めの寿司と日本酒と焼き鳥を買って、野田町のコスモス畑の横に車を停めました。

 

 明日の朝、目が覚めたら、コスモス畑に朝日が満ち溢れる光景が楽しめるはずです。

 

 登山の疲れもあって、日本酒も二口、三口で、夢の中へと旅立ちました。

 

 

 

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たえて桜のなかりせば

2013-11-11 19:04:41 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 霊仙山から下りてきました。

 

 今日はこれから、滋賀県の南東部に花を訪ね、日が暮れた場所で一夜を過ごすつもりです。

 

 最初に目指したのは御池岳でした。

 

 もう既に13時を過ぎましたから、山には登らず、山容を見ておこうとだけ考えていました。

 

 御池岳のピークへ近づく道が東近江市君ヶ畑町にあるので、ナビに住所を入力して走りだします。

 

 しかし、この方法で上手くいったためしは、めったにありません。

 

 山容を確認するのであれば、近づき過ぎると山が見えなくなるからです。

 

 でも、「何となく山に近づきたい」と思うのが何故なのか、自分でもよく分かりません。

 

 滋賀県南東部は三年前の9月にヒガンバナを訪ねていますが、それ以外は私にとって馴染みの薄い場所です。

 

 ナビのままに走っていると、多賀町の犬上ダム湖の畔に出ました。

 

 

 緑に包まれた静かな湖で、特別保護区域に指定されているようです。

 

 カワセミ、ヤマセミなどが見られ、3月上旬にはオシドリが200羽ほどやって来ると掲示されていました。

 

 

 山の道を走っていると、突然「惟喬親王御陵」(これたかしんのうごりょう)の看板が目に入りました。

 

 惟喬親王って誰なの?

 

 すいません、私は本当に日本史に弱いのです。

 

 

 

 帰宅後に調べてみますと、

 

 惟喬親王は844年(承和11年)に文徳天皇の第一皇子として生まれました。しかし、惟喬親王の母方の紀氏より権力のある、太政大臣・藤原良房の娘、明子に第四皇子が生まれると、都を追われ、872年(貞観14年)には出家し、近江国の小野などに隠棲したのだそうです。

 

 惟喬親王は在原業平と深い交わりがありました。

 

 親王が、今の枚方市にあった渚の院で遊んだ時に、同行した在原業平が

 

 「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」と詠み、

 

 それに応えて誰かが

 

 「散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき」と返した、

 

 という話が伊勢物語にあるそうです。

 

 

 私はこの後、御池川に沿った道を君ヶ畑町最奥の「この先通行止め」まで走りましたが、案の定、御池岳を見ることはできないままに終わりました。

 

 

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パステルカラーの森

2013-11-10 12:52:22 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 下山するときも同じルートを下りてきました。

 

 七合目を過ぎた辺りで、眼下にパステルカラーの森が見えてきました。

 

 

 道は森の中へと導かれます。

 

 

 明るい広葉樹森が心を和ませてくれます。

 

 

 ヤマザクラの落葉でしょうか、登山道の脇に明るい彩りを添えています。

 

 ウリハダカエデでしょうか、桃紅色に垂れた、枝先の種子に目が惹かれます。

 

  

 

 何も考えずに、木立の息づかいだけを聞きながら、足を運びました。

 

 右の沢から水の響きが聞こえてきます。滝があるのでしょう。

 

 杉木立の下の、名も知らぬシダの葉に目が留まりました。

 

 最近の私は緑なら何にでも目が向くので、収拾が付かなくなりそうです。

 

 焦点を絞らなければ、とは思うのですが・・・

 ん~   まっ、いいか。

 

 

 

 

 山小屋を過ぎて沢道を下ると、杉林の中に石垣が見えてきました。

 

 杉の植林の為に手間暇かけて石垣を積んだのでしょうか?

 

 不思議な光景だなと思って、帰宅後に調べてみたら、昭和32年に廃村となるまで此処に50戸ほどの集落があったのだそうです。

 

 こんな山の中で、どんな暮らしだったのでしょうか。

 

 

 車を停めた登山口へ12時50分に戻ってきました。

 

 

 霊仙山は、花の季節に多くの登山者を集めるようですが、晩秋のパステルカラーの森も十分に味わい深い、花の百名山でした。

 

 

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カルストのあかまんま

2013-11-09 12:39:57 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 九合目となる経塚山で、数人の登山者と出会いました。

 

 皆さん60歳代と思える男性の方々です。

 

 下半期初月の平日の31日、私も会社勤めをしている頃には、山になんぞ登れる日ではなかったはずです。

 

 数十年間、真面目にガムシャラに働いてきたとはいえ、平和で豊かな国に生まれたことに感謝、感謝です。

 

 せめてこれからは、寝たきりになって世話を掛けたり、ボケて迷惑を掛けたくはないと、心から願っています。

 

 楽しく、体を使って暮らすとボケないってホントでしょうか?

 

 

 

 北東の方角に避難小屋が見えました。

 

 柔らかな陽射しの中、静かな恋の物語でも始まりそうな佇まいです。

 

 

 

 霊仙山のピークへ向かって、なだらかな草原が続いていました。

 

 

 風のない稜線に、馬酔木が肩を寄せ合い、ささやかな茂りを見せていました。

 

 

 ピークへ続くカルストの中に、あかまんまが、さわさわと花を咲かせていました。

 

 都会の片隅で咲けば雑草なのに、 花の百名山で咲くと特別な存在に見えます。

 

 しかも、矮性化しているので、少し形態に変化が見られるようです。

 

 どんな場所に根を下ろしたかによって、花の運命も大きく変わるのでしょう。

 

 

 三角点がある1084mの霊仙山のピークに到着したのは11時13分でした。

 

 腰のポシェットにアンパン一つ、という身軽な恰好でのんびり登ってきましたが、予想より早い登頂となりました。

 

 

 頂上で周囲を眺めているうちに、西の空に雲が広がってきました。

 

 花の季節ではありませんので、早々に山頂を下り、最高地点のある隣のピークへと向かいました。

 

 

 白い石灰岩の中の踏み分け道を10分程も歩くと、1098mの最高点に到着しました。

 

 北東に、先ほどの経塚山と避難小屋が見えています。

 

 

 このピークからの西南尾根には、早春になると、黄金色に輝くフクジュソウの群落が見られるそうです。

 

 

 

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晩秋のグラデーション

2013-11-08 15:43:28 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 眼下に見えるのは米原市街でしょうか。

 

 鈴鹿山系に入るのは、今回が初めてなので、周囲の地理が十分に頭に入っていません。

 

 

 

 岩がごろごろした登山道が続きます。

 

 

 登り始めてほぼ一時間で「七合目 お猿岩」に着きました。

 

 後ろに見える尾根がピークの肩のように思えます。

 

 

 左手から尾根を大きく迂回して、登山道がピークへと続いていました。

 

 

 マユミの赤い実が褐色の草原によく映えます。

 

 

 イヌツゲが健気な姿で、ほんの僅かな表土に根を伸ばしていました。

 

 

 緑に触発されて、花咲く季節のイメージが、瞬時に頭の中に広がります。

 

 晩秋の枯原で、花に包まれる幻想を楽しみながら歩を進めました。

 

 周囲は涼やかに枯れているのに、耳の後ろ辺りに、暖かな感覚があります。

 

 

 「八合目 お虎が池」の標識と霊仙神社の鳥居を見かけました。

 

 池の周囲だけが、息づくような緑に縁どられていました。

 

 

 池の水面もヒルムシロの緑です。

 

 

 歩を進めると、カルスト地形特有の石塔原(カレンフェルト)が、9合目となる経塚山まで続いていました。

 

 

 マロンブラウン色の枯葉が、青鈍色の尾根へと、晩秋のグラデーションを見せていました。

 

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季節外れの花の山

2013-11-06 22:31:50 | 山も海も 晩秋の花旅

 2013年10月31日 滋賀県米原市の杉林の中を、花の百名山 霊仙山登山口を目指し車を走らせていました。

 

 

 新東名高速道路の浜松PAで夜を過ごし、朝7時過ぎに出発してから約2時間、朝の9時を少々回ったところです。

 

 昨晩は車の中で熟睡し過ぎたため、予定よりも遅い出発となってしまいました。

 

 榑ヶ畑登山口の駐車場は既に5,6台の車で溢れ、やっと一台分を確保することができました。

 

 季節外れの平日ですが、霊仙山は結構登山者に人気があるようです。

 

 

 身支度を整えて、9時半に登山道へ歩を進めました。

 

 

 杉木立の中を縫うように山道が続いています。

 

 

 10分も歩かないうちに、「山小屋かなや」に出ました。

 

 

 ここで、私は「かなや手動飲料販売所」という素敵なものを目にすることになります。

 

 地方へ行くと、道路脇に野菜の無人販売をよく見かけますが、ジュースやビールの無人販売は今回初めて目にしました。

 

 滋賀県は近江商人のイメージがあるので、生き馬の目を抜くような土地柄かと思っていたのですが、相当にイメージが変わりました。

 

 どうぞ、いつまでもこのシステムが続けられますようにと、願わずにはいられません。

 

 

 

 山小屋かなやの料金は素泊二千円、キャンプ五百円

 

 連絡先は 090-9700-1640 bigbirddesign@ybb.ne.jp  だそうです。

 

 

 清々しくて心地よい木立の中に登山道が続いていました。

 

 

 そんな登山道で青々と葉を広げたヤブニッケイを見付けました。

 

 

 

 今私が一番興味のある、コクサギ型葉序を持つ樹木です。

 

 鳥が種を運んで来たのでしょうか。

 

 こんな風に繁殖してゆくのですね。

 

 

 標高を少しずつ上げて行くと、ブナの林が広がり、木々の梢が仄かに色付き始めました。

 

 

 登山道の南へ、霊仙山から伸び出した尾根にも秋の気配が感じられます。

 

 

 やや暫く登ると更に展望が開け、鈴ヶ岳や御池岳らしき峰々の姿が見えてきました。

 

 

 眼下の谷の中から獣の鳴く声が聞こえてきました。

 

 たまたま、通り合わせた登山者の方が「鹿ですね」と教えてくれました。

 

 霊仙山は石灰岩からなる山で、上部はカルスト地形となり標高900mを越えた辺りから樹木の姿が疎らになります。

 

 

 そんな景色の中で真っ赤に実を付けた木立を見付けてレンズを向けていると、先ほどの方が「綺麗なマユミですね」と声を掛けてくれました。

  

 

 晩秋の穏やかな枯葉色の草原で、赤い木の実が青い森を背に、朝の陽射しを浴びていました。

 

 

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