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10.正武寺の山茶花

2010-11-27 23:49:50 | 冬の花 山茶花の旅

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 長昌寺の山茶花を堪能してから、本来の目的である正武寺に向かいました。長昌寺からは僅か数百メートルです。

 正武寺は今の海津市平田町今尾にあった今尾藩の五代藩主、竹腰正武の菩提寺で、正武の夫人である正子が亡くなったときにその御廟入口に植栽されたと伝えられています。

 

 




 山茶花は樹齢270年、樹高11メートルの古木が二本、寺の右手奥の山裾に仲良く並んで花を咲かせていました。

 

 左手の山茶花が少し元気が無いようですが、岐阜県が樹木医に依頼して樹勢回復に努めているようです。
 
 さて、今日はここまでで六ヶ所の山茶花の古木を見てきましたが、花の色は全て薄紅色でした。

 

 私はまだ山茶花の原種を見たことはありませんが、原種は白色で5~7弁の一重だということですから、今日見てきた木は全て園芸種ということになります。

 

 山茶花研究の第一人者、箱田博士はその著書で、山茶花の品種が発達した最初の時期は1600年代初頭から1750年代と説明されておりますが、今日見た山茶花は全てその時期のものということになります。

 

 この時期はまた、お伊勢参りが数百万人規模で行われていたことでもあり、当時は珍しかった山茶花の種子を、参拝者が出身地へお土産のように持って帰ったであろうことは容易に推測できます。

 

 特に農民にとっては、植物であっても実利を伴わない、小さくて、珍しい山茶花の種子はお伊勢参りの話題の一つとして格好のお土産となったのではないでしょうか。


 何となく、群馬の山茶花の古木と話が繋がってきそうな気が致します。印象、アイデアの域を出ませんが、仮説としては悪くないと思いますが如何でしょうか。

 今日はこれで、ほぼ予定通りの場所を巡り終えることになりましたが、まだ昼前です。

 

 そこで、予め、予備として考えていた内藤記念植物博物館を尋ねることにしました。

 

 そこの薬草園に既に花は咲いていませんでしたが、博物館の展示内容はとっても興味あるものでした。一見の価値ありです。


 


 中央の樽状の物は江戸時代の薬用スチームバス

 博物館の後は、海津市羽根谷のだんだん公園、愛知県植木センター、庄内緑地なども訪問することもできました。

 

 植木センターに着いた頃からは雨が降り始め、明日の高速道路は渋滞が予想されます。

 

 となれば、長居は無用。私は名古屋市内から高速に入り、夜の道を帰途へとついたのでした。

 

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9.関市の山茶花

2010-11-27 23:43:55 | 冬の花 山茶花の旅

 岐阜の山茶花巡りはご機嫌な状況で、すでに胸の中は暖かなお土産でいっぱいです。

 さて、次の目的地は関市の宗休寺です。

 

 このお寺は関市の中心部に位置する安桜山の中腹にあり、本堂が長野の善光寺とそっくり三分の一の形なので、通称で関善光寺と呼ばれています。

 

 



 この関善光寺には関市指定天然記念物である樹齢300年の山茶花があります。

 

 この日は私が来るのを待っていてくれたかのように、本堂と大仏殿を入った場所で薄紅色の花を咲かせてくれていました。

 



 そうそう、花を見ているとつい団子を思い出しますが、この関市には鰻で有名な店があるということです。

 

 残念なことに、十分な事前調査をしていなかったので、「折角行ったのに ・・・・・ 」という結果となりました。次の機会には是非。

 さて、関善光寺から今度は関市の北東へ車を走らせます。

 

 しかし、途中の分岐で道を間違えたのか、どうやら東側の県道58号に出てしまったようです。

 

 軌道修正して、本来の目的地である志津野地区へと向かいました。

 

 とは言っても、この日は結果全てが良い方向へ転がります。

 

 廻り道の県道343号を走っていると右手方向に全体がピンクに染まった見事な山茶花を見つけました。


 

 僅かに人の踏み後が残る小道の入口に、「曹洞宗」「長昌寺」という石柱が二本建っていますが、その奥の建物に人の気配はありません。

 

 もしかすると廃寺?

 

 



 建物を仔細に検分する訳にもいかないので、山茶花の周囲だけをカメラ片手にアングル探し。

 この山茶花は事前の検索では引っかかってこなかった樹ですが、全ての枝にピンクの花が咲き揃い、本当に見事な光景です。

 

 このような出会いこそがまさに旅の醍醐味なんでしょうね。

 

 I'm very happy today.です。

 

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8.大智寺の暖かな山茶花

2010-11-27 23:29:32 | 冬の花 山茶花の旅

 庭をきょろきょろしながら、肩に三脚を担いでいると、若い女性の「いらっしゃいませ」と言う声が聞こえました。

 声のする方を見ると、堂の外廊下に女性が、笑顔で立っておられます。

 

 「今日は」と挨拶をして、「すいません、山茶花を見に来たのですが、どこにあるのでしょうか?」と尋ねると 

 「それは古い山茶花のことですか?

 あの山茶花は二年ほど前に折れて、倒れたんです。後ろの山門の横にある切り株がその山茶花のものです」と仰るではありませんか。


 「え~ この切り株ですか! そうなんだ! この山茶花を訪ねて来たのに、残念」

 

 


 すう嘆くと、女性の方は気の毒がられ、

 

 「折角お越し頂いたのに申し訳ありません」と仰いました。

 

 私は「申し訳ないなんて、貴女の責任でもないのに、そんなこと言われたら参るな~」と思っていると、

 

 「折角ですから、どうぞこちらにお上がり下さい。」と本堂と思しき建物の玄関を開けてご案内して下さいました。

 

 私はずうずうしく、案内されるがままに上がらせて頂きますと、やがて暖かいお茶とお菓子が目の前に、

 

 「どうぞお召し上がり下さい」

 



 「いやはや、これは。今時こんな、昔の日本人が備えていた、暖かな人情の方が今でもいらっしゃるなんて、なんと言うことか」と思いながら、

 私は全国の花を尋ね歩き、ホームページに花の写真を掲載していることなどを語っていると、女性の方が、本堂の裏にもう一本の山茶花があるとお話されたので、早速その古木を見せて頂くことにしました。




 この木も中々に見事な山茶花です。

 

 根元に空があり、幹の直径は40㎝ほどもありましょうか。

 

 柔らかな陽射しの中で薄紅色の花が微笑んでいました。

 山茶花というのは本当に不思議な魅力を持つ花です。

 

 初冬の寒さ募る季節の中で、控え目な印象に、暖かに花を咲かせ、そして根元が染まるほどに花弁を敷き散らせます。

 野が枯れる季節に、人の心に暖かなものを運んでくれる花、との思いを新たにした大智寺の山茶花でした。

 

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7.山茶花日和

2010-11-27 23:20:35 | 冬の花 山茶花の旅

 長良古津から国道を北上し、次に向かったのが岐阜市芥見の真聖寺です。

このお寺の山茶花も岐阜市指定天然記念物で、11月の今頃は花を咲かせているはずです。

 

 長良川の藍川橋を今度は左岸へと渡り、芥見地区へ入ります。

 

 芥見小学校を探して、その裏手へ回り込むと、ありました、真聖寺。

 

 


 丁度、山茶花が今を盛りと、庭先で咲きほころんでいました。

 そして、掲示板には、この山茶花は樹高5.2m、地上45cmでの幹周囲1.75m、11月頃から薄紅色の花を咲かせると表示されています。

 


 なんだか、初冬の陽射しの中で薄紅色の山茶花を見ていると、ほんわりと胸の中まで花の色に染まっていくような気持になり、わざわざ数百キロを車で駆って来た甲斐もあります。


 すっかりいい気持になって、次に目指すは大智寺です。

 大智寺は岐阜市の北、北野地区にある臨済宗のお寺で、徳川時代には葵の紋を許されたという由緒あるお寺です。

 

 このお寺には県の天然記念物である樹齢800年の檜と樹齢300年の山茶花があるはずです。

 

 今度は長良川の支流である武儀川に沿って県道を北上しました。

 大智寺に着くと山門の手前に大きな池があり、そして見事な檜が出迎えてくれました。

 

 庭の紅葉が艶やかに季節を彩っていました。






 さて、山茶花はどこにあるのだろうと、寺の庭を奥に進んで行きますが、それらしき物は見当たりません。

 

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6.岐阜の山茶花巡り

2010-11-27 23:14:04 | 冬の花 山茶花の旅

 昨日は交通渋滞で、思うようにスケジュールをこなせなかったので、今朝は早目に行動開始。時間が勿体無いので、運転しながら、コンビのおにぎりが朝食です。

 

 ロードマップに目的の場所をプロットしておいたので、最も効率の良いルートを選んで、花旅をスタートしました。

 最初の訪問は大松美術館です。

 

 この美術館は見事な山茶花の垣根が周囲を囲んでいるはずです。期待しながら、車を走らせたのですが、



 残念、ここの山茶花はまだ咲ききっていませんでした。

 

 しかしこの生垣一面に山茶花が咲いたら本当に見事でしょうね。

 次の目的地は古津の山茶花です。

 

 長良古津の村瀬家の庭に岐阜市指定の天然記念物の山茶花があるはずです。

 

 市内から国道を北へ向かいます。金華山の上で岐阜城が朝日の中に輝いていました。

 印象的な光景だったので、わざわざ裏手へ回って城の姿をパチリ。 

 

 


                           

 長良川に架かる千鳥橋を渡り、長良古津地区へ入りました。

 

 しかし詳細な住所が分らないので、県道を適当な場所で脇道へ入りました。

 

 すると、右手の畑にご夫婦で農作業をしている方がおられたので、「すみません、この辺りで村瀬さんというお宅をご存知ないでしょうか?大きな山茶花があるお宅なのですが」と尋ねると、ご婦人がご自分を指差して「それ、私の家」と仰るではありませんか!

 

 「えー 、そうですか! すみません、東京から山茶花を見に来たのですが、拝見させてもらえないでしょうか?」とお願いすると。

 

 「えー、東京からわざわざ!」と驚かれて、「そこに車を停めて、付いていらっしゃい。私が行かないと犬が吼えるから」とご自宅まで、案内して頂けました。

 そしてこれが「古津の山茶花」です。

 


 古津の山茶花は昭和55年に岐阜市天然記念物に指定、樹高5.65m、地上35cmでの幹周1.85m、樹齢400年以上、毎年11月頃から淡紅色の花を咲かせると、樹の傍の掲示板に記載されています。

 犬が見知らぬ訪問者に盛んに吼えかけます。

 

 ご案内頂けなかったら、十分に写真は撮れなかったかもしれませんでした。


                     

 そして、なんということか、帰りにはご自宅で取れた、箱いっぱいの柿をお土産に頂く始末で、村瀬様本当に有難う御座いました。




 奥様のお話では最近、樹の根元が傷んできているとのことです。山茶花がいつまでも丈夫に、花を咲かせ続けて欲しいものだと願わずにはいられません。

 

 

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5.岐阜の夜

2010-11-27 23:06:32 | 冬の花 山茶花の旅

 デンパークを後にしたのは16時半ごろだったでしょうか。

 

 そこから国道22号線で名古屋まで行き、名古屋市内を迂回して岐阜へ向かいました。

 岐阜市内に入ってから、まず最初にしたことはお風呂探しです。

 

 郊外の日帰り温泉にでもと考えたのですが、夜も8時近くになっていましたので、街中を駆っていた時、偶然目の前に出現した「松の湯」へ入ることにしました。

 

 「松の湯」は殆ど貸切状態で、電気風呂などもあって、本当に至福な時間を堪能することができました。

 普通に街中の銭湯ですが、この風呂に入るために一日中動きまわっていたのだ、と思えるほど気持のよいお風呂でした。




 一風呂あびてさっぱりしたら、次は食事です。数年前、仕事で岐阜に来たときに、岐阜駅周辺に手頃な飲み屋街が並んでいたのを見ていたので、その方角へと足を運びました。




 焼き鳥、串揚げ、琉球料理、パスタ 等々 
どれにしようかなー、 店を探して夜の街をうろつく、この瞬間もまた楽しです。


 結局、店の前に活サザエや蛤などを並べている魚料理の店に入ることにしました。




 店内は酒瓶を入れるプラスチックケースを壁際に並べ、その上に板を置いて椅子代わりにするという、設備に余分な経費をかけない内装です。

 私は最近受診した健康診断で尿酸値が高いことが分りましたので、ビールを控え、最初から日本酒を注文しました。

 (誰かが、「だったら酒を控えれば良いのに」と陰口をたたいているようですが、そのような非現実的な意見には聞く耳を持ちません。)


 隣の席では豪快に、卓上の七輪で鮪のカマを焼き始めています。




 私はゆっくりと活蛤を焼きながら、壁の名札から地酒を選んで「ダルマ正宗」と「房島屋」と「初緑」を順に注文して、胡瓜の一本漬を箸休めに、岐阜の夜を味わい始めました。

 

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4.デンパーク

2010-11-27 22:51:05 | 冬の花 山茶花の旅

 豊川総合動植物園を後にして、次は安城市のデンパークへと向かいました。

 デンパークの駐車場に車を停めたのが午後3時頃だったでしょうか。

 

 駐車場の道を挟んだ向かい側には大きなコスモス畑が広がっていました。

 

 さすがに盛りの季節は過ぎた様子ですが、それでも西に傾き始めた陽の光の中で風にそよぐ様は可憐です。




 正門ゲートから入って右手に進むと、花の植え込みの奥にお洒落なデンパーク館が見え、その前を進むとすぐに、大きなガラスの温室に到着します。

 予想以上に大きな温室だったので期待が膨らみましたが、



 温室の中に入って見ると、ガラスの細工物屋さん、ハンバーガーショップ、お土産物屋などが軒を連ね、大きなクリスマスツリーなどのディスプレーが飾られ、ホールではピアノの生演奏に観客が聞き入っています。

 つまりここは、温室と言うよりもガラスの部屋のショッピングアーケードです。



 多くの家族連れや、デート中とおぼしき人達はとても楽しそうです。


 熱帯植物ばかりが並んでいる植物園の温室よりも、植物マニアではない普通のお客さん達は、十分に楽しんでおられるようです。


 当然のことですが、私は早々に退散させて頂きましたが・・・。

 温室の外に出て園内を一巡りしてみました。

 池の周りに様々な植物が景色よく植え込まれています。

 池ではハスの枯れ枝が、水の中で、オブジェのように揺れていました。

 きっと花の季節には美しい姿を見せてくれていたことでしょう。

 春に来れば、良い被写体にめぐり会えるかもしれません。




 更に進むとパンジーが咲くファンタジーガーデンや風車の広場などがあります。




 花の季節にはメルヘンな世界が広がっているのだろうな、と思いました。

 なんとなく、名古屋港のフラワーパーク「ブルーボネット」を思い出しましたが、もしかすると設計者が同じ人だったりするのかもしれません。

 

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3.豊川総合動植物公園

2010-11-27 22:40:11 | 冬の花 山茶花の旅

 今回の花旅の主目的は岐阜の山茶花ですが、今回もいつものように、途中の植物園やフラワーパークに立ち寄りながら、花の写真を撮りながらで、目的地を目指します。

 今回の豊川総合動植物園も以前から気にはなっていたのですが、なかなかチャンスがなくて、やっと念願叶っての訪問となりました。



 自動販売機で600円の入場券を買って、ゲートをくぐります。

 入場してすぐ右手の、総合案内表示板で確認すると、ここには動物園、植物園、遊園地、自然史博物館などの施設がエリア毎に別れて設置されていることが分ります。



 私にとっては植物園以外は興味の対象外なので、表示板で植物園の方向を確認すると、その方向に歩きだしました。

 すると、行く手に面白そうなものが見えてきました。



 高さは10メートル以上ありそうです。

 

 尻尾の辺りに「危険ですから背中に登らないで下さい」と掲示されていました。

 

 確かに登ってみたくなるような背中をしています。

 

 「誰かが落ちて痛い思いをしたことがあるのかもしれない」と考えると、そのやんちゃな光景が目に浮ぶようで、ちょっと可笑しい。
 
 程なく進むとバラ園が、その裏手に回り込むとモネのスイレンやスワンボートが浮ぶ池などがあります。


 


 池から再度、バラ園の方角に戻り、大きな温室を目指しました。




 温室の中は幾つかの部屋に分かれ、サボテン、熱帯スイレン、ハイビスカス、ランなどが展示されていて、熱帯、亜熱帯の代表的な植物を観察することができます。

 私はここでハワイのBrighamia insignisという植物に初めて出あいました。

 

 この植物は、かつてはハワイ諸島の一部の島で普通に見ることができました。

 しかし、現在野生ではカウアイ島で7個体が確認されるのみで、絶滅に瀕した植物に指定されています。

 

 今回、写真を撮ることもできて大満足です




 温室を出ると、目の前には両サイドに並木を従えたカナールが続いていて、なかなかに趣のある光景が広がっています。

 


 植物公園と称していますので、植物の種類としては植物園ほどではないにしても、家族連れや若い二人が素敵な時間を過ごすにはもってこいの場所だと思いました。


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2.岐阜に山茶花を訪ねて

2010-11-27 22:33:43 | 冬の花 山茶花の旅

 11月下旬に休暇をとって連休。

 

 この季節の花旅のテーマはそう多くはありません。


 そして、初冬の花と言えば、まず最初に思い浮ぶのは山茶花です。

 

 11月に入ったすぐの週に私は群馬県に山茶花の古木を訪ねました。

 

 そのときに思い浮んだアイデアが中仙道を介した山茶花の道です。

 山茶花は人を介して植生を広げてきました。

 

 一見自然の中で育っているように見える植物でも、人里以外にはその姿をみせない植物が多々存在しますが、本州以北の山茶花もその例に漏れません。

 

 ちなみに我国の山茶花の自生北限地は九州佐賀の千石山とされ、その場所は国の天然記念物に指定されています。

 

 そのことからも分るように、本州以北の山茶花は人の手に因ってその分布を広げてきました。

 そして、私の限られた知識の範疇において、近畿以北では、山茶花の古木は主に群馬、埼玉と岐阜、京都に多く存在し、夫々の場所に共通するのが中仙道ということになります。


 という訳で、この三連休は岐阜に山茶花の古木を訪ねることに致しました。

 以下はその顛末です。

 朝6時、東名高速の東京ICを通過しました。


 ところが町田を過ぎる辺りから早くも渋滞気味で、大井松井まで1時間以上も掛かってしまいました。


 天気は良くて富士山が秀麗な姿を見せてくれています。


 しかしこの後、東名富士ICと清水ICの間で事故が発生し、20キロの渋滞。

 

 9時半にやっと日本平PAというありさまです。

 

 結局豊川ICを下りたのは12時を過ぎていました。

 

 国道1号線を走って道沿いに見つけた「すき家」で私の好きなカレーライスの昼飯を済ませ、最初の目的地の豊川動植物園へと向いました。

 余談ですが「すき家」のカレーは値段の割に美味いので、私のお気に入りの一つです。

 

 高くて美味いものは幾らでもありますが、安くて美味いものはめったにありません、しかも注文するとすぐに出てくるので、花旅に出るとよく利用させて頂きます。 

 

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1.関東の山茶花の不思議

2010-11-27 21:21:36 | 冬の花 山茶花の旅

 関東平野は北の筑波山から、南は箱根連山に至るまで、周囲を山に囲まれています。

 普段の生活で、関東平野が山にぶつかる辺りを意識することはありませんが、山々が平野に迫る場所には、何か興味深いものが在りそうだと、以前から考えていました。

 


 流れる雲が山脈に遮られると雨が降り、雨は平野に下り、田畑を潤しながら東京に恵みをもたらせます。

 

 家康は箱根路を越えて江戸に都を定め、芭蕉は白河の関を越えて奥の細道へ旅立ち、そして藤村は馬籠から碓井峠を越えて上京しました。

 

 様々なものが行き交い、動き始める平野の縁に、何もないはずはありません。

 さて、晩秋ともなると平野の山沿いでは、吹きさらしの風が空を清め、日溜りで山茶花が薄紅色の花を咲かせます。

 

 不思議なことに、本来は九州四国辺りの樹木である山茶花の古木が、比較的気温の低い群馬県の山沿いの村に存在することが知られています。

 

 山茶花はもともと、椿同様に、照葉樹林の樹木ですから、本来ならば関東平野の、もっと暖かな房総半島や湘南地方に古木が残っていても良いのですが、関東の代表的な山茶花の古木はいずれも群馬県などに存在します。

 

 唯一鎌倉の安国論寺に樹齢350年という山茶花がありますが、その樹形は群馬県の木々に比べると見劣ります。

(ホームページ「サザンカの名所」 安国論寺

 

 昨年は群馬県の安中に「中木の山茶花」を尋ねました。

 

 そして今年は霜月の声を待って、群馬県伊勢崎市の「塩島の山茶花」に会ってきました。

 写真をご覧下さい、実に見事な樹形です。


 
 
 樹齢推定300年、樹高13.5m、枝張り東西13.7m、南北11m。

 

 この木は江戸時代からこの地に居住する塩島氏一族の屋敷稲荷の神木として、大事に守られてきました。

 

 この日はまだ季節が早く、花は少なめでしたが、一重の淡紅白色の可憐な花が枝先で微笑んでいました。

 

 この山茶花は江戸時代の頃、間違いなく人の手を介して(鳥や獣によって播種されたのではなく)この地に居を構えたと考えます。

 

 そして、中仙道の先の美濃の平野にも、この山茶花と同年代の古木が現在も認められる事実は、「夜明け前」以前からの山茶花と人との関わりを物語っているのかもしれません。

 

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帰国

2010-11-03 00:05:39 | 上海 花の旅

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 JAL792便の窓から見る空は蒼く、ねずみ色の雲海が深く静かに広がっています。


 上海浦東国際空港を飛び立ったジェット機は既に日本の領空に入ったようです。



 マグマが沸き立つような熱気と混沌。
 上海は静かに花を愛でるような場所ではありませんでした。 

 上海のようなビジネスライクな雰囲気の街で、「花の写真を撮る」などというのが、そもそものミスマッチだったのかもしれません。
 「花の写真を撮る」などというのは、全く生活の役に立たない、時間とお金の浪費、そのものとも言える行為ですから。 

 さっきまで居た場所と時間が遥かな夢の中の出来事だったような気がしています。

 

 

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上海 田子坊

2010-11-03 00:05:20 | 上海 花の旅
 さて、あと上海で気になる場所はといえば、田子坊です。
 最近、日経新聞に連載されている高樹のぶ子の小説「甘苦上海」でこの街は少々不思議な雰囲気を持つ場所として描かれています。
地下鉄の黄陂南路駅から重慶南路を南に下りて行くと、路はゆるくカーブしています。

 

 途中の復興公園では市民が空高く凧揚げを楽しむ光景が見られました。
 のどかな午後のひと時です。



 20分程も歩いたでしょうか、重慶南路を右に曲がると数百メートルで田子坊の入口です。



 休日の午後、明るい陽射しの中の田子坊は思っていた以上に小奇麗で、「北海道の味」などという看板も見えて、観光地そのもの。東京でいえば、浅草や根津あたりの横丁といった雰囲気です。
 しかも、そこで姿を見かけるのは圧倒的に若い人たちばかりです。





 細く、入り組んだ路地が無秩序に続いているので、ちょっと見は怪しそうな雰囲気を感じないわけではありませんが、ごみ一つ落ちていない街には若者向けのブティックなどがならび、その上にブライダルドレス姿の女性などを見てしまったら、まるで渋谷か原宿あたりを歩いているような感覚です。




 そう言えば、上海滞在も今日で6日目。もしかすると、田子坊でハラハラ、ドキドキすることが無いのは、街が小奇麗な為だからではなく、私の目がすっかり上海の風景に馴染んでしまった所為なのかもしれませんが。




 気の済むまで、狭い路地を歩きまわり、私は田子坊を後にしました。
 上海の最後の一日はまるで旅の余韻を楽しむかのように、終日をゆったりとした気分で過ごすことになりました。

 
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上海 田螺と牡蠣

2010-11-03 00:05:02 | 上海 花の旅

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 七宝から再び上海市内に戻り、静安寺駅で地下鉄を降りました。 駅のすぐ近くの静安寺は247年に建てられ、9世紀には空海も遣唐使として訪れたのだそうです。


 静安寺から南京西路を東に向かって歩き始めました。歩道には目に優しい緑の並木が続き、時折、花で飾られた小さな公園が姿を見せます。




 そして到着したのが呉江路。この辺りは上海一の小吃街、つまりB級グルメの街だそうです。




 ところで、今、ふと我に帰って気付いたのですが、このブログは「花の旅」と題して書き始めたのに、ここまでの内容といえば、殆ど食べ歩きの話ばかり。「な~んだ、結局は花より団子かいな」と誰かが囁いているようですが、「いいんです、今が楽しければ」 無視、無視。(あらら、居直っちゃいました)
 さて、この時、好奇心をくすぐられて入ったのが、看板にザリガニが描かれた「興泰小吃」という店。 テーブルに付くと、メニューに田螺の文字。人生五十数余年を経て、今まで、確か、田螺は一度も食したことはないはず。で、迷わず注文。





 どうです、この絢爛豪華な盛り付け。いかにも中国らしい雰囲気の料理だとは思いませんか? などと強がりを言ってますが、実は「嗚呼、まず~」 独特の臭みがあって、お世辞にも美味いなどとは申せません。 一昨日、上海の水の味を考えさせられた(「5月1日 上海に戻って」)、あのソバ屋の麺の臭みを、更に強烈に盛り付けたような、そんな味が致しました。 さて、実はもう一軒、絶対に食べてみたいと思ったものがあるのです。それは、牡蠣。この呉江路入口の店先で焼いているのを、先ほど目にしていたのです。 しかも、その値段は2個で10元。




 素直に白状します。すいません。実はこれも外れでした。 そうですよね~。本当に美味いのなら、こんなに薬味を乗せて焼いたりしないですよね~。 実を言うと、私は牡蠣が大好物。北海道厚岸のレモンを絞った生牡蠣、日本海酒田の岩牡蠣、仙台の牡蠣鍋、広島の燻製牡蠣と、牡蠣には随分お世話になっておりまして、上海でも黙って見過ごす訳にはいかなかったのですが、今回は残念な結果だったことを正直に報告させて頂きます。

 

 

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上海 七宝 揚子江の営み

2010-11-03 00:04:46 | 上海 花の旅
 5月3日は三連休の最終日。この日も銀行はお休みなので、私は相変わらず円を換金できず、遠出は出来ません。
 そこで、ガイドブックをめくって、公共交通カードで行ける場所を探し出しました。そこは七宝。上海市街地から最も近い水郷の街です。
 いつもの漕渓路駅から地下鉄で宣山路駅へ向かい、そこで乗り換えて七宝へ。
 もうすっかり、地下鉄は私の足です。



 地下鉄七宝駅は地下部分が駅、地表部が飲食店などの複合ビルとなっていました。
 駅前の通りに立って、一瞬、ここが本当にガイドブックの写真に載っていた水郷の町と同じ場所なのか自信を失いました。
 「七宝という別の名の場所かもしれない」という疑念さえ浮んだほどです。



 しかし、すぐに私を安心させる物が目に飛び込んできました。
 それは、七宝水郷の風景を表示した大きな看板です。



 駅前から続く、ごく普通の街並みを、人の流れに乗って歩いて行きます。


 暫く進むと、人で溢れた狭い路地を見つけました。


 その、人込みの中を100メートルほど進むと。




 多分、この光景を初めて見た人は十分に感動すると思います。
ただ、私はこの日、既に上海滞在6日目。美人も三日見たら飽きると・・・。 いえいえ、そんなことを言う人もおりますが、森羅万象は色々と気づかせてくれます。例えばこの街の建築物。それらは明らかに水路に門戸を開いて造られています。そして、その光景は、この街が主要な交通手段として水路を活用していたことを説明します。ですから、必然的に建物の裏の陸側の路は狭く、それが今ではこんな状況を作り出しているのだと考えられます。



 昔は水路を介し人々の営みは容易に広がったはずです。
 今、私がここにいる上海も揚子江が十分な水を大地に供給し、稲を稔らせ、それを運搬する交通手段をも用意してくれたのでしょう。
 交通路が発達すれば、富や、技術も集積します。
 七宝は、今でもこうして、揚子江に沿って文明が発達した状況や理由の一端を、目に見える形で示しているのです。
 三大文明が大河周辺に栄えたことを教科書で習ったのですが、今やっとそれを実態感覚として理解することが出来ました。

 中国数千年の歴史の端緒を垣間見た気がする七宝訪問でした。
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上海 今夜も舌鼓

2010-11-03 00:04:28 | 上海 花の旅
 再び、上海に戻ってきました。
 あんなに苦労して南京まで行ったのに、南京植物園で花の写真を撮影するという目的は叶いませんでした。しかし、南京は日本人にとって複雑な感情が伴う場所で、多少の心配もあったのですが、私にとっての南京は、普通の見知らぬ異国の地と、なんら変わるものではありませんでした。
 たった一日でしたが、南京の人々が逞しく、生き生きと暮らしている様子を肌で感じて、楽しい旅の思い出だけをお土産に、帰ってくることができました。  
 南京で出会った方は異邦人に親切な人達ばかりでした。もっともガイドさんから、スリに気をつけるように注意されたように、良い人ばかりではなさそうですが、それはどこでも同じことだと思います。
 もう、すっかり南京への道筋は覚えました、その気になればいつでも行ける気がしています。
 目に見える成果は少なくとも、満足できる南京での一日となりました。
 さて、南京で変な時間に駅弁を食べたために、お腹は減っていないのですが、このままだと夜中にお腹が空くのは目に見えています。
 そこで、前から目を付けていた、上海人民広場近くの小楊生煎館に足を運ぶことにしました。





 この店は、ガイドブックによれば「屋台料理の代表として有名な小籠包・生煎の超有名店」だそうです。
 「大きな鉄板で蒸し焼きにされた生煎は、下はカリカリ、上はジューシー、かじれば肉汁がほとばしる」、まさにその通りでした。





 こうして、今日も一皿6元の舌鼓と共にドラマチックな一日が終わろうとしています。
 朝持っていた人民元は、今は約200元と半分程度になりましたが、全く不自由なく、南京まで往復することができました。ほんとうに中国の物価は安い!と実感した次第です。そして「安さ」の程度を身に染みて体感したことで、物を作る時の原価、価格競争力の程度も同様なんだろうなと改めて考えさせられた一日だったのです。
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