仏生寺脇之谷内から仏生寺細越地区へ向かいました。
県道29号から分かれ、丘陵地を縫う細道を辿りますと、目の前に寂びた山村が見えてきました。
集落に人影はありません。
目当ての「田村家ヤスケ三昧椿」と「竹島摂翁頌徳碑椿」の所在を伺うため、ハトムギ加工場の看板を掲げた建物に入り、中の方達にツバキの場所を尋ねました。
「竹島摂翁頌徳碑の椿」はハトムギ加工場の目と鼻の先にありました。
頌徳碑の解説板には「竹島摂翁は明治43年以来村議会議員、村助役を務めた功労者で、昭和32年に藍綬褒章を授かった。」と記されていました。
翁が好んだツバキが頌徳碑脇に植えられたそうです。
根元110㎝、可憐な桃色八重のツバキが花を咲かせていました。
「田村家ヤスケ三昧椿」のツバキも、ハトムギ加工場から徒歩5分程の場所に花を咲かせていました。
ツバキの近くに「弥助三昧」に関する次のような解説が掲げられていました。
「語意は不明ですが、この地区を【弥助ザンマイ】と呼びます。
細越に生まれた天才剣士 佛生寺弥助は16歳で江戸に出て、斎藤 弥九郎(前ブログ参照)の門下生となり、22歳で師範代、その後佛生寺流を名乗り諸国を道場破りに歩き一度も敗けなかった」と記されていました。
三昧とは、本来は精神を集中させる状態を意味しますが、平安時代以来、俗用で火葬場を三昧(さんまい)言い習わしています。
三昧場(さんまいば)は墓地や死者の冥福を祈るためのお堂を指すことから、「弥助三昧」は、弥助の冥福を祈るお堂がある場所の意が転じて地区名になったのだろうと推測します。
田村家ヤスケ三昧椿は今回の旅で見た、どのツバキよりも艶やかな表情を見せていました。
最初にツバキの場所をお尋ねしたハトムギ加工場では、地域のご婦人達が、氷見細越特産のハトムギ茶の袋詰め作業をされていました。
全てが手作業で、焙煎したハトムギをスプーンで10gずつティーバックの袋に詰めてゆきます。
ツバキのことを伺うだけのつもりだったのですが、作業場に導かれ、ケーキを添えたハトムギ茶をご馳走になりました。
細越では30年以上前の1985年からハトムギ栽培を始め、この加工場でティーバックやせんべいの加工をしているそうです。
ハトムギ茶を初めて飲ませて頂きましたが、爽やかな味で、飲んだ後、喉と胃に何とも言えない清涼感が残ります。
気に入ったのでその場で20包入りを買い求めました。
即断で買い求めたのが嬉しかったのか、一人のご婦人が、であればと言って、12包入り(上写真左)を「オマケ」してくれました。
するともうお一人の方が、では私も一パック、すると今度は別の方が、じゃあ私はこれ、と言って、はとむぎ煎餅をくださったのです。
こんなとき、遠慮などすると失礼なので、勿論喜んで即断で頂戴致しました。
仏生寺細越地区は21世帯ほどの小さな集落ですが、みなさん和気藹々と楽しそうにティーパックを作っておられました。
高岡や氷見市街と10㎞以上離れた山里で、無農薬のハトムギを栽培しているそうです。
お湯を沸かしたヤカンに1パック放り込むだけで簡単に美味しいはとむぎ茶が楽しめます。
東京の有楽町交通会館のアンテナショップにも置いてあるそうなので、今度は銀座に出かけた時にでも、寄ってみたいと思います。
細越地区から離れるとき、道路脇で、地域の方々のように穢れない素直な表情で土筆が背を伸ばしていました。
ツバキの艶やと、伸びやかな土筆の表情が印象に残る細越地区でした。
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四月に入って仏生寺弥助の情報を探していました。
「田村家ヤスケ三昧椿のツバキも、ハトムギか工場から……(写真)……田村家ヤスケ三昧椿は今回の旅で見た、どのツバキよりも…(写真)」までを希望します。
私事ですが、猫を飼っていて泊りがけでなかなか出かけられないので、sparrowgrassさんのブログを見つけたときは「やったー!」と思いました。なにとぞ、よろしくお願いいたします。