熱川バナナ・ワニ園を出発して、時間を確認すると午後3時を過ぎていました。
今回の旅の予定はほぼ終了しましたが、まだ少し時間に余裕があります。
そこで、伊東の奥野ダムにある梅園を訪ねることにしました。
ナビへ住所を入れ、国道から県道へ入ります。
伊東の市街地の裏へ抜けて、山道を進んで行くと、ダムによってできた松川湖が静かな湖面を見せて佇んでいました。
松川湖の周囲に遊歩道が伸び、橋を渡った先には展望台も見えます。
案内表示板で梅園の位置を確認すると、地元では松川と呼ばれる大川が、湖に流れを注ぐ右岸に梅園があることが分かりました。
駐車場へ車を停めて、遊歩道を歩き始めます。
遊歩道の横では咲き揃ったロウバイが、ふくよかな香りを漂わせていました。
ロウバイは早春の花です。
今、ロウバイが満開だと言うことは・・・
やっぱりそうでしたか。
この梅園では、花盛りの季節はまだまだ先のようです。
だけど、折角来たのですから、
ホームページに使う、梅園らしく見える写真を、手練手管で、何とか確保しました。
梅園から駐車場へ向かって歩いていると、公園の中に相撲力士のレリーフをはめ込んだ石碑を見かけました。
駐車場の脇に「相撲の河津がけと奥野の狩り」と題した解説板が掲示され、そこには次のような説明が記されていました。
安元二年(西暦1176年)伊豆へ流された源頼朝を慰めるために、東国の武士が伊東に集って「奥野の巻狩り」と呼ばれる有名な巻狩りを行なったそうです。
その折りに、余興として若武者たちの相撲大会が行われ、河津祐泰が股野五郎を、後に「かわづがけ」と呼ばれる相撲四十八手で破り、勝利を収めたのだそうです。
奥野には相撲場跡とされる場所があったのですが、ダム工事に伴って場所を移し、今は梅林の横にモニュメントが建てられている。
のだそうです。
へー、 そうだったの! 私は今まで「かわづがけ」とは、
「かわづ」という言葉に「古池や蛙飛びこむ水の音」の句を思い浮かべ、更に、国宝の「鳥獣戯画」の中で、蛙が相撲のような仕草をしているイメージを連想して、てっきり蛙に因んだ技なのかと思っていました。
しかし、「かわづがけ」は「かわず(蛙)がけ」ではなかったのですね!
いやはやとんだ勘違い、恐れ入り屋の鬼子母神。
何だか、「かわづがけ」の本来の意味を知り、うっちゃりを喰ったような気分です。
フム・・・、この話は何処かで誰かに披露しなくては。
と言うことで、うっちゃりを喰って転んだ手で、小判を拾ったような気分で伊東市内へと向かいました。
そして、温泉銭湯の毘沙門天 芝の湯で、旅の汗をさっぱりと洗い流し、
平原綾香がカーオーディオの中で、
「エブリデー♪ アイ リッスン ツー マイ ハー♪ (日々自分の心に耳を傾けて)」 と歌うジュピターを口ずさみながら、想い出満杯となった花の旅を終えて、家路へと向かったのでした。
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