福島の初崎の磯部さんとは、東京荻窪のラーメン屋のことなど、ローカルな話で大いに盛り上がりました。
名残惜しかったのですが、私は今日中に佐賀県内の梅園を訪ねたかったので、小一時間ほどで磯部さん宅を辞して、唐津方面に向かいました。
唐津市野田地区では、季節になると、民家の枝垂れ梅が、庭先で花の雅を競うそうです。
集落の家々の庭先に、みごとな枝垂れ梅の樹形を見かけました。
しかし、梅の空枝を見歩く姿を誰かが見れば、酔狂の一言と、嗤うに決まっています。
それどころか、季節外れの他人様の庭へレンズを向ける様を見られたら、怪しい奴と思われかねません。
私は早々に野田地区を離れ、市内中心部にある、鏡神社へ向かいました。
鏡神社の境内には、200本を超える見事な梅苑がありました。
梅の花は毎年2月下旬~3月上旬ごろにピークを迎えるようです。
鏡神社は源氏物語に「松浦なる鏡の神」と詠われ、その歌が境内に石碑となっていました。
「君にもし心たがはば松浦なる鏡の神にかけて誓はむ」
鏡神社では早咲きの紅梅が、季節を違えて訪ね来た旅人に、微笑みかけてくれました。
唐津から佐賀方面へ向かう国道に入り、一時間程はしって、小城市の牛尾梅林にやってきました。
梅林の広がる丘陵地帯に上ると、目の前に佐賀平野が広がります。
佐賀平野は恵まれた穀倉地帯ですが、水利の悪い丘陵地帯では梅の栽培が行なわれているようです。
梅林には実梅の「白加賀」を主とした1万3000本が植栽され、花の時期になると、丘一面が白く染まるそうです。
梅畑の中で、石塔のようなものを目にしました。
その横の「六地蔵」と記した石柱の側面に「天文二十二年(一五五三年)の銘があり、地元ではいぼ取り地蔵と呼ばれている。」
と刻まれていました。
「六地蔵」をネットで調べてみますと、
地蔵菩薩は、サンスクリット語でクシティ・ガルバと言い、クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意で、それを訳して「地蔵」と呼ばれるそうです。
天に居る菩薩に代わって、地蔵菩薩は地に在って、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六道を輪廻する全ての生命を救ってくれます。
そして夫々の六道を担当する6種の地蔵さまを並べ祀ったものが六地蔵です。
更には、ヒトパピローマウイルスによる伝染性のイボが暗示療法で治ることから、古くから「いぼ神様」として地蔵さまや不動尊などが全国各地で参拝されているそうです。
そのことを次のページで知りました。
ネット情報も、玉石混交です。
佐賀市内を抜け、筑後川を渡る頃には、陽は西の空に沈みかけていました。
それでも何とか、明るい内に佐賀県に隣接する福岡県柳川市の「梅の木街道」を訪ねることができました。
「梅の木街道」の様子を確認した後、再び佐賀市内へ戻ると、東京を出てから一週間目となる、梅巡りの旅の夜を佐賀市内で迎えることにしました。
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