熊本市で二か所の梅園を訪ねた後、天草へ向かうことにしました。
熊本城にも梅が咲きますが、15時過ぎに谷尾崎梅園を出たので、今から天草に向かうと「延慶寺の兜梅」に間に合います。
その後は長崎を訪ね、有明海周辺を佐賀、福岡南部、熊本北部の梅園を時計周りに巡り、再度熊本へ戻るルートが、比較的無駄が少ないだろうと思えました。
熊本城はそのとき寄ることにして、その夜で熊本の酒を楽しもうと考えました。
熊本市内から国道57号を西へ向かう途中、真正面に雲仙岳が見えてきました。
国道は右手に有明海を眺めながら天草へと向かいます。
それにしても、何とも不思議な海です。
視界の限りに砂浜が広がっていました。
所々に水路のように海が取り残されています。
そして、無数に並ぶ木の杭が見えます。
海苔を養殖しているようです。
あまりにも不思議な光景なので、車を停め、暫しの間眺めていました。
遠くに見える雲仙岳まで歩いて行けそうな気さえします。
そんなとき、国道脇にレトロな駅舎を見かけました。
駅舎の横に網田(おうだ)散策マップが掲げられていました。
この辺りの御輿来(おこしき)海岸は日本の渚百選に選定されているようです。
「4世紀の中頃、景行天皇がこの地を訪れた際、余りにも景色が綺麗で神輿をとめて休まれたという伝説がある」と記載されていました。
また、網田駅は明治32年に開設され、現存する木造駅舎としては九州管内で2番目に古い建物なのだとか。
ちなみに九州最古の木造駅舎は、鹿児島空港にほど近いJR肥薩線の嘉例川駅という無人駅だそうです。
有明海を右手の車窓に、国道57号を進んで行くと、道路脇に白い灯台が建っていました。
灯台の壁面に誰かの写真が焼き付けられています。
写真の下には、
「ローウェンホルスト・ムルドルはオランダ人の水理工師で、1879年に来日し、日本各地で治水、築港の計画、建設指導に当たった。
三角港西も彼の指導によるもの」、
と記載されていました。
また、反対側の壁面には、当時の熊本県知事であった富岡敬明の写真が焼き付けられていました。
三角港西は熊本から天草諸島へ向かって伸びる宇土半島の先端に位置し、有明海と八代海を繋ぐ三角ノ瀬戸と呼ばれる海峡に設けられています。
明治20年(1887年)に開港し、近代的港湾としては最古のもののようです。
三角港西は築港当時の埠頭、水路、橋等がほぼ原形のままに残されていることから、平成14年に国重要文化財に指定されました。
埠頭の横には、三角港が開港した時すでに建てられていた、旧高田回漕店が保存されていました。
海に面した場所には、築港当初に海運倉庫だった建物が三角築港記念館として改装され、町営レストランが営まれていました。
港に面したテラスに人影はありませんが、桜が咲く季節にこの場所で、オランダチーズなどをつまみながら、潮風の中にビールなどを飲んでみたいものです。
港の背後に、明治の中頃に旅館だった浦島屋が復元されていました。
この浦島屋に明治26年小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が滞在し、「夏の日の夢」という紀行文を残したそうです。
そういえばハーンは熊本で、一時期英語の教師をしていた筈です。
三角港西で予定外の時間を費やしてしまいました。
陽も大分西に傾き始めています。
そろそろ本来の目的地へ急ぐことにしましょう。
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