ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

断捨離もいいけれど

2022-04-22 07:08:07 | ポルトガルよもやま話
2022年4月21日

「断捨離」なる三字熟語のこの字から「思い切って物を捨てることだろう」と想像していたが検索してみると、「断捨離とは、断行、捨行、離行というヨガの行法であり、人生や日常生活に不必要なものを断ち、捨てることで物への執着から開放され、人生に調和をもたらそうとする生き方」を言うのだそうだ。なるほど、単なる整理整頓とは一線をひくということである。

しばらく前からそろそろ我が家のガラクタの類を処分しようと思い、暇を見て整理しては人にあげたり捨てたりしているのだが、当時起こした小火(ぼや)で、我が家に半年ほど同居していた義兄が、家もやっと修繕できところで整理を思ったのであろうか、家の屋根裏部屋の整理をし始めたときのことだ。

母親が生きていたころは彼女に会いに、その母親が亡くなり、次はその家にひとり住んでいる兄の話し相手にと、毎晩食後そちらへ出かけるのが習慣の夫だが、ある夜、中サイズのなにやら古びた箱とプラスティック袋を手に提げて帰ってきた。「兄貴がこんなのを屋根裏部屋で見つけたよ。」と言う。

箱を開けてわたしは思わず「うわ~!」と声をあげずにはいられなかった。目の前に姿を現したのは我が東京息子の赤ん坊時代から幼児期にかけての玩具であった。





懐かしさに、授業準備をしていた手も止めて、ひとつひとつ箱から取り出し、手に持っては眺めたわたしだった。特に記憶に残っているのはケロヨン人形と、息子を風呂に入れる時、毎回風呂場の水槽に浮かべた黄色いアヒルのゴム人形だ。息子のお気に入りで、キャッキャ喜んでは風呂に入っていた遠い昔の息子が思い出された。

こんなものを屋根裏部屋に保存していたことすらとっくの昔に忘れてしまっていた。目の前で突然タイムカプセルが開けられたような思いだ。この中のひとつでも息子の記憶に残っているものがあるだろうか。

モイケル娘が生まれるまでの6年間をわたしたちは夫の母の家に同居していたのだが、嫁姑事情はポルトガルと言えども同じ。周囲に愚痴こそもらさなかったが(日本人がおらず愚痴をこぼそうにも相手がいなかったのではあった。笑)、こ6年間はわたしなりに大変だったものだ。息子の誕生はそんなわたしと義母や当時同居していた夫のおばたちとの潤滑油になっていたと思う。

不意に現われた息子の赤ん坊時代の玩具を目の前にして懐かしさと同時に「もう日本へ帰ろかな、帰るのよそうかな」と日々悶々としていた若かりし自分の姿が思い出されもした。

だが、振り返って見れば、義母たちと同居の6年間こそ実にわたしがポルトガル人の生活と言うのに直にふれた期間であった。たまの行き来だけでは分からないことが大いにあるのだ。

それらの経験も今になってみれば全てよし。思い立ったら一目散のイノシシの性格そのものだった自分に「辛抱」ということを知らしめてくれた貴重な時期であったと今は思える。

断捨離も家の中がすっきりしていいけれど、すっかり忘れていた思い出が古い物を通してこんな風にふいに蘇る時に出会うのもいいかも知れないなぁ。

開けたおもちゃの箱はあたかも竜宮から帰った浦島太郎の玉手箱のごとし。太郎が開けた玉手箱に見たのは、遥かな昔にまつわる、取り戻すにも取り戻し様がない時間だったのかも知れない。

「たちまち、太郎はおじいさん」と、ふとそんな歌が耳をかすったような気がしたが、なんの!とそれを振り払った。時の流れはそれなりに認めるが、まだ逝かないわよ!と、授業のやりかけのテキスト作りで再びpcに向かった。

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた。