読書の記録

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坂の上の雲

2016年04月04日 | 小説・文芸
坂の上の雲

司馬遼太郎
文藝春秋

ことしは司馬遼太郎没後20年ということで、特集号や新装版や文庫本の増刷など賑やかである。

kindleなどで読める電子版でも「竜馬がゆく」や「翔ぶが如く」などの複数巻ものが刊行され、「合本」として、つまり全何巻となるところをひとつにまとめて読めるようになった。電子版というのはこういうのに便利だ。紙のままならば辞典並みの分厚さになってしまう。

そんなわけで、ひさびさに「坂の上の雲」を読んでみることにした。全8巻分が合本になっているのをkindleでダウンロードし、読み通した。

初めて「坂の上の雲」を読んだのは社会人になってしばらくたっての頃だった。何人かの先輩から、学生時代にこれを読んで開眼した、あるいはこうしちゃいられないと思ったという感想を聞かされ、しからばということで読んでみたのだった。これが初めての司馬遼太郎だった。
読み進むにつれ、「しまった。もっと早くに読んでおけばよかった。」と後悔した。学生時代に読んでおけば、もう少しその後の学生生活や、就職活動や就職先など変わっていたかもしれないなどと思ってしまったのである。
秋山好古・真之兄弟や正岡子規はもちろん、児玉源太郎や大山巌や東郷平八郎や明石元二郎の活躍や立ち振る舞い方にしびれてしまったのである。

「坂の上の雲」が世の中に与えた影響は実に凄い。
ちょうど2001年、ミレニアムの端境期だった頃、文藝春秋が日本の経営者100人に聞く、21世紀に残したい日本文学アンケートという特集をやっていた。第1位が「坂の上の雲」、第2位が「吾輩は猫である」であった。「坂の上の雲」は、夏目漱石に勝ってしまったのだ。

これだけではない。最近、日本経済新聞社から「リーダーの本棚」という本が出て、各界の経営者やリーダーが座右の本や影響を受けた本を上げてあるのだが、そこでも、最も挙げられた回数の多かったのがこの「坂の上の雲」なのであった。
「坂の上の雲」おそるべしである。

要するにアンケートの対象者が経営者というところがミソで、つまり社長なんかになろうとする人のメンタリティにこの作品はよほど刺激するものがあるのである。



さて、およそ20年ぶりに読んだ「坂の上の雲」だが、実に意外なことに、だいぶ味わいが違った。
なんというか、ヒーロー達のその勇姿に揺さぶられない。秋山好古・真之兄弟の快進撃にシンクロができないのである。再読とはいってもその中身はほとんど忘れていてほぼ初読に近い感じだったのだが、なんか肩透かしのような面食らった気分だった。自分のココロはそんなに老いたかと、さみしい気持ちになってしまうくらいだった。

よっぽど途中でやめてしまおうかと思ったのだが、なにせ「合本」でダウンロードしたため、またまだ先が残っている。
そこで、惰性も借りて、ずっと読んでいた。

そのうち、だんだん違うところが心にせまってきた。
それは、本作品でひたすら馬鹿あつかいされ、その無能ぶりが強調された連中である。旅順戦の乃木希典であり、乃木の参謀である伊地知幸助であり、ロシア陸軍大将クロパトキンであり、そしてバルチック艦隊提督ロジェストヴェンスキーである。なんというか。彼らが次々おかしてしまう誤謬について、身につまされ、同情の念すら感じてしまうようになったのである。

なるほど。「坂の上の雲」によれば、彼らは無能で、意固地で、的外れな判断をし、多大な犠牲を強い、自ら状況を不利に追い込み、破滅へと導いた張本人かもしれない。
だけど、これこそが人の弱さかもしれないとも思う。凡人の判断力の限界であり、不運というものかもしれないと思うのである。
官僚制の中で保身に走ってしまうのも、上層部の適当な思いつきに振り回されてしまうのも、自分の判断が信じられなくなってぐずぐず迷って時期を逸してしまうのも、あるいは自分の判断だけが正しいと驕って他人との忠告に耳を貸さないのも、やたらと運のめぐりが悪いのも、また、本当はちょっとした瑕瑾が後世のネガ評価で拡大定着してしまうというのも、よくある話といえばよくある話で、つまり、人は秋山兄弟や大山巌や児玉源太郎や東郷平八郎や明石元二郎のようなヒーローになれるかもしれないけれど、一方で、乃木希典や伊地知幸助やクロパトキンやロジェストヴェンスキーのような愚者の領域にも、案外簡単に堕ちてしまうかもしれないのだ。
僕が、「坂の上の雲」再読で、無常観にも近い心で奪われたのはこれら愚者の姿だった。歴史は勝者の数の分だけ敗者がいる。


名作は再読に耐えるという。それも、再読するたびに新しい発見があるという。20代のとき、30代のとき、40代のとき、50代のとき、その時々で新しい気づきを与えるという。
世の中の社長さんたちを揺さぶった力という点ではレジェンド級ともいえた「坂の上の雲」も、その歴史観や人物評の偏りから、現代ではかつてほどは神聖視されていないようだ。もっぱら男の子気質を刺激する娯楽小説としての見方が強まりつつある。
だけど、確かに20代に初めて読んだとき、そして40代に再読したとき、まるで違うところに僕のココロは反応している。初読のときは確かにこの作品に鼓舞されたし、再読の今は己れの戒めに作用した。僕はまるで経営者の器なんかじゃないけれど、やはり「坂の上の雲」は只者ではないと思う。




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