読書の記録

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「読まなくてもいい本」の読書案内 ・RE:THINK・最高の飲み方・カラシニコフ

2019年05月20日 | 複数覚え書き

「読まなくてもいい本」の読書案内 ・RE:THINK・最高の飲み方・カラシニコフ


うまくオチなかったものをこちらでまとめて。あとでサルベージできればいいなと。



「読まなくてもいい本」の読書案内

橘玲
ちくま文庫

 いぜんハードカバーで出たときは、書店の平台に積まれたのをパラパラと立ち読みしてまあいいかと済ませていたのだけれど、このたび文庫で出たので購入。

 ここであげられているのは

 ・複雑系(システム論)
 ・進化論(生物学)
 ・ゲーム理論(行動経済学)
 ・脳科学(認知科学)
 ・功利主義(社会科学)


 だ。これらは従来の学説を根底から覆したものである。つまり、パラダイム変換より以前のことについては勉強してもしょうがないーーということで「読まなくてもいい本」というタイトルになっている。マルクス経済学とかフロイト心理学とかダーウィンの進化論とかは、一生懸命読んだところで「無用の知識」なのだ。ハイデガーやラカンのポストモダン哲学ももういらないというわけだ。

 まあ、その一刀両断の是非はおいといて、こうしてみると、僕は幸いにも案外いいセンいってたんだなと思う。この5つの分野それぞれなんとなく勉強したり本を読んだりしてきた。もちろん素人の手すさび程度のものである。あらためて本書を読んで初めて知ったこともいろいろあったけれど、だいたい基本は押えていたようで一安心だ。それに、こうして同じレベルで横並びにして論じられると再整理もできてよかった。



RE:THINK リ・シンク 答えは過去にある

スティーブン・プール
早川書房

 表紙のデザインに惹かれて買ったというのが本当のところだ。古きロシア・アバンギャルド風というか。

 それはともかく。
 新しいアイデアというのは既知のアイデアの組み合わせである、というのはアイデア学の基本中の基本だ。世の中のたいていの目新しいものは、過去に類例がある。ただ過去の時代はなんらかの制約や条件があってうまく成立しなかった。
 よく例えとして出てくるのはアップルコンピュータとiPhoneだろう。マウスを用いたGUIはゼロックスのほうが早かったとか、指でタッチして操作するケータイは三菱電機のほうが早かったとか言われている。

 テクノロジー商品ならまだ罪はかるい。病理学や衛生の世界になると人の命がかかってくる。本書では「手洗い」の効能のエピソードが出てくる。現在は手洗いは衛生上の最低条件だし、子どもの頃から叩き込まれているからそれが当然のように思われているが、かつてそうではなかった。乳児の死亡率の高い産院とそうでない産院の違いに、スタッフの手洗いの有無を見て取った医者がいたが、非科学的として嘲笑された。

 ゼロックスにしろ三菱電機にしろ、手洗いを推奨した医者にしろ、有効なはずなのになぜ成立しなかったのか。むしろここがポイントだろう。「答えは過去にある」かもしれないが、なぜ過去は当時にあっては答えにならなかったのか。このバイアスの強さははかりしれない。真実を発見する力より、バイアスを除く力こそがイノベーションの肝心である。パラダイムシフトは世代交代を果たすまでは難しいとは言われるが、力業で価値観をかえた例も興味深い。



酒好き医師が教える最高の飲み方

葉石かおり・ 監修:浅部伸一
日経BP社

 さいきん「最高の」とか「最強の」とか冠されたビジネス書が多い。これがビジネス書なのかどうかは微妙だが、たいていビジネス書コーナーにおいてある。ほかにも「東大式」とか「京大式」とか「スタンフォード式」とか「ハーバード式」とかいうのも多い。

 どんな言葉でも頭に「夜の」と付け加えると、なんだか意味深になる、というコトバ遊びがある。「夜の教科書」「夜のすごろく」「夜のラジオ体操」・・ 同様に「大人の」をつけるバージョンもある。
 それらと同じで、「最高の」とか「東大式」とか、これらの枕詞は、たしかになにか引き立てている効果を持つ。
 
 とはいえ、最近の書籍のタイトルは、百花繚乱というか粗製乱造というか、なんでもありだ。「最高の睡眠」「最強の筋トレ」。「東大式記憶術」に「京大式読書術」に「スタンフォード式ストレス解消法」。

 そんなところでついに「最高の飲み方」が登場した。「睡眠」「食事」と来ていたので次は何かと思っていたら「飲み方」か! もうなんでもできそうだな。「入浴」「散歩」「通勤」「歯磨き」・・・ 「ハーバード式歯磨き」なんてのがあったらみんな実践するんじゃないか。


カラシニコフ

松本仁一
朝日新聞出版

 いつか読もうと思っていていつまでも読まないまま刊行から15年以上経ってしまった。なかば忘れかけていた。先日たまたま別の新刊本で本書が薦められていて「おお!」と思い出した。

 ものの本によると、アメリカはマンハッタン計画によって開発された原子爆弾による犠牲者――すなわち広島長崎の直接的な犠牲者は25万人ほどとされている。もちろんその後も後遺症で多くの人が亡くなった。マンハッタン計画には22億ドル以上の予算がかけられ、13万人が従事した。
 旧ソ連の技術者カラシニコフが開発した自動小銃AK47はその姉妹機種・派生機種含めて1億丁以上が世界に散った。そして、このカラシニコフ銃の犠牲者がやはり推計25万人なのだそうである。
 つまり、アメリカとソ連は、それぞれ原爆とカラシニコフ銃で、同数の死傷者を引き出す武器を世の中に送り出したことになる。カラシニコフ銃は「世界でもっとも多くの人間を殺した武器」とされている。

 カラシニコフ銃の秘訣は、どんな劣悪な環境でも故障しないタフな構造、素人でも使いこなせる操作と管理の容易さ、さして難しくない原材料調達と製造過程にあった。これはモノの普及の大原則だろう。一般商材の商品開発ならばそれで問題ないが、これがこと殺人兵器であったことで悲惨な事態を招くことになった。ほんのわずかの訓練で実用を可能にし、アフリカにおいて大量の少年兵少女兵を生み出す原動力になった。安価に製造ができて大量に流通するカラシニコフ銃は貨幣替わりとなった。場所を選ばないタフな耐性は極寒地帯も高温多湿地帯も砂漠地帯も使用可能にし、グローバルレベルの経済圏を形成してしまった。

 ガバナンスの効かない未成熟な国に、扱いが容易な武器が流通すれば、あっという間に社会は崩壊する。「失敗国家」にあふれたアフリカでカラシニコフ銃は猛威をふるった。
 しかし、ここで重要なのはアフリカのガバナンスが、独裁者が絶対悪と言い切れないところにある。

 もともと、アフリカには文化・習俗の異なる部族が群雄割拠していた。それぞれの部族はそれぞれのガバナンスがあった。経済社会があった。
 欧州の国々が植民地経営に乗り出し、部族の生態分布とは関係なく、緯度と経度で国境線を引いた。そして第二次世界大戦後、ロクな後始末もしないまま独立させてしまった。何の因縁もない部族間同士の統合と分断で、いきなり統治をしろと言われても難しいだろう。しかもそこで算出される資源ーー石油や鉱石の資本はあいかわらず欧米で握られている。各国の思惑が自分に都合のよい部族を支援する。その最前線にカラシニコフ銃を手にした少年兵がいる。
 このあたりのからくりは、国際世論にもだいぶ知れ渡るようになった。ディカプリオ主演の映画「ブラッド・ダイヤモンド」はこのあたりの事情を克明に描いた。アフリカ会議TICADは、日本が主導となって開催されている。このような地での安定的に生活水準を向上させて経済発展に寄与するBOPビジネスという観点も生まれるようになった。国連もSDGsを掲げている。
 しかし、中国政府が偏った肩入れをしていることが問題になったり、あいかわらずテロリストの拠点になっていたりと、アフリカは様々な思惑に利用され続けられてもいる。カラシニコフ銃も未だ横行している。



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