スマホ脳
アンデシュ・ハンセン 訳:久山葉子
新潮新書
さいきん、ちっとも読んだ本が頭に入らない。それに集中力が続かず、すぐに休憩をいれたくなる。先ごろそんなことを書いた。
それを歳のせいにしていたが、もしかしたらこれこそが「スマホ脳」のせいかもしれない。
本書の主張はシンプルだ。
わが人類の身体は、20000年の時間をかけて生存のために最適化した。
20000年の期間のほとんどは、様々な外敵に脅かされ、あるかないかの食糧をひたすら探し回り、病気やケガに脆く、生まれた人間の半数は10歳までに亡くなった。
そんな過酷な環境の中、人類は固い結束の小集団で生き抜いた。一方でそれは他の集団との仁義なき闘争でもあった。
わが身体は、そういう環境で生き抜けるよう最適化されたのである。生き延びるためには何に警戒し、何に心を許してもよいか。すなわち、我々の脳は何にストレスを感じ、何にリラックスするかはこの20000年の積み重ねで得た生存本能なのである。
ところが20000年の果てに、人類はこれまでの人類史上遭遇したことのない生活環境に急激に突入した。
それが「スマホ」である。
「スマホ」が世の中に普及して10年しか経っていない。人類の脳や身体はスマホのある社会にまだ適合できていない、というのが本書の主張である。
10年。20000年の歴史のうちの最後の10年なんて、ほんの一瞬である。
なにしろ、このブログでさえ、開始したのが2007年で、そのときにはまだスマホは登場していなかったのだ。まさについこの間である。
スマホというのは極めて便利な機器であるが、その最大の価値は、24時間常に社会ネットワークにつながっていることだ。パソコンやインターネットはそれ以前から存在したが、スマホの「肌身」離さずに済む携帯性と、技術革新して高速化・広域化した通信環境が、われわれの社会ネットワーク環境を変えてしまった。
結果、つねに我々は何百人というコミュニティと接続し、他人が何をしているかをSNSを通じて知り、リアルタイムでコミュニケーションをとり、「いいね!」やハートマークの数による評価を受け、昼も夜もディスプレイのブルーライトを目に浴び、手紙もメモも手書きではなくてフリップ入力するようになり、知らない事柄を調べるのも、路線の乗り換えを調べるのも、辞書やガイド本を繰ることがなくなった。
端的にいうと、スマホの登場は20000年の人類史において突如「これまでなかったことが急激にあるようになった(社会ネットワークに常につながるようになった、他人が何をやっているかいつもわかるようになったなど)」一方、「これまでやってきたことを急激にしなくなった(手と足を使ってモノを調べたりすること、グーグルマップを使わずに勘と経験で知らない道を歩くなど)」という急変化をつきつけたのである。
これが人類の脳にどういう影響を与えることになるのか。
正確なことは誰にも解らないだろう。ただ、20000年人類をとりまいてきた環境に最適化してきたこの身体が、わずか10年で急に起こったスマホ環境にすぐに適合するわけはないとは思う。
同様の仮説はスマホに限らない。現代病とも言われる肥満や糖尿病や高血圧つまり成人病は、現代生活にまだ人類が適合していない故と言われている。20000年に渡って少ない糖分塩分と、一日中動き回る運動量で最適化されている身体に、現代の食生活と運動量がかみ合っていない。(こういうリンクの存在も、本書によれば脳の集中力を殺ぐ効果があるらしい)
しかし、成人病の根源とされる欧米型食生活も、一般に浸透したのは、戦後からカウントしたとしても約70年程度である。スマホの普及スピードはその比ではない。
本書ではスマホ生活が我々の認知心理や行動にどう影響を与えているか様々な研究結果を紹介している。恐ろしいことに、こういう研究は着手してから実験や観察を経て分析結果を得るまでに5,6年かかる。いま、スマホが人体や社会に対して与えている影響の研究結果は、なんと2013,4年ころのスマホ環境なのである。ムーアの法則とラットイヤーの世界において、現代のスマホ環境が人類に何を作用するか、我々は永遠に知る機会はないかもしれない。