読書の記録

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プロデュースの基本

2021年01月02日 | サブカルチャー・現代芸能
プロデュースの基本
 
木﨑賢治
集英社インターナショナル新書
 
 
 著者は大御所音楽プロデューサーである。有名どころだと沢田研二や大沢誉志幸や槇原敬之のプロデュースをしている。
 
 秋元康や小室哲哉、あるいはJYパークによって「音楽プロデューサー」なるものの存在というか、この職業も有名になったが、著者の場合は、秋元康や小室哲哉とは異なり、自らは作詞も作曲もアレンジもしていない。作詞家も作曲家も編曲家も毎回調達する。つまり、音楽プロデューサーとはどういう存在かかといえば、本人が作曲や作詞をするかどうかはあまり関係なくて、監督総指揮者みたいなのと言えるだろうか。アーティストのポテンシャルと世の中のニーズを見極めて、どのような音楽をつくっていくかをとりまとめていく。だから、ボカロの作曲をする人をP(プロデューサー)と言うけど、作曲者を別に調達してもプロデューサーを名乗ることはできるわけだ。
 音楽プロデューサーというのは、もっぱら人を動かすのが仕事だと言える。メインアーティストもバックコーラスも、バンドも作詞家も作曲家も編曲家も。さらにはレコード会社や芸能事務所も、音楽プロデューサーがアレンジして動かさなければならないわけだ。
 
 ある意味で、それは極めて強い権力の座にいることを意味する。口先ひとつで指先ひとつで人を動かすという立場は君臨を意味する。
 だけれど、実際において威張り散らして偉そうにしているだけでは仕事にはならないだろう。
 しっかり結果を出さなければならないし、しかも一発屋ではなくてヒットを出し続けなければならない。それはつまり、長期間にわたってその立場で人を動かし続けなければならない。
 となれば、単に権力の座に胡坐をかいていていいわけではないだろう。それどころか、相手にする連中はいわゆるアーティストだ。ワガママも言うときあれば怠けるときもあるし、締め切りを守らないときもあるし、調子に乗ったり意気消沈したりする人たちをどうなだめすかしていい仕事をしてもらうかに腐心しなければならない。山本五十六の名言「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」これこそがプロデュース業の原理なのではないかと思う。
 
 
 人を動かすのが仕事となれば、一般の企業でいえば管理職である。
 管理職といえばマネジメントであり、管理者のことをマネージャーという。
 マネージャーとプロデューサーは違う。コトバは違うが、あらためて考えてみると、最近のマネジメント論はむしろプロデュース論といってよいような気がする。昨今はやりのサーバント・リーダーシップなんてのはまさにプロデュースであるし、むしろ部下をプロデュースするという観点がなければ、優秀なマネージャーとは言えないということかもしれない。
 
 マネージャーという単語をさらに横に連想させていくと、芸能人にもマネージャーなる人が一般的にはついているとされる。多くは芸能プロダクションの社員である。テレビ局にはプロデューサーがいて、タレントにはマネージャーがいることになる。
 芸能人のマネージャーというと、おもに担当タレントのスケジュール管理や移動の手配などをしている印象が強いが、基本的には彼らの仕事は自分の担当するタレントの仕事をとってくることである。
 
 オーケストラ指揮者の故・岩城宏之はとあるエッセイで、新人アーティストがどんなマネージャーにつくかの重要性を書いている。
 
 “よいマネージャーにつくことは、新人にとってもっとも重要なことであり、しかも非常に難しい。三流のと組むと、仕事を沢山作ってはくれる。三流自身が稼ぎたいからだ。しかしそうなると世界中、三流どうしのシンジケートの、たらいまわしにされてしまう。一流のマネージャーも厄介である。ヨシヨシおいでと言われ、傘下に入って喜んでいると、とんでもないことになる。名前リストに載っているけれど、何もしてくれない。”(岩城宏之「回転扉の向こう側」集英社文庫)より
 
 したがって、かけだしのアーティストは熱心に育ててくれるマネージャーのもとにつくことがきわめて大事なのであるとのことだ。
 
 
 今日の管理職観にしても、一流のマネージャー論にしても、共通するのは部下や担当アーティストの日々のシノギを消化すればよいというのではなく、担当する彼らのポテンシャルを見極め、未来へどう成長させるべきかという視点で仕事を探し、仕事をさせることにあるといえるだろう。
 
 もちろん、そのためには部下やアーティストのことだけでなく、市場が、つまり世の中が何を求め、何に価値を感じるかをどう見定めるかという観点が必要になる。
 
 で、本書の話に戻ると、この「プロデュースの基本」はまさにマネジメントの基本でもあるということだ。
 著者のプロデュースの仕方も、まるでアーティストに対してのサーバント・リーダーシップである。プロデュースすることになったアーティストの持ち味をまずは肯定する。彼らがどうなりたいかという話をじっくり聞く。その上で、アーティストの可能性が最大限生きることを考える。
 
 "アーティスト、歌詞、曲で三角形をつくります。するとそれぞれの距離が離れているほど大きな三角形になります。大きな三角形には、たくさんの人=リスナーが入ることができるんです。
 セクシーなアーティストに、セクシーな詩とセクシーな曲をつくっても三角形は小さい。だからセクシーなアーティストには、たとえばワイルドで男っぽい詩をつくる。そこに男らしいメロディをつけるのではなく、今度は女性らしい繊細なメロディを乗せてみる。相反するテーマをぶつけていくのです。"
 
 "その時代時代のヒットゾーンというのは確かにあるんです。ポップミュージックのメインストリームはヒットチャート上に必ず見えていて、まずはそのど真ん中にいるアーティストを把握することが大事。そこと比較して、自分がプロデュースするアーティストの今の立ち位置がどこなのかを確認してから、やっぱりメインストリームの先を行くつもりで制作に入ります。"
 
 プロデュースという華やかなコトバが目隠ししやすいが、本来的には他人の人生を預かる極めて責任の重い立場である。よほどの人徳者でなければ持続可能なプロデュース業はできないだろう。すなわちマネージャーもしかり、管理職もしかりである。
 

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