読書の記録

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ピーナッツ・シリーズ

2019年10月29日 | コミック

ピーナッツ・シリーズ

チャールズ・M・シュルツ 訳:谷川俊太郎
鶴書房・角川書店・河出書房新社

 

 河出書房新社で「完全版ピーナッツ全集」が予約受付中である。全25巻。1冊が2800円。つまり全巻で70000円という大全集だ。

 「ピーナッツ」というのは、要は「スヌーピー」である。正式には「ピーナッツ」という名前のシリーズなのである。作者の名前はチャールズ・モンロー・シュルツという。

 もともとはアメリカでの新聞連載のマンガであった。4コマ形式のデイリー版と、10数コマで完結するサンデー版とがあった。この2種が作者の手によるオリジナルである。世界中で見られるキャラクターグッズや、アニメや映画は、二次派生なのである。新聞の連載開始が1950年、作者シュルツ氏の死去による連載終了が2000年だから半世紀にわたる連載だったわけだ。近代アメリカ史そのものといってもよい。

 ピーナッツ・シリーズについては一度ここで日本における受容史みたいなのを書いている。ピーナッツ・シリーズを日本に普及させた功労者は、今はなき鶴書房と角川書店だ。今回の大全集企画が角川ではなくて河出書房新社なのはちょっと意外である。

 僕は小学生時代からのピーナッツ・ファンである。ファンどころではない。人生においてたいして事故も転落もせずにここまで無事平穏に生きてこれたのピーナッツ・シリーズのおかげではないかとも半ば本気で思っている。思春期のころのぐちゃぐちゃとイライラと浮き沈みの激しい頃も、ピーナッツを読めば少しは心が落ちついた。うまくいかなかったときもやるせなかったときも落ち込んでしまったときも、スヌーピーやチャーリーブラウンやライナスやルーシーやペパミントパティの言動に慰められ、救われてきたのである。ピーナッツ・シリーズと聖書を関連づける文章をたまに見かけるが、あながち間違いでもないのではないかと思ったりする。

 そんなわけなので、我が家にはピーナッツシリーズが今なお現存する。鶴書房版(ツルコミック)と角川書店(新・旧)あわせて100巻分くらいがあって本棚を占領している。
 100巻というとなかなか荘厳だが、これでも日本で発表されたピーナッツシリーズの8割くらいだろうと見積もっている。
 
 というのは、単行本に収録されていないストリップ(作品)が少なくない量であるらしいのだ。
 
 もともと、日本においては、ピーナッツは鶴書房が出していた月刊誌の1コンテンツとして掲載されていたものだった。掲載分がいくぶんか溜まったところで単行本に仕立て上げていた。ここまではよくある話である。ところが、単行本化の過程で1割程度のストリップが収録から抜け落ちたようなのである。今となっては理由はわからない。しかも当時の編集が杜撰というか大らかというか、単行本に収録された際のストリップの時系列が前後関係めちゃくちゃだったり、物語の途中からまるまる欠落したりしていた。読者としては、自力で時系列関係を補正したり、抜け落ちたエピソードを想像で補完したりしなければならなかった。
 鶴書房はピーナッツシリーズを50巻くらいまで出したところで倒産し、その後は角川書店が版権を受け継いだ。角川書店の編集管理下におかれるようになった50巻以降はそういういいかげんなことはなくなって、時系列ごとに欠落なくきっちりおさまるようになった。
 なので、僕が所有している単行本コレクションには、この単行本未収録分の欠落がある。今回の河出書房新社の「完全版ピーナッツ全集」はその単行本未収録分を補っているらしい。これは非常に興味深い。僕にとっては失われた聖典のページが発見されたようなものなのである。
 しかし、あらためてここで70000円の出費はなかなか痛い。それに置き場所も困りそうだ。いま自宅にある単行本を全て古本に売り出して改めて買いなおす手もあるが、これはこれで愛着もあって手放すに忍びない。そもそも出費にあたっての家族の同意が得られなそうだ。

 閑話休題。というかここから本番。

 ”長期連載あるある”の例にもれず、ピーナッツ・シリーズもまた連載時期によって絵柄も登場人物も各種設定も変遷してきた。どの時期のピーナッツがお好みか、という議論もファンの間であるそうだ。
 前述のように僕はピーナッツシリーズは長い期間にわたって慣れ親しみ、全てとは言わなくても大半を読んできたので、ピーナッツの世界観やその変遷はかなり頭に入っている。そこで、ここにピーナッツ50年の歴史をざっくりまとめてみる。年代別のスヌーピー変遷史だ。あくまで個人的な所感によるとりまとめなので、正式でも公式でもないことを先に断っておくが、もし、この70000円の全集、連載時期ごとに分売されるとのことなので、お買い求めの予定の方は参考になれば幸いである。


 ●初期ー神話の時代:1950-1952

 もっとも初期のピーナッツである。全体的には他愛ないギャグとストーリーで占められており、ピーナッツの特徴とも言える哲学的・聖書的なものはまだほとんど現れない。登場人物たちはみんな幼く、砂場で遊んだり人形でおままごとをしたりしている。スヌーピーはただの可愛い子犬で、後年にみられるような超絶犬の気配はほとんど感じさせない。毛布をかかえておしゃぶりする姿が有名なライナスは、この時期はまだ一人で立ち上がることはできない赤ん坊だし、それどころか、姉であるルーシーも、この黎明期にあってはベビーベッドで寝起きする幼な子で、チャーリー・ブラウンは子守役としてこの姉弟の家を訪問する。
 チャーリーブラウンはこの時点で既にジグザグ模様のシャツを着ており、シュローダーはおもちゃのピアノでバッハやベートーヴェンを弾きまくるなど、その後50年間にわたって続くことになる設定もある一方で、後には考えられない事態もいくつか見られる。ルーシーが持つフットボールをチャーリーブラウンが蹴ろうとするピーナッツの中でも有名な風物詩ネタがあるのだが、なんとこの時代ですでに登場する。しかし、お相手がルーシーではなく、バイオレットという別の女性キャラである。一方、ルーシーはというとチャーリーブラウンのグローブを借りて、ファインプレーを連発するなんて後年の設定からは嘘みたいな話もある。
 この頃の絵柄はその後とまるで異なることもあってキャラクターグッズなどでも目にすることはまずなかったが、作者の没後、改めて再評価され、最近はアクセサリーグッズの中にこの初期のピーナッツをいれたものもよく見かけるようになった。


 ●前期ー内省の時代:1953-1964
 
 描かれるキャラクターの等身がやや伸び、スヌーピーの鼻も長くなる。
 この最初の10年で、後のピーナッツの世界を構成する様々な要素が決定されていったようだ。まずスヌーピーの自我が形成され始める。彼の「思考」は初期でも見え隠れはしていたが、この内省の時代において一挙に深遠な世界に入り込むことになる。そしてついに二本足で歩き始め、屋根の上で寝るようになる。ライナスは毛布と指しゃぶりのおなじみのポーズで現れ、聖書や哲学を説くようになる。ルーシーはわがままぶりを発揮しだし、診察料5セントの精神分析スタンドを開業し、いよいよシュローダーに夢中になっていく。そして、チャーリーブラウンはこの頃からみんなにからかわれるようなおなじみのキャラクターになり、野球では監督兼ピッチャーになるも連戦連敗の道を歩み始め、凧揚げはうまくいかず、「赤毛の女の子」にかなわぬ恋をし始める。妹のサリーも生まれる。最初はチャーリーブラウンにベビーカーを押してもらうような年齢だったがやがて一人で立つようになり、ライナスを求愛するようになる。
 この時代のピーナッツは、自己探求的な側面や深遠な会話がよく見られる。チャーリーブラウンやライナスは世の中の偽善に怒り、生まれてくる赤ん坊の未来を祝福と懸念で迎え、愛と人生について苦悩する。そしてスヌーピーは犬であることの誇りと戸惑いを隠せず、犬小屋の屋根の上を徘徊する。チャーリーブラウンは何をやっても失敗し、そのたびに何かを学び取り、そしてため息をつく。それゆえにこの時代のピーナッツは後には見られない晦渋的なところがあり、ややとっつきにくい印象もある。個人的にもこの頃の作品が楽しめるようになったのはだいぶ後になってからである。
 
 
 ●中期ー再構築の時代:1965-1973
 
 ピーナッツの世界は前期でかなり世界形成が進んだが、ここにきて一度リストラクチャリングが行われ、絵柄も変化していく。まず、黎明期から前期にかけてレギュラーの座にいた何名かのキャラクターがこの時代になってレギュラーの座から降りて、その後はほとんど姿を見せなくなる。シュローダーもピアノを演奏する場面と野球チームでキャッチャーをする以外はなかなか登場しなくなる(これまではチャーリーブラウンの散歩の相手などもしていた)。
 一方で、強力な新キャラクターとしてペパミント・パティとマーシーのコンビが登場する。またスヌーピーの相棒としてお馴染みの黄色い鳥が登場するのもこのあたりからである。この鳥、当初は名前がついていなかったがやがてスヌーピーからウッドストックという名が与えられる。そしていよいよスヌーピーは「らしく」なってくる。有名な「第一次世界大戦の撃墜王」や、タイプライターを打つ「世界的に有名な小説家」の変装はここから登場する。飼い主の名前を認識せず「丸頭の男の子」と呼ぶようになる。
 この「再構築の時代」は、後期ではなかなか見られなくなったチャーリーブラウンやスヌーピーたちの自己探求的なストーリーもまだ健在であり、そういう意味では前期と後期の両方の要素を兼ねそろえた非常に読み応えのある時代とも言える。絵柄に関しても等身の具合やスヌーピーの姿かたちなど、後年のものに近くなっているから、もし、スヌーピーはよく知っているけれどピーナッツ・シリーズは読んだことがないという方がいれば、このあたりから入るのがいいかもしれない。現在グッズで見られるピーナッツのキャラクター陣もこれ以降のものが中心になっている。
 
 
 ●後期ー平和の時代:1974-1985
 
 再構築の時代を経て一新したピーナッツはここで安定的成長に入る。これまでの作品に見られたような晦渋な雰囲気は影を潜め、親しみやすい内容になる。
 スヌーピーとウッドストックの名コンビぶりやペパミント・パティとマーシーのドタバタが随所に見られるようになる。スヌーピーの変装レパートリーはさらに拡大し、自分が犬であることを忘れつつある。チャーリーブラウンは相変わらず野球の試合に勝てない。サリーが学校の壁と会話したり、スヌーピーが足を骨折したり、ペパミント・パティが学校でトラブルを起こしたり、スヌーピーの妹であるベルや兄であるスパイクが登場したりと話題には事欠かない。スヌーピーとビーグルスカウト(ウッドストックと仲間たち)がキャンプに行き、仲間の一匹がディスコの乱闘騒ぎで留置場にぶち込まれてしまい、それをチャーリーブラウンが引受人として助け出したもののその帰り道に冬山で遭難し、さらにそれをペパミントパティとマーシーが救助に行く、なんて壮大な話(4コマの連作だが)はこの時期ならではのものだ。
 また、絵柄の変化では、ルーシーやサリーの服装がドレス姿からパンツルックへと変わり、時代の変化を感じさせる。
 
 
 ●晩期ー解放の時代:1986-2000
 
 後期から晩期への時代への区切りははっきりとしないが、個人的な印象として「スヌーピー・ブック」の第80巻あたり、スパイクがサボテンと会話を始めた頃からと見ている。このあたりからストーリーやマンガのスタイルが変容しはじめ、「キャラクターの個性に頼った一人歩き」が顕著になり、ナンセンス度が増してくる。スヌーピーはもはや犬の気配をほとんど感じさせない(ミッキーマウスがほとんど「ネズミ」を感じさせないように)。ペパミント・パティはこれでもかというくらい居眠りと暴走をし始める。シュローダーが弾くピアノとともに中空に現れる楽譜も変幻自在となる。3コマや1コマといったスタイルが登場して、これまで忠実に守られてきた4コマスタイルも変容していく。スクリーントーンも用いられるようになる。
 この時代の最大の特徴は、これまでピーナッツの世界で長いこと「お約束」になってきたいくつかの事象がなくなっていくことである。代表的なものとして、①チャーリー・ブラウンの相思相愛②チャーリー・ブラウン野球チームの勝利③チャーリーブラウンのヒーロー化がある。
 チャーリーブラウンは、優しいけれど失敗ばかりする男の子として長いこと描かれてきた。しかしここにきてガールフレンドができたり、逆転サヨナラホームランを打ったり、いじめっ子を撃退するようになったのである。
 チャーリーブラウンだけではない。永遠に謎の美少女とされた「赤毛の女の子」がシルエット越しだけれど画面に登場したり、これまた永遠に幻とされた「スヌーピーのママ」がロングショットだけれどその姿を描かれたりと、50年近く守られてきた封印が解かれたのがこの時代である。
  こういった封印の解除をどう評価するかは人それぞれだろう。個人的には最初にこれらのエピソードを見たときはけっこう面食らった。「片思い」や「敗北」の切なさから何かの真理をみてきたピーナッツシリーズである。相手を秒殺するチャーリーブラウンなどかつては考えられなかった。長期連載の末に晩年にさしかかった作者シュルツ氏が何を思ったのかは知るよしもないが、制約を解き放って自由に描きたいものを描くようになった感がある。とくにチャーリーブラウンについては作者が自分の分身と公言しており、そろそろ幸せをつかんでほしかったのかもしれない。この時代は作者の「子離れ」の時代とも言える。
   作者の晩年に描かれたチャーリーブラウンとエミリーとスヌーピーがダンスを躍るエピソードは、ピーナッツの歴史を通してみてきた者にはひとつの感動的境地であった。角川書店から出た最終巻の表紙絵にも選ばれている。


 個人的には中期から後期あたりを特に好んでいるが、独特なセリフ回しが味わい深い前期も捨てがたい(谷川俊太郎の妙訳が楽しめる)。
 
 我が家のピーナッツ・シリーズは、いま中学生の長女がしきりに読んでいる。僕自身がそうだったように、彼女のこれからの人生になんらかの糧になればいいなと思わずにいられない。
 

 


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