読書の記録

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南極点征服

2018年11月07日 | ノンフィクション

南極点征服

ロアルド・アムンゼン 訳:谷口善也
中公文庫


 このブログでは、これまでスコット、シャクルトン、間接的にだがフランクリンを扱っている。みんなプロジェクトに失敗した人たちである(シャクルトンは「失敗からの生還」に価値があるのだが)。
 であるならば、成功者の代表、ノルウェーのアムンゼンを取り上げなくては片手落ちというものである。

 アムンゼンは、北極海の北西航路開拓と南極点初到達というふたつの偉業があるが、より人口に膾炙されているのは南極点のほうだろう。こちらは、南極点初到達というあまりにもわかりやすい記録に加え、それがイギリスのスコット隊との競争という形になったこと、対するスコットが一番乗りに負けたあげくに全員遭難死したということで、南極点到達史はたいへんよく語られるようになった。ちなみにアムンゼンは今でもイギリスでは不人気であるらしい。

 スコットはなぜ失敗したのか、ということの対比でアムンゼンはなぜ成功したのか。これはいろいろな研究や見解がある。直接的な原因としては犬ぞりを用いたこと、アザラシの毛皮でつくった耐寒性の高い衣類を着ていたことがよく指摘されている。これはスコット隊が馬や雪上車を中心とした隊であったこと、牛皮のコートであったこと、などときわめて対照的である。
 これをより掘り進めば、なぜアムンゼンは犬やアザラシの毛皮を採用できたのか、あるいはスコットはなぜ馬や雪上車や牛革コートがよいと思ったのか、という点にいきつく。アムンゼンは謙虚にエスキモーの生活様式を研究して探検に取り入れたことに対し(アムンゼン自身が北欧ノルウェー人であり、北の生活というものの厳しさをよく知っていた)、スコットは天下の大英帝国の人物であり、わからないことなどなにもない、という不遜なところがあったのではないかと言われている。これは北極で遭難したフランクリンにもあてはまる話である。

 また、アムンゼンは根っからの探検家だったのに対し、スコットの本質は軍人だった、という指摘もある。つまり、自発的な冒険スピリッツを抱いて南極点を目指すアムンゼンと、軍人として国から命令され、国の威信を担ったスコットの違いである。とくにスコットは失敗の予感があっても引き返すことができない「空気」というものがあったとも言われている。

 また、イギリス人、つまりスコットに同情的な立場の人がよく言うこととして、スコットは科学研究を行いながらの南極点行きであり、アムンゼンはただひたすら極点を目指すだけだったからアムンゼンのほうが速かったのだ、科学的成果はスコットのほうが大きい、というのがある。負け惜しみとしか思えないが、わりとこれは支持された見解である。

 スコット隊は予想外の暴風雪に巻き込まれたのに対し、アムンゼンは天気がよかった、つまり運がよかったのだという話もある。スコット隊が悪天候に見舞われたのは事実だが、アムンゼンのほうも決して好天続きだったわけではない。また、スコットになくてアムンゼンに見舞われたものもある。それは連続するクレバス地帯を通過するという極めて危険性の高いエリアに足を踏み込んでしまったことことでアムンゼンはここで相当に難儀した(犬ぞりだったからよかったが、馬や雪上車だったら奈落の底だったろう)。

 実際にアムンゼンの手記「南極点征服」を読むといろいろなことがわかる。
 まず、ほとんど「スコット」のことについて触れていない。内心はわからないがてんで相手にしていない風がある。これはスコット隊の生存者ダガードの「史上最悪の旅」でアムンゼンのことを恨み節でつらつら書いているのと極めて対照的である。
 また、アムンゼンの手記からは、決してアムンゼンが科学研究を捨てた極点一番乗り狙いだけではなかったこともわかる。ここで重要なのは、アムンゼンは科学観測隊は別動隊として用意し、最初からわけて活動していた、という事実である。両方をいっぺんに兼ねようとしたスコット隊のほうが誤謬ということになる。いわゆる「目的の二重性」というやつだ。
 そして、アムンゼンの手記からよくわかることは、慎重に慎重を重ねていたということだ。猪突猛進な冒険野郎では決していない。むしろ精神力でなんとかしようという向こう見ずなところはスコット隊のほうに見受けられる。
 アムンゼンの慎重さがわかるエピソードはあくつもある。ひとつは念入りな道具の検討だ。厳しい風雪環境の中でも数えやすいように食糧はすべて同一の重さで切り分けられてパーツ化されていたり、犬ぞりの紐のはり方から食糧の調合まで、ちょっとした改良を幾つも重ねていたり、テントの大きさ、寝袋の材質などを徹底的に考えている。
 もうひとつは偵察隊を先に出して、完全に見通しをたててから本隊を出すプロセスだ。当たり前とも言えるが、スコット隊はこれをやっていない。また一番乗りをするのならばこれは本来ならば時間を食うプロセスである。しかし、アムンゼンは慎重で、もっと進めそうな日でも慎重を要して止まったりする。
 そして一定の距離ごとに律儀に雪塚をつくっていった。帰りはその雪塚をたどりながら帰ればよい。これも時間より安全性を優先させた行為である

 アムンゼンの南極点到達記はあまりにも周到で慎重だから、かえってドラマ性は弱い。「史上最悪の旅」のほうが圧倒的にドラマチックである。しかし、物事を着実に成功させるというのはそういうことなのである。それの見本みたいな話である。

 そんなアムンゼンだが、実は上陸してから南極点までのコースは実は人類未踏のコースであった。ここだけが大博打である。対するスコットのコースは全行程の8割はシャクルトンがたどったものなのだ。実はスコット隊最大の失敗はこれにある。シャクルトンのコースと報告を研究し、改善案をプランニングして実行にうつしたものがスコット隊だったのだ。
しかしシャクルトンのコースはそもそも間違いで、このコースは無理ゲーだったのである。
 アムンゼンは様々な文献を読み漁り、もちろんシャクルトンの報告も目を通し、海上からも観測し、その上で新コースを採択した。このコースは極めて合理的で、その後長い間南極点までの正式なコースとして採用された。
 つまり、スコットは帰納式、アムンゼンは演繹式にコースを決定したといえる。どちらが良い悪いは時と場合によると思うが、帰納式は小リスクは避けられるが大リスクがあるとされている(いわゆる「想定外」というやつ)。

 


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