読書の記録

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誰も教えてくれない人を動かす文章術

2011年12月23日 | ビジネス本

誰も教えてくれない人を動かす文章術

齋藤孝

たしかに誰も教えてくれないだろう内容なので、読書感想文から大学のレポートから会社の報告書まで、文章書きに直面すると気重いっぱいになってしまう人にとってはアンチョコそのものといっていいほどの威力を発揮しそうな本である。もっともその文章術をここで書き写してしまうと営業妨害だからそれはできないのだけれど、しかもそれは本当にここにちゃちゃっと書き写せてしまうほどシンプルなものだったりするのだけれど。というわけでデスクに1冊置いておきたい本である。

ところで、僕はどこにむかうのかわからない即興で文章を書きすすめていくのがけっこう好きである。だから、このブログなんかほとんどいきあたりばったりである。うまく着地することもあれば、自分でも想像してなかったところまで到達してしまうこともあれば、なんだか支離滅裂で無茶苦茶な場合もある。

このブログは益も害もないからいいけれど、会社の業務レポートとか提案書はそうも言ってられない。取り掛かる前に「設計」がいる。始めはここから開始させて、それとこれを扱いながら、最後はあそこに着地させよう、という構想が必要となるのだが、僕はこの「設計」してから書くというのがあまり好きではない。もちろん、業務レポートに好き嫌いなんか言ってられないので、筋道をある程度組み立ててから取り掛かることも多いのだが、あんまり触手が動かない。許されるのならば行き当たりばったりいきたいのである。

だが、時間もなかったり、なんか気分が高ぶっていたり、あるいは逆にやる気がなかったりすると、もうそのままどうにでもなれと書きだしてしまう。企画書を書かなくてはいけなくなって、何の企画アイデアもないのだけれど、とにかく最初の1ページ、最初の一文を書いてしまったりもする。

情報は情報を呼ぶ。情報は常に新たな情報にくっつくことを求めている。これを言っているのは松岡正剛だけれど、情報は言いかえれば文章でもある。だから、何か書けば、次の何かの文章はアフォーダンスのようにひょいと出てきたりする。もちろん、袋小路にぶちあたって二進も三進もいかなくなり、大退却することもあるのだが、なんだか最後までいけてしまったりもする。

で、これを推敲、校正する。

するとなんとしたことか、けっこう読ませる、と自分で自画自賛してもしょうがないから、他のひとに読ませて、わりとウケがいいことも実は案外に少なくない。もちろんすべることだってあるのだが、あまり褒められた書きかたではなさそうにもかかわらず、前回の綿密な計画で書かれた企画書よりも評価されたりする。これはどうしたことか。

これが「設計」の罠なのであるる。とくにパワーポイントみたいなフォーマットはこの罠に陥りやすい。設計は要素を分解して配列するから、情報としてはつながっているように見えるけど、そこにあとから文章をあてはめていくから、どうも文をつないでいくという観点からすると細切れになりがちなのである。各パートの情報は完結するのだが、ぜんぶつながていくと、畳み掛けるような、あるいは早く次のページをめくってみたくなるような感興性をどうも発揮しにくい。各パートの独立性が際立ってしまって、全体の文脈が後退しやすいのである。つまり、リレー競走で、それぞれのランナーの足はとても速いのだけれど、どうもバトンの受け渡しがぎくしゃくするようなものである。

ところが、即興でつらつらと書きつなげていくと、そこはリニアに物語が流れる。だから、細切れにならずに、読み手からすると自然にその流れにのっていけて、いつのまにか結論までふっとカタルシスをもって共有できたりするのである。若干そこにはだまされた気分というものもつきまとうことは否定しないが、細切れ感はない。ただ一方で、冗長さが出るおそれがあるので、これはしっかり推敲しなければならない。

文章というのは、かならず流れがあって、読み手をこの流れに乗させることは実はすごく重要なのである。この流れに乗れない文章は、いくらそこに大事で慧眼な情報が入っていようと読み手の頭には入らない。学術書にありがちな読みにくさはどうもここに起因しているように思う。初めから終わりまで一気呵成に読ませてしまうことによる読み手の満足感、高揚感、感心はけっこうバカにならないので、どうしても「設計」ができない場合は、とにかく書き始めてしまう、というのもひとつの方法である。

 


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