読書の記録

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死都日本

2012年01月15日 | 小説・文芸

死都日本 (ネタばれほとんどなし)

石黒耀

年あらたまっても大震災の記憶は少しも色あせない。去年は大震災だけでなく、紀伊半島の台風と大水や、東北地方の大豪雪などもあった。そして霧島の新燃岳が噴火を繰り返した。

「死都日本」はまさしく霧島が噴火する小説である。瞬時に南九州を壊滅させ、数日後には日本全土を崩壊させてしまう。もっとも、この小説での噴火は、新燃岳とは異なり、あの地下に眠る巨大な火山、加久藤火山が大規模な水蒸気爆発を起こすというもので、いわば「最悪」を想定したシミュレーション小説だ。ただ、まったくの絵空事ではなく、この付近は火山帯としては極めてデンジャラスゾーンでいくつものカルデラが存在しており、日本の生態系を壊滅させた大噴火を、地球年代史的な意味では「たびたび」起こしている。最後の噴火は7000年前である。

 それにしても、規模の大小はあれ、自然の災禍というのは本当にどうしようもない。東日本大震災以降「防災」よりも、災害はおこるものという大前提においていかに被害を少なくするかという「減災」という概念が唱えられるようになってきているが、ほんと去年1年を通じて「防災」なんてのがいかに夢物語かというのを痛感する。

個人的には富士山の噴火とヒトの間で流行する鳥インフルエンザ(H5N1型の変異)と、南関東直下型の大地震は、いずれ起こるものという気がしている。そのいずれが、10年内なのか100年内なのかはそのもっと先なのかはわからないが、そういうとき、いったいどういう風に判断し、行動し、生活し、生存していくべきなのだろう。

 

本書「死都日本」はただのパニック小説ではなく、そこには日本国家の生存をめぐる大英断という視点も入ってくる。小説内での国家首脳陣は極めて頼もしい。有事に必要なのは、ピープルパワーとしての生きる気力、それからトップの決断力と行動力である。ピープルパワーの強さは「アラブの春」でも示されたわけだし、東日本大震災ではなかなか日本人も捨てたものではない動きがあったが、いっぽうで震災がれきの受け入れを拒否したり、福島の物産展が中止においこまれるなど、本当に一枚岩にはなかなかなれない。そしてなによりも、国のトップのほうは本当にうろたえ、権力闘争を繰り返すなど醜態をあらわにした。ここはほんと小説とは大違いだった。

 「死都日本」の噴火はもちろんフィクションの限りだが、そこに描かれた国の姿勢も幻想のままというのではなんとも情けない。プライマリーバランスがめちゃくちゃなのは周知の通りだが、後手後手の結果やっぱり消費税増税なんてたしかに虫がよすぎると思われても仕方がない。ついに野田改造内閣が発足したが、ぼちぼち本気でしめにかからないと、TPPどころかほんとにIMFの管理下に入りかねないのでは。

 

 

 

 

 


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